第三章

魔除け


「あの子、なんて言ったかしら、松田——」


 修哉の左肩に両手を乗せて、アカネが耳元で話しかけてくる。帰途をたどりながら、周囲の目を気にしつつアカネの声を聞く。 

 ああそうだ、と思い出したらしく、急に両手をあげて耳元で、ぽんと手を叩いた。


圭輔けいすけくん」


「なんでいつも下の名前で呼ぶんですか」

「なんでって——」

 アカネは顎に人差し指をあてて、小首を傾げた。「職業病?」


 どうして疑問形なんだよ、と思う。


「あなたたちくらいの年頃って、あたしにとっては昔に面倒見てた子どもとそう変わらないんだもん」

「とっくに成人してますけど」


 平坦に言い放つ修哉の顔を、横からアカネが覗きこむ。

「中身はガキンチョ」

 ふふ、と含み笑う。「あたしにはあの子たちと同じなの」


 からかわれているようで、すこしばかり不機嫌になる。


「いいわねぇ、お友だち。思い合う親友って感じ」

「……」


 答えずにいると、気にする素振りもせずにアカネは続けた。

「圭輔くんは察しがいいのね」

「察し?」

「見えないから影響も受けないけど、周囲の気配と人の反応をすごーく鋭敏に感じとるのね。繊細で優しい子。勘がいいのかしら」

「カン?」

「そう、虫の知らせとか第六感とか」


「胡散臭いやつじゃないですか」

「そう? 人間だって動物だもん。微細な感応で、危機を察知するひともいるわよ。厭な感じがするから一本電車を遅らせて大きな事故を回避するとか、別の場所で寝たら大地震とか地滑りが起こって、いつもの場所にいたら死んでたはずだった、とか」


「それって、生き残ったひとが言うから妙に説得力が出て、不思議な話として言い広まってるだけじゃないですか。あとづけでいくらでも言えることですよ」


 あからさまにアカネの顔つきが不満を表す。「やあねぇ人生つまんないわよ、若いうちから達観しちゃったりして」


 誰のせいだと思ってるんだ、と修哉は小さく溜め息をついた。すでに人生終わってる死者に言われたくない。

 よけいなひとことを口に出せば、言い負かされるのが目に見えているから胸にしまう。


 アカネさん、と修哉は問いかけた。

「松田が勘づいてるかもって言いたいんですか? オレが他人とは違うものを視てるって」


「って言うよりは……あなたがいれば、いつの間にか解決できちゃうくらいに思ってるんじゃない?」


 ほら、と人差し指を立て、「水難事故と自動車事故の生存者サバイバー」と言った。


「強運の持ち主だから」


 修哉は思いっきり苦虫を噛み潰したかのような顔になった。それは両方ともアカネが関わっている。


「オレ、魔除けみたいに扱われてるとか言いたいんですか?」

 疑問形で訊ねると、迷わず肯定してくる。「あら、似たようなものじゃない?」


 そうそう、と人差し指を立てて笑う。「害虫を根こそぎ殲滅しちゃうやつ。蚊取り線香とか燻煙式の殺虫剤噴霧器みたいな」

「じゃあアカネさんたちは、いわば殺虫成分ですか」


「違うわよ」とアカネは納得がいかないといった表情になる。

「あたしたちはスタートボタンのスイッチを入れる側よ。着火の炎とか、噴霧ボタンをプッシュする指とかね。あなたのほうが、ボトルとかの形状に入った成分のほう。特別な暗号つきの」


「ちょっとなに言ってるんだかよくわかんないですね」

 芸人定番の言い回しみたいになった。


 なに言ってるの、とアカネが眉をひそめる。「いくら抜群だとしても、封を切らなきゃ効果はないのよ」


 効果抜群ね。修哉は思わず想像してしまった。

 なるほど、害になるものを追っ払うのに、効果のある中身を噴出させられている。使うたびに減っていく。

 薬剤を使い切ってしまえば、空の容器が残って終わり。空の容器――生命力を使い切った身体だけが残る。


 まだ若いから回復も追いついてる、とアカネは言った。中身の補充はいつまで続く? あと十年くらいか?


「ねえグレ、あなたもそろそろきれいになった頃じゃない?」


 アカネは背後の空間に向き直ると、夜の闇に語りかけた。なにもない空間から威圧のある巨軀がにじみ出て、グレの姿となる。


「ええ、なんとか」

 身体の奥から響かせる、低音の声。その声を聞いたとたん、なんとも言えない不快が駆け抜けた。


 同時に、ぶるりとアカネが震えた。


「やだ、なんとかって言いながら、まだけっこう残ってるじゃない。シュウからこっちまで伝わってきたわよ」

「オレは、やな感じが一瞬したくらいですよ」


 修哉が感想を述べると、アカネが目を丸くする。

「え? そう? けっこうな強さだったけど」


「生者の感情なので、我々のほうが影響を受けやすいのかもしれませんね」とグレが応じる。


「生体のある者には、生者の感情など日常生活でいくらでも浴び続けてるだけに、それなりに防護、というか免疫みたいなものがあるのでしょう」


「ふうん、そんなものかしら。にしても、この感情——」


 アカネは両腕を抱える姿勢になった。鳥肌が立ちそうなのを抑えているようにも見える。

 なによこれ、と険のある声でアカネが訊ねる。


「数日、消化しながら考えてたんですが」

 グレは平坦に喋り続けた。「生者の感情としては、殺したいほどの嫉妬、ですかね」


「嫉妬? ただしくんに?」

 どういうこと? とアカネが修哉に視線を向けてくる。


 問われても、修哉には返す答えがない。


 修哉の右側の数歩後を、グレが付き従う。

 重量感のある巨軀にしては身のこなしは機敏だった。広い歩幅で移動し、背景の色に半透明の姿が溶けこんでさえいなければ、生きている者と見間違いそうだった。


「少なくとも慕情や恋慕といった、甘ったるいシロモノじゃありませんな。ずいぶんと厄介な相手をご友人は背負い込んだものです」


 事実、そこが引っかかっていた。いったい、どうしてなのか。

 生き霊を飛ばすほどの悪意。一方的に激しい恋心を寄せるストーカーの、原動力となる感情が嫉妬とは。どうも妙だ。


 梶山が、本人の気づかぬところでなにかの恨みを買ったのか。


 そんなものを向けられる理由。ふたつ考えられる。ひとつめは直接、梶山自身がまずい言動か行動を対象者にしでかした。ふたつめは、なんの意味もないことを一方的に相手が害意と解釈して受け取った。実際にやったか、やられたと勝手に思い込んだか、のどちらかだろう。


 後者ならば、当たり屋みたいなものだ。どうあっても避けられない。


「……あいつのためならオレはなんでもする」


 できることならなんでも。たとえ、生き霊を強制的に引き剥がして、本体を殺すことになろうが。梶山が助かるならかまわない。


 左上からのアカネの視線を感じる。修哉の決意を察してか、それきり黙ってしまった。


 梶山は気のいい奴だ。周囲からの評価も高い。あれだけ好人物なのだから周りが放っておかない。


 もしも。梶山が振り向いてくれない。自分のものにならないならば、いっそこの世からいなくなってくれたらいい。そんな偏執的な感情を持つ相手が現れたら。


 あるいは。


 思いを、梶山に寄せるだれかがいる。そのだれかを好きな、別の者がいるとしたら。意中の者は梶山に夢中で、けっして振り向いてくれない。梶山本人からすれば、困惑しかない相関関係に巻き込まれたことになる。


 恋路に邪魔な存在、すなわち梶山を、消したくなるほどに妬んでるのか? 生き霊を飛ばすほどに。


 そんな不自然な話がありえるか? 修哉は自らをわらった。


 確かに、有り得ないと完全には言えない。間に入るのが異性、もしくは同性であっても。

 なまじ視えるから心配になるが、普通ならさしさわりのない日常風景に過ぎない。


 人の不幸を願掛けたところで、まず叶いはしない。たとえ恨みが積もりに積もり、強いのろいやまじないにすがったとしても。

 相手を念で害する。そんなことが自在にできるなら、重大な犯罪を犯した者は皆、大衆からの処罰の念を食らい、全員が地獄行きとなってしまうに違いない。


 事象の時期がたまたま重なって、まるで悪意が取り憑いて叶ったかのように思えるかもしれない。だが所詮、偶然にすぎない。信じるほうが馬鹿げている。


 いくら生き霊が取り憑いているのが視えたとしても。そんなものは生者にとっては気のせいだ。


 でも。


 知っている。視えないものが影響を与える。自身で体験している。

 まともなフリをしているが、自分は異端なのだと痛感する。


 絶対に叶わない思いだからこそ、苛烈になったりもする。不確かなものより、もっと恐ろしいのは一線を越える者だ。生きている者は行動する。


 相手は、すでに病室に潜り込んでいるじゃないか。


 厭な想像をして、背筋が凍った。待てよ、今までいくらでもチャンスはあったんだ。わざわざ病室を狙う必要があるだろうか。


 考えるほどに不可解だった。家にたどり着いて、自室に戻っても気持ちはちっとも平静にならなかった。


 アカネとグレも今夜に限っておとなしい。背後に下がって室内の闇に融け、いるかどうかもわからない幻影と化している。なかなか寝付けず、明け方にとろとろと眠りに落ちた。

 見計らったかのように、アカネとグレがなにかを話しはじめる。声が遠くひどく不明瞭で、会話の内容まではわからなかった。



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