another6.捕まえたい
最初は本当にアリステア様のところで気分転換をしたいだけだった。別にお母様が嫌いってわけじゃないけれど。ただお母様がなんでもできる人だったから、自分の周りに向ける期待値も自然と高くなる。お兄様は器用にこなす人だからお母様の期待に応えられていたけれど、一方で私はお兄様のように器用じゃない。不出来というわけでもないけれど、お兄様と同じレベルに辿り着くまでにはそれなりの時間を要した。
そんな私のことをお母様はちゃんと見ていてくれている。だから私がどんな格好をしようとも一切口を出さない。そもそもクレヴァー家は生まれた男子が元気に成長するようにと小さい頃は女の子を格好をさせる風習があった。お兄様ももちろん、お母様の弟であるアリステア様だって例外じゃない。アリステア様のほうはその後色々とタイミングが悪くて長い間女性の格好をしていたようだけれど、お兄様が女の子の格好をしたのはほんの二年だけだった。そして私は、未だに女性の格好をしている。
普通に可愛いと思うのよね。自分に似合っていると思っているから好き好んでこの格好をしている。周囲は奇妙な目で見るけれど気にしない。
ただ一番困ったのは、中々恋愛に発展しないこと。なまじ令嬢より綺麗だから妬まれるし、だからと言って男のほうは胸のない私を見た瞬間引く。
英才教育と、そしてそういうこともあって疲れていた私は自然豊かな場所へ癒やしを求めに行った。ということだったんだけれど。
こう言ってはなんだけれど、最初は本当に興味がなかった。二人が養子をもらったという話は聞いていたし私と同年代ってことも知っていたけれど。私はアリステア様とお喋りするほうが楽しかったし、多分向こうも私に興味がなかった。お互い共通の話題なんてなかったし積極的に関わろうともしない。でもそれでも構わなかった。
のだけれど。それがガラッと変わったのはあの大浴場での出来事だ。私のこと「彼女」とか言っていたから女だと勘違いしているんだろうなとは思ってはいた。
でも、彼は私の裸を見ても男だと気付いて驚いただけで、引きはしなかった。女性の格好をしていても「似合っているからいい」と言ってくれた。そういう反応をしてくれたのは、家族以外で彼が初めてだった。
きっと彼にとってそれは別に大袈裟なことではなくて、何気ないことだったに違いない。でも人間って奇妙なものを受け入れるのは中々難しい。それを社交界で私は痛いほど知っている。
彼はいい意味で社交界に染まっていない。初めて見た時も貴族らしくないと思ったぐらいだ。肌は健康的に日に焼けていて、アリステア様とライラック様の教育のおかげか同年代に比べて少し大人っぽい顔つき。それでもどこか、庶民らしいおおらかさがあった。ありのままの私をすんなりと受け止めた彼は、二人の教育の賜物というよりも元からそういう性格だったのだろう。
身体も随分と鍛えているようで、大浴場で見た時は表情には出さなかったけれど一瞬息を呑んだ。しかもそれが、自分を養子にしてくれた二人への恩返しだなんて。
それだけじゃない、彼は日中ひたすら自分を追い込み鍛えている。自分が元庶民だからって、それを言い訳にしないよう勉学に励み剣術に励む姿をふと目にした時。なんだか自分が情けなくなった。きっと彼に比べて私のほうが色々とできることは多い。
けど私がやっていたのは『義務』だ。貴族の子として生まれたのだからやらなければならないという考えてやっていた『義務』。だから疲れて癒やしを求めてここにやってきた。でもきっと、彼は私みたいに逃げることなんてしない。ただひたむきに、ただ二人のためにと頑張っている姿が眩しく見える。
その一途さに、その健気さに。「そうしなければならない」という私の考えとは違って彼はきっと「何が何でも成し遂げてやる」という心持ちなのだ。やっていることは一緒なのに、向き合う姿勢がまったく違う。だから私は日中彼の邪魔はしなかった。
気になり始めて色々とちょっかいを出すようになったけど、これがまた予想外だった。
だって彼は普段、一生懸命己を鍛えようと真面目な姿を見せている。でも食卓に着く時はどちらかというと興味なさげであまり表情も動かなかったというのに。
私がちょっかいを出せば大声で言い返してくるし物凄く嫌そうな顔をする。貴族でこんな反応する人間はまずいない。自分の感情を曝け出して弱みを見せるようなことになってしまうから。だから彼の反応が新鮮でたまらなかった。
それに、私は自分でもこの顔が綺麗だという自覚はあるけれど。周囲ももちろん私の認識は『綺麗』というもので、だから手を上げることなんて一切なかったっていうのに。彼は同じ男だとわかってからか、私を思いきり投げ飛ばすわ関節技を決めてくるわ。本当に信じられなかった。本当に痛かったし、ある意味での初体験をしてしまった。
でも、確かに彼のことは気になってちょっかいを出していたけど。私とそうやって揉みくちゃになっている時の彼の顔が、多分彼曰くそれが『クソガキ』というものだったのだろうけれど。勝ち気に笑う顔に、とてもキュンキュンしていた。
いつもの真面目な顔が子どものような顔で笑う姿に、ときめいてしまった。
彼は勘違いしているようだけれど、私はその真面目な表情が変わるところが好きなだけであって別に困らせたり嫌な思いをさせたいわけじゃない。ただ私のやり方がまずいだけでそういう表情にさせてしまうだけだけれど。でもそうやって色んな表情を見せる彼に、私の前だけにしてくれればいいのにという独占欲がむくむくと膨れ上がっていく。
健全そのものの彼は今は自分を鍛えるのに精一杯で、恋愛に関して今はまだ関心を抱いていない。でもこれからどんどん格好良くなっていくであろう彼を、周りが放っておくわけがない。
横から盗られてからだと遅い。お母様はいつも言っていた。先手必勝なのだと。後手に回ると悪手にしかならないと。
そして彼は私が心配になるぐらい、隙きだらけだった。今まで下心を持って近付く人間がいなかったためそれに対する抵抗力がまったくない。だから簡単に私みたいな人間に浸け込まれる。
最初はちゃんと抵抗していたのに、段々と受け入れてしまう柔軟性は長所であり短所だ。他の貴族相手にもこういう感じだとどうするんだと思う反面、もしかして相手が私だからだろうかという期待も持ってしまう。
そうやって徐々に徐々に、じんわりと浸け込んだ結果。彼は等々降参した。
「……かわいい」
隣でスースー寝息を立てる寝顔をじっと眺めて、うっとりと表情を緩める。身体のあちこちに痣ができてて流石にやりすぎたかと思ったけれど、自分でもまさかここまでの独占欲になるとは思いもしなかった。歯型は痛そうだなと反省はしつつ後悔はしない。
格好良くて、そしてかわいいとは。テオは最強だなと思う。しかもこれ、どこにも打算なんてものがない天然物だ。ある意味恐ろしい。
さて、私はきっとこれから忙しくなる。休暇のつもりでここに来たのだから、もちろん実家に帰らなければならない。お母様に事情を説明して、どうにかテオを確実に手中に収めるよう手筈を整える必要がある。そのためにお母様のことだからきっと超難易度の無理難題を突きつけてくるに違いない。
でも私はこれからテオ以上の人間に出会えるとは到底思えなかった。だって今まで社交界で色んな人間と出会ってきたけれど、テオのような人はいなかったのだから。
するりと弱点の脇腹に手を滑らせれば、身じろいだ身体に小さく艶めかしい声がもれる。クスッと小さく笑ってその首筋に軽くキスを落とした。昨晩あれだけ体力を使ったというのに徐々に元気になっていっているそれは、若いっていうのもあるけれどご馳走が目の前にあるからだ。
けれどあれだけ無体を強いておきながらここでちょっかいを出すと、テオが怒り狂って関節技を決めてくるかもしれないと苦笑を浮かべて手を離した。
早く起きて、私のことを見てくれないかなぁ、とするりと足を絡ませようとした途端その身体がいきなりむくりと起き上がる。寝ぼけている様子なのにちゃっかり私の足はテオの足から下ろされている。野生動物並の勘の良さだとぎこちなく動く腕を眺めつつ、その腰に抱きついた。
「お世話になりました」
数日分の着替えが入っているトランクを持って、そう口にする。アリステア様とライラック様ももちろん見送ってくれたけれど、それも屋敷の中までだ。外に出てきてくれたのはテオだけだった。恐らくアリステア様たちがお膳立てしてくれたのだろう。
「テオ。時間がかかるかと思うけど、私ちゃんと婚約者として帰ってくるから」
「そん時は婚約破棄してやるから喜べ」
「ひどーい」
それならきっと最初から私のこと拒絶していただろ、と笑みを浮かべつつテオに手を振る。小さく笑みを浮かべながら振り返される手にキュンキュンしてしまい、引き返したくなったけれどそういうわけにはいかない。
テオの隣に立っても恥ずかしくない人間になって帰ってくるから、と心の中で誓って私は馬車に乗り込んだ。
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