another4.暴れた
朝俺を起こしにやってきたノラは、ピタリとその動きを止めた。
「……昨晩はお楽しみだったようで?」
「違ぇよ……」
あの後関節技を決める俺に、それに抵抗しようとする奴で暴れに暴れて結局疲れ切った俺たちはそのまま寝落ちした。ちなみに俺はベッドを確保して、奴にはソファで寝てもらった。お互いあちこち痛めたまま髪もボサボサで目覚めも悪い。
「すごく激しい夜だったわよね……」
「誤解を招く言い方するな。こんな青痣だらけでびっくりだわ」
「すごーい、顔だけは回避してくれたのね」
「感謝しろよ」
備え付けの鏡で自分の姿をチェックしている奴に対し、俺は身体にある痣をチェックする。意外にも力強くしかも野性的に抵抗してきたもんだから歯型まであった。どんだけ強く噛んだんだっての。
「随分と仲良くなられたんですね」
「そういうわけじゃ」
「今後深夜の私の見張りは必要なさそうです」
「そうね」
「お前が返事すんな」
「では傷薬を持ってきますので、お二人共しっかりと身支度を終えていらっしゃってください」
そう言って一度部屋から出ていったノラはほんの数秒で戻ってきて傷薬を置いてまた出ていった。相変わらず謎が多いメイドだと思いつつ、深く追求していい領域でもない。大人しく渡された傷薬を歯型やら何やらに塗っていく。
「ねぇ、このうなじの部分も青くなってない?」
「お前それどこで打ったんだよ」
「ベッドの縁かも。ちょっと見えづらいから代わりに塗ってくれない?」
「……しょうがねぇな。こっち来い」
傷薬はこれ一つしかないし、見えづらいって言うんなら仕方なしに俺が塗ってやるしかない。目の前に座れと呼べば素直に俺の前に背を向けてベッドの縁に座った。
そういや昨日変なところに投げ飛ばしたかも、と思いつつうなじに視線を向けてみると見事な青痣ができていた。髪はまとめてもらって顕になったそこに薬を塗り込んでいく。
「投げ飛ばされたのもそうだけど、あんなに暴れたの生まれて初めて」
「あれがクソガキの遊びだよ。わかったか」
「ふふっ、そうなの? 楽しかったけど、でも痛いのはもう嫌よ」
「言っとくけど、俺のほうが青痣多いからな」
「あら」
薬を塗り終えて、あと見える箇所は自分で塗れよと薬を手渡す。俺も見える範囲はチェックしたものの、背中とか太ももの裏とかズキズキと痛むからどっかで打ったのかもしれない。正直俺もあれだけ暴れたのは久しぶりで、加減忘れたこととか年甲斐もなくとかなんだか情けなくなってきて小さく息を吐き出す。
取りあえず早く朝食に向かおう、とベッドから降りて着替えようとした時だった。気付けば降りたはずのベッドの上に寝転がってる。
「……は?」
「背中とか痛いんでしょ? 塗ってあげる」
「いやいい遠慮する遠慮するって言ってんだろ服を脱がすな!」
「まぁまぁまぁ」
「まぁまぁ、じゃねぇわ!」
「痛むでしょ? さっき塗ってくれたお礼。ね、ほら……あはぁ、いい筋肉……」
「盛るなッ!」
俯き状態でベッドの上に押さえつけられた挙げ句にシャツも脱がされた。なんでこうも俺はこいつの下敷きになりやすいんだ! と自分に激怒しつつ背中にヒヤッとしたものが触れてつい短い悲鳴を上げる。多分この冷たいやつはさっき俺も使っていた塗り薬だ。背中も痛かったからそこにも痣があったんだろう。
でもさっきから、なんか妙にこいつの塗り方がおかしいというか。別に普通にべたっと塗るだけでいいっていうのに、ゆっくり撫でたかと思うとぐるっと指で円を描いている。
「ばっ、か……お前ッ……!」
「ここ、弱いんだ?」
脇腹を撫でられてゾクッと悪寒が走る。変な声が出そうになって歯を食いしばって堪えているっていうのに、何が楽しいのか耳元からはずっとクスクスと笑い声が聞こえる。
っていうか、笑い声だけじゃなくて。なんか荒い息遣いも聞こえてくるのは気のせいか。
「テオ……」
「っ……!」
「ねぇ、ここに……私を受け入れてよ……」
そう言って奴は俺の下腹部に手を滑らせた。
「お二人共まだですか」
「うわぁーっ?!」
「いったーっ?!」
ガチャッとドアの開閉音と共にノラの声が聞こえたものだからびっくりして、弾かれたように身体を上げた俺とそして弾かれてそのままベッドの下に落ちた奴。心臓バクバク鳴らしている俺に対してノラの表情はどこまでも通常運転だった。
「……お若いですね」
「違ぇよ?!」
「アリステア様たちが待つことになるので急いでくださいね」
「わ、わかった! わかったから!」
では、とパタンとドアと閉じたノラを見て、どっと力が抜けた。さっきのはなんだったんだとかなんで俺はしっかりと抵抗しなかったんだとか色んなことが頭の中をぐるぐると回っている。
回っているけど、取りあえずだ。どうせ着替えるところだったんだと脱がされたシャツはそのままに新しいシャツを取り出してそれに腕を通す。
「お前自分の部屋に戻れよ。ここにお前の着替えなんてねぇんだからな」
「いたたた……腰打った……」
「アホか。自業自得だろ」
腰を擦って立ち上がろうとしてる奴に手を差し伸べるなんてしてやらん。自業自得だ。黙々と着替えを続ける俺に何やら視線は感じたけれど、奴は言われた通り自室に戻るために俺の部屋から出ていこうとする。
「……ねぇ、テオ」
「なんだ」
「セーレって、ちゃんと名前で呼んで」
「はぁ?」
「セーレって呼ぶまでこの部屋から出ない」
なんて面倒な奴なんだ。確かに俺はお前とか奴とかそいつとかあいつとかそういう呼び方しかしていなかったけど。でも親しくもないのに名前呼ぶってどうなんだって思っていたわけで。
今更なんだって眉間に皺を寄せて黙って立っていたけれど、向こうも向こうでドアの前から動かない。このままでは父様たちを待たせてしまう。
「早く行け、セーレ」
「……!」
「これでいいだろ」
「……ふふっ、ちゃーんとお洒落してくるからね!」
何がそんなに嬉しいのか俺にはわからないしお洒落なんてお前いつもやってんだろって思いはしたものの、それを口にする前に奴はさっきの立ち止まっていたのはなんだったんだと思うぐらいすぐにバタンと部屋から出ていった。
「二人とも昨日は一緒のベッドで寝たんだって? 仲良くなって私も嬉しいよ」
「いや一緒のベッドで寝てないから」
身支度を済ませていつもと同じように一緒の食卓に着いて、美味しい飯を食っていたら開口一番で父様はそう口にした。口の中に入れていたものを吹き出さなかったのを褒めてほしい。
「でもノラが二人が激しい夜を過ごしたって」
「そうなの、アリステア様。とっても激しくて……」
「関節技決めて暴れまわっていただけだ」
「仲良くなっていることには間違いないな」
父上まで向こう側について思わず睨みを利かせる。ただ俺に睨まれたところでどこ吹く風だ。こういう時の父上はまさに貴族って感じで駆け引きも上手いもんだから、腹が立ってしょうがない。父様は父様ですっかり向こう側だし。
「セーレ、今日は一段と綺麗だね」
「そうでしょう? 今日は頑張ってお洒落してみたの」
そこでチラッと俺を見るのはやめてほしいし、父二人もそれで察して温かい目を向けてくるのもやめてほしい。なんで俺がいつも居た堪れなくならなきゃいけないんだ。
「テオ、私は安心してるんだよ」
「え……?」
「いつも頑張っているテオを私たちは知ってるよ。でもね、年相応に遊んでほしいとも思っているんだ。もっと気を緩めてもいいんだよ? テオがね、私たちの子であることに変わりはないんだから」
「……でも、俺……そこまで出来がよくないし」
小さい頃から学習してきたわけじゃないから、他の貴族たちよりも遅れているし劣っていることは自分でもわかってる。それを取り返すためにも今がむしゃらにやらなきゃいけない。父様たちの気遣いも嬉しいしありがたいけど、俺の中ではそうも言ってられない。
寂しそうに微笑む父様にどう言えばいいのかわからなくて、思わず口を噤んでしまう。
「……かわいい」
「お前ふざけんなよ」
そんな中ぽつりとこぼされた言葉に思わず言い返してしまった。貴族だろ、場の空気を読むなんて得意だろ。なんでこのタイミングでそう言った。父様たちも目を丸めたかと思ったらクスクスと笑いだしたじゃねぇか。
「アリステア様……私、本っ当にテオにキュンキュンするんです……」
「そうか、その気持ち俺にはよくわかる」
「父上が返事するのかよ」
「み、みんなの前でやめてよね、ライ……」
ポッと顔を赤くした父様に、無駄に格好良い顔を向ける父上。このままだとノロケ始めるぞとうんざりしている俺に、そんな俺のほうにうっとりとした顔を向けてくる奴。やめてくれ、カオスだ。
急いで飯を食った俺は「お先です」と一言告げて椅子から立ち、その場から逃走した。多分その場に残っていると父二人のノロケを眺めることになる。色んな意味で居た堪れなくなる前に逃走したほうが一番いい。
「ねぇテオ」
「うわぁーっ?! びっくりさせんなッ!」
一人で廊下を歩いていたはずなのに、いつの間にか奴の顔が俺の隣にあって思わず声を上げてしまった。なんでこいつの動きはいつもサイレントなんだ。
しかも知らずしらずのうちに壁に追い詰められて、これでもかというほど更に距離が近くなる。
「諦めないからな」
奴は雄の顔でそう言いながら、服の上から下腹部を撫でる。悲鳴を上げた俺は取りあえず目の前にあった綺麗な顔に頭突きを見舞ってやった。
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