マルスとエクス
えながゆうき
第1話 マルスとエクス
その日、少年は壊れかけたベッドの上に剣が転がっていることに気がついた。
「何でこんなところに剣があるんだろう。さっきまではなかったはずだけど……」
恐る恐る剣へと近づく。見た限りではどこにでもありそうな普通の剣である。何かの革で作られた鞘は茶色く薄汚れており、柄の部分には何の装飾も施されていない。街の武器屋に行けば、きっと同じような剣がたくさん並んでいることだろう。
「だれかが窓の隙間から投げ入れたのかな? でも、それなら音がするはずだよね。それに窓は閉まっているし」
チラリと窓を見た。やはり窓はしっかりと閉まっている。そしてその窓にはこの部屋の主を逃がすまいと、立派な鉄格子が備えつけられていた。
慎重に剣へと手を伸ばす。いつの間にか額にはうっすらと汗がにじんでいた。この部屋に人がやって来るのは、一日に一度、粗末な食事を届けるときだけである。それ以外に訪れる者はだれ一人としていなかった。
どうしてこんなところに剣が? もう一度、そう思った。
『よう、相棒』
「っ!」
頭の中に突然聞こえてきた声に驚いて思わず剣を手放した。投げ捨てられた剣は音もなくベッドの上に着地する。だがしかし、賢明にも少年は声を出すことはなかった。悲鳴を上げていれば、すぐにだれかがこの部屋にやって来たことだろう。
「だ、だれ?」
かすれるような小さな声で尋ねた。しかし返事はない。そのことで少年は確信した。今しゃべったのはこの剣だ。どうやらこの剣に触れることで、会話することができるようである。
三ヶ月にも及ぶ監禁生活で人と話すことに飢えていた少年はすぐに剣を手に取った。
『まったく、いきなり投げ捨てるとか、どうかしてるぜ』
「ご、ごめんなさい。ところで、きみはだれ?」
『剣です』
「いや、そうなんだけど、そうじゃなくて」
眉をハの字に曲げて苦笑いする少年を見て、剣は先ほど投げ捨てられたことを許すことにした。
『俺の名前はエクスカリバー。エクスと呼んでくれ』
「え、エクスカリバー? 物語で読んだことがある聖剣エクスカリバーはもっとこう……」
『こまけぇことは良いんだよ! 逃げるぞ、マルス』
マルスの目が大きく見開かれた。エクスが自分の名前を知っていることにも驚いたが、それよりも”逃げる”という言葉に何倍も驚いたマルス。思わず声が出そうになったのを何とか口を押さえて飲み込んだ。
「本気なの?」
『モチのロンだよ。そのために俺はこんなところに来る羽目に……いや、来たんだ』
「なんかエクスにも色々と事情がありそうだね」
『まあ、そうだな。それで、どうするマルス?』
「もちろん逃げるさ。どうすればいいの?」
マルスはエクスを疑わなかった。いや、疑うことを放棄した。
どうせこのままここにいても自由の身にはなれない。このまま良いようにタラント王国に利用されて朽ち果てるだけである。それならば、万が一の可能性にかけた方が後悔せずに生きられるだろう。その結果死んだとしても、笑って死ぬことができるはずだ。
『何か持ち出す物があるなら準備しろ』
「ないよ、そんな物」
部屋にあるのは粗末なベッドと机とイス。机の引き出しには何も入っていない。替えの服すらなかった。身につけている服も、その辺りに住んでいる平民と何ら変わることはないのだ。いくらマルスが部屋の中を見渡しても、思い出の欠片すら出て来そうになかった。
『そうか。マルスも苦労してるな。窓から見える景色からすると、ここは一階みたいだな。良かったな。二階から飛び降りることにならなくて』
そのときのことを想像したマルスの顔が青くなった。本当にここが一階で良かった。心からそう思うと同時に、この屋敷の主である辺境伯のうかつさにマルスは感謝した。
ここはタラント王国の領土の中でも最果ての辺境の地。さすがの辺境伯も、まさかこんなところにまで助けが来るとは思っていなかった。
「どうやって脱出するの? 魔法なら使えないよ。この部屋には魔法を使えないようにする仕掛けが施されているみたいなんだ」
『試してみたのか?』
「……うん」
『本当に本当の本当?』
「……ボク、まだ魔法を習ったことがないんだ。だから使えないよ」
エクスの空気を読まない連呼攻撃に簡単に折れたマルス。十歳の子供にもエクスは容赦なかった。
さてどうするかと考えるエクス。マルスに天才的な魔法の才能があることは知っている。だが、魔法が使えないと言われている部屋で、いきなり魔法に挑戦するのはハードルが高いだろう。
それで使えるならば良し。だが使えない場合はマルスに”自分は魔法が使えない”というトラウマを植え付けることになりかねない。そうなると、今後の魔法の習得に問題が生じるかも知れない。
それに魔法で壁を吹き飛ばせば脱走したのがバレバレである。できることなら逃亡が発覚するまでの時間を稼ぎたい。
『よし、それじゃ、あの鉄格子を切って、窓から逃げるぞ』
「エクスは本当に聖剣エクスカリバーだったんだね」
『ま、まあな。それよりも、俺一人の力では無理だ。マルスの力がいる。お前の力を俺に貸してくれ。その代わり、俺の力をお前に貸そう』
「何でもするよ、エクス」
まずはベッドの上にある寝具を窓の下に持っていく。粗末で薄っぺらい寝具だったので、年齢の割に体の小さなマルスでも余裕を持って運んでいくことができた。念のため、枕や掛け布団も積み重ねる。
『これで鉄格子が下に落ちても大きな音はしないはずだ。抜け出したことがすぐに発覚することはないだろう』
「これで少しは時間を稼ぐことができるかな? 次はどうするの」
『これからマルスに”斬鉄剣”を教える。心して身につけるように』
マルスの動きがピタリと止まる。そのままエクスをジッと見つめた。その顔には困惑の色がハッキリと浮かんでいた。聖剣エクスカリバーは何でも切ることができるすごい剣だと思っていたのに、もしかして違う? そんなことを言いたそうな顔だった。
「斬鉄剣って何? いや、それよりも、ボクが身につけるの?」
『鉄を切り裂くことができる剣技だな。マルスが身につける』
「一体どうやって」
ますます困惑するマルス。だがエクスはいたって真面目に言っているようだった。今も自信ありげにフッフッフと笑っている声が頭の中に響いている。
『俺は今、マルスの頭の中に直接語りかけている。つまり、俺の意識の一部がマルスと共有されていると言うことだ。ここまでは分かるな?』
「うん。あ、分かったよ。その共有されている意識を使って教えてくれるんだね」
『その通り。それじゃ映像を送るぞ』
「え、ちょっと、まだ心の準備が……なるほど、これが斬鉄剣」
エクスから共有された”袴を着た男が自動車を刀で真っ二つにする映像”を見て何かコツをつかんだマルス。立ち所にその剣技を習得した。
うまく行ったと思う反面、そのあまりの速さに舌を巻くエクス。事前情報をもらっていたとはいえ、さすがにチートが過ぎると思わざるを得なかった。
『よ、よし、これでこの部屋ともオサラバだな』
賢明にも、エクスはこれ以上考えることを放棄した。マルスは神のいとし子。何だって許される。そう思うことにした。
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