第12話 おデブ君は今日も無自覚にモテる

「美味しかったぁ……」


 ほっこりと、幸せな気持ちで凜は呟いた。


 こんな気持ちになったのは何年ぶりだろう。


 思い出せないくらい久しぶりに、凜は満腹になった。


 全身を苛んでいたイライラは、綺麗さっぱりなくなっていた。


 惨めさも、自己嫌悪も、全ての嫌な気持ちが気にならなくなっていた。


 消えたわけじゃない。


 今も確かにそこにある。


 けれど、今だけはどうでもいい。


 だってこんなに幸せなんだから……。


 凜は夢見心地だった。


「いっぱい食べたね」


 仁の声で夢から覚めた。


 ハッとして手元を見ると、お弁当箱は空っぽだった。


 ゾッとした。


 あんなに沢山あった揚げ物を。


 それも、人様のお弁当のおかずを。


 凜は一人で平らげてしまった。


「ご、ごめんなさい!? 私、つい……」


 また泣きそうになった。


 やっぱり私は醜いおデブちゃんだ。


 なんて意地汚い女なんだ。


 浅ましい豚じゃないか。


 そんな姿を仁に見られた事がどうしようもなく恥ずかしい。


「美味しかった?」


 ニコニコしながら仁が聞く。


 おデブちゃんのくせに、おかずを食べられても怒った様子は全くない。


「……それはもう、とっても……」

「お腹いっぱいになった?」

「……恥ずかしながら……」

「元気出た?」

「……お陰様で……」

「ならよかった」


 それだけらしい。


「怒らないんですか?」

「なにを?」

「なにをって……。私、細田君のお弁当食べちゃったんですよ?」

「そのつもりだったから」

「でも、全部ですよ!?」

「いい食べっぷりだったね。見てて楽しかったよ」


 トゥンク。


 お腹の魔物が左胸に宿って檻を揺らした。


「……大食いの女なんか、恥ずかしいだけです……」

「僕のお母さんはもっと食べるけど」

「……すみません。今の言葉は訂正します」

「うん。いっぱい食べてる委員長、可愛かったよ」

「へ、変な事言わないでください!?」

「本当の事を言っただけだけど」


 耐えられなくなり、凜は布団で顔を隠した。


「変な委員長」

「……変なのは、細田君です」

「そうかなぁ」

「……そうですよ。私みたいな嫌な女に、こんなに優しくするなんて」

「僕はそうは思わないけど。それより、ごめんね」

「……なにがですか」

「本当は委員長がお腹空いてるの、気づいてたんだ。僕がお昼食べてるの、いっつも羨ましそうに見てたから」

「……すいませんでした。細田君が、あんまり美味しそうに食べるので、つい……」


 布団の向こうで、凜は火が出そうなほど顔が熱くなった。


「それは別にいいんだけど。もっと早く声をかけてたら、こんな事にはならなかったと思うから。ちょっと反省。余計なお世話かなと思って、遠慮しちゃった」

「……それが普通ですよ」

「でも、委員長は無視しないで僕の事庇ってくれたでしょ?」

「……それはまぁ、委員長なので」

「だからお返し。他の人達も心配してたよ」

「……嘘ですよ。みんな、私の事をウザいと思ってるんです」

「そんなことないと思うけど」


 そこで会話が途切れた。


 そのまま黙っていたら、仁が帰ってしまう気がした。


 嫌だった。


 凜は必死に話題を探した。


「し、白玉さんはいいんですか? いつも、一緒にお昼食べてるじゃないですか」

「うん。だから後で謝らないと。折角唐揚げ作って来てくれたのに、貰うだけ貰って出てきちゃったから。悪い事しちゃった」


 どうやら仁は、胡桃から貰った唐揚げをおかずにしてお弁当を食べたらしい。


 机の上に、ほんのり唐揚げの匂いのする空のお弁当箱がのっていた。


「……白玉さんとは、どういうご関係なんですか?」


 どういうわけか気になった。


 そのくせ、答えを聞くのが怖かった。


「どういうって、ただの友達だけど。料理にハマってて、味見をお願いされてるんだ」


 僕じゃあんまり力になれないけどね。


 そう言って、仁はニコニコ笑った。


 改めてみるといい笑顔だった。


 こんなにぶくぶく太っているのに、全然醜くない。


 むしろ可愛い。


 身体の中にみっちり幸せが詰まっていて、太陽みたいに周りをポカポカ照らしているように見える。


 下手をしたら、格好よくさえ思えてきた。


 当然だと思った。


 見た目はこんなに痩せて綺麗になっても、凜は醜いままなのだ。


 なら、どれだけ太っていても、心の美しい仁が格好良く見えるのは不思議じゃない。


 人は内面なのだ。


 仁を見て、凜はそう結論付けた。


 そして、心から尊敬して憧れた。


 自分も彼のように本当の意味で美しい人間になりたい。


 もっと彼と仲良くなって、話を聞いて、色々学びたい。


 凜は生真面目な女の子だった。


 でも、今のままでは無理な話だ。


 だって凜は、友達ですらないのだから。


 その事を思うと、凜はとても悲しくなった。


 どうすればいいのかは分かっている。


 でも、そんな勇気はない。


 お腹を空かした、惨めで醜いいつもの自分なら。


「あの、細田君……」


 自分でもびっくりするくらい、あっさり声をかけられた。


 満腹って気持ちいい。


 身体に元気が漲って、何でも出来るような気分になる。


「なぁに、委員長」

「……その、私は友達がいないので……細田君が嫌でなければ、お友達になって欲しいのですが……」

「僕も友達少ないから。よろこんで」


 仁なら断らない。


 そんな風に思っても、やっぱり聞くのは緊張した。


 そして、聞いた途端にものすごく元気が出た。


 元気になりすぎておかしくなりそうだ。


「あと、委員長はやめてください。と、友達ですから」

「そうだね。じゃあ、一さんかな?」

「で、出来れば、下の名前がいいかなと」

「じゃあ、凜さん?」

「……はい。私も、仁君と呼んでもいいですか?」

「好きに呼んでいいよ」

「では、仁君で……」


 お腹の底がうずうずして、凜は布団を抱えた格好で振り子みたいに左右に揺れた。


「あと……今更なのですが、ご馳走様でした。お弁当、とっても美味しかったです」

「うん。お母さんに言っておくよ。きっと喜んでくれるから」

「そ、そうですか……。あと、その、気を使っていただいて、ありがとうございました。ものすごく、助かりました……。その、不安で、心細かったので……」

「お腹が空いてると特にそうだよね。これからは、もうちょっとちゃんと食べた方がいいんじゃないかな?」

「……そうします」


 あんなに拘っていたダイエットが、仁に言われた途端どうでもよくなった。


「もう大丈夫かな?」

「もう一つだけ!」


 ぎりぎりまで仁と居たくて、思わず大きな声が出た。


 お腹がいっぱいになった途端、凜は欲張りな女の子になってしまった。


「その……もう一度二の腕を触らせて貰いたいのですが……」


 それを聞いて、仁は「あははは」と笑い出した。


「凜さんも好きだね」


 その「も」が胡桃を指している事に気づいて、凜はムッとした。


 モチモチしたら、仕方ないと思った。


 こんなの、誰だって好きになる。

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