寝台列車とゴリラと会社員。~長い夜のお話~

古びた望遠鏡

第1話

俺は何のために働いているんだろう。酔った頭でふとそう思った。忙しい日々で生きる理由なんて考えている暇もない中で何故かこの日だけは自分自身について考えた。


 考えたって意味のないことであるのは知っている。でも脳が勝手に思考を始める。まるで誰かに操られているように。


 今立っている駅のホームで身を投げ出したら人生はゲームオーバーだ。何もかもが終わり、俺という人間もこの世界から消え去ることになる。


 別に俺は自殺願望があるわけではない。ふとそう思っただけだ。少し酒が入りすぎたのだろうか。こんなことを考えるなんて。


 夏の深夜の熱気はひどく、少し汗もかいてきた。早く電車に乗りたい。そしてどこかへ行ってしまいたい。


 終電を待っていると俺の目の前には一両のみの電車が停まっていた。とても小さくて年季も入っている。こんな古びた列車なんかあっただろうか。頭の中で思い出そうとしてもアルコールがそれを阻む。

 

「まぁいっか。この電車で。」

 

 俺の足は古びた電車のドアへ向かっていた。ドアは自動ではなく、手動でその上サビており、たいそうかたかった。

 ギーギー音を立てながらようやくドアを開けて、ドアを閉めた。少しすると列車は動き出した。行き先はわからない。でもそんなことどうでもよかった。むしろ行き先がない電車の方が居心地もいい。俺は座席へ向かった。



 

 座席は全て前を向いており、誰もいないように見えた。無人の電車というのは初めてで少しの興味と楽しさがあった。

 日々誰かに気を使いながら過ごす時間が多すぎた俺にはいい治療薬なのかもしれない。

 

 席を一通り見ながら前へ進んでいくと、クシャクシャと咀嚼音が聞こえた。誰かが近くにいる。

 

 そう思い、席を丁寧に見て回った。座席を一つ二つと見ていき、一番前の席に来た。


 不安と恐怖がある中で驚くべきものを見た。そこにはなんと座席に座るゴリラがいた。それもリクライニングを少し倒し、器用に箸を使って弁当を食べている。顔がゴリラなこと以外、人間となんら変わりはない。

 

 ゴリラは俺が向ける驚愕の眼差しに気づき、箸を止めた。彼もまた俺を見て驚きを隠しきれていない。お互い何も言い出せず俺らは見つめあった。

 

 数秒後我に返った俺は後方のドア近くへ爆速で逃げた。ゴリラがいるのと器用に飯を食べる姿を見て逃げ出さない者がいるだろうか。座席を盾にしながら隙間から様子を見る。

 

 しばらく待っているとゴリラが立ち上がってこちらへ向かってくる。そしてゴリラはなんと二足歩行で近づいてくる。一歩一歩しっかりと踏み込んでこちらへ向かうゴリラを見て俺の額に冷えた汗が滴る。またゴリラが歩くと電車の床もそれに合わせてミシミシと音を立てる。

 

「ミシミシ ミシミシ ミシミシミシミシ」

 

 近づくにつれて大きくなる音。俺は頭を抱えて視界を覆った。何をされるかわからない恐怖はとんでもないものだ。これが夢であってほしい。いや夢なのだろうと自分を信じさせる。


 そしてついに足音がなくなり、俺は顔を上げると目の前には顔がしわくちゃのゴリラがこちらを見ていた。俺は終わったのかもしれない。もしくは悪い夢だ。最近疲れていて変な夢を見るようになったに違いない。そう考えていたのだがゴリラの口は突然動いた。

 

「あの。すいません。何もしないんで大丈夫ですよ。ただのゴリラなんで。」

 

 ゴリラはとても低い声でまた少し笑ってみせた。また顔には米粒がついていてどうも俺を襲う怪物には見えなかった。どちらかというとフィクションの世界で擬人化した動物のようだ。俺の汗はすぐに引いていった。

 

「すいません。ゴリラが列車に乗っててビックリしたものですから。あなたはどこから来たのですか?どうして会話ができるのですか?」

 

「それは僕もわかりません。この電車に乗ってからというもの歩くことができたり、箸を使って食べることもできる。不思議な夢のようです。」

 

 ゴリラは嬉しそうに語った。ゴリラに電車に乗った経緯を聞くとなんと彼は動物園から脱走したのだという。そして遠くへ行くために電車に乗ったという。

 

「してあなたはなぜこの電車に?」

 

 ゴリラは逆に質問をしてきた。ゴリラに質問されるのはこれが人生で初めてで最後だろう。

 

「俺は居酒屋から自宅へ帰るために乗ったんです。酒も入ってて電車を間違えたみたいで。」

 

「そうですか。それは災難でしたね。でも僕はあなたと話せて嬉しいです。会話をするというのはここまで気持ちを楽にするとは思いませんでした。」

 

「あなたはなぜ脱走なんかしたんですか?」

 

 この質問をするとさっきの笑顔は消えて顔に影がさす。心なしかシワも増えている。ゴリラは脱走の理由をゆっくりと語り出した。



 ――――――――――


 ゴリラはこの近くの動物園に住んでいて単独で脱走したという。この近くの動物園といえば自由な動物園として有名で動物も他の所より自由があるとして評判だった。待遇もいい動物園からなぜ脱走したのか。

 

「見られることに疲れたんです。そして動物園にいるゴリラとしての役目に嫌気がさしたと言いましょうか。別に計画的に脱走したのではないのです。」

 

 ゴリラは脱走の理由をこう答えた。俺はこの答えに衝撃を受けた。動物園にいる動物にも見られることによるストレスがあることに。またゴリラは続けた。

 

「動物園はとてもいいところです。僕は野生から連れてこられたゴリラですが、居心地という点では野生よりはるかに良い。人に見られるだけで生活できるのですから。でもある日思ったのです。これは与えられてる自由だと。別に野生に戻りたいわけではないのです。どこか遠くへ行ってしまいたい。ただそれだけです。」

 

 ゴリラはこの後動物園のことや日々の生活のことについて話してくれた。ゴリラはとても楽しそうに話している。俺もまた誰かと二人で長く話すことは親以外いなかったので嬉しかった。

 

少し他愛もない会話をした後、ゴリラは人間はどんなことで悩むのか気になると言った。普段の俺なら誰にも打ち明けないが、今日この場だけは偽ることをやめた。

 

「実はずっと夢がありまして。それを追い続けているのですが、なかなか叶わず心が折れかけているのが悩みですかね。」

 

「夢ですか。」

 

 ゴリラはそう言うと口を閉じた。どこかここではない遠くを見つめている様子だった。それにつられて俺も遠くを見る。しかしそこには窓に反射して映った偽りの自分がいただけだった。




 ――――――――――


しばらく沈黙が続き何かしゃべらなければという意識がはたらく。会話をしようとした時、車内アナウンスがそれをさえぎる。

 

「まもなくこの寝台列車は長いトンネルに入ります。お客様には大変迷惑をかけますがご了承ください。加えて見つめてください。自分自身を。」

 

 抑揚のついたアナウンスがはなにつくが、最後の自分自身を見つめるとはどういうことだろう。ゴリラに聞こうとした途端、耳がキーンとした。どうやらトンネルに入り始めたみたいだ。


 乗り物酔いはしない方だが、今夜ばかりは頭が痛い。脳の奥にズキズキとくる刺激は俺の忘れようとした過去に突き刺さる。俺は目を閉じた。



 ――――――――


 目が覚めると頭痛は消えていた。しかし耳鳴りは依然として続く。ゴリラの様子を見ようと首を向けると涙を流していた。


 ゴリラは下を向きただただ泣いていた。顔はくしゃくしゃだったが、さっきのゴリラとは見違えるほど明るかった。別に楽しそうでも嬉しそうでもなく、辛く悲しそうな顔なのだが、第一印象の「暗さ」が消えた。

 

「ゴリラさん。どうしたのですか。」

 

 優しく俺は聞く。ゴリラは豪快に鼻をすすり、涙声で言った。

 

「過去を見たんです。記憶としてではなく、第三者として自分の過去を見たんです。僕は殺人ゴリラです。双子の兄とその恋人を殺した。」

 

 ゴリラはゆっくりと自分の見た過去を話し出した。



 ――――――――――


 僕はもともと自然のゴリラだった。大自然の中で生まれ、父と母にも愛情たっぷり注がれて育てられた。


 僕には双子の兄がいた。兄とはどこへ行っても一緒で共によく遊んだ。ケンカをした時もたくさんあったが、最後は兄が優しく抱きしめてくれた。


 兄は運動もできて頭も良い。そんな兄に僕は憧れていた。いつか僕も兄みたいになりたい。そして兄を超えたい。これが小さい頃の夢だった。

 

 月日も経ったが、兄とは仲良しだった。食べ物を探しに行くもの一緒だった。


 ある日いつもの様に食べ物を探しに行くと一頭のメスがいた。木のみを集める姿はとても美しく、僕は初めて恋をした。この娘と仲良くなりたい。そう思ったものの兄の後ろについてきた僕は恥ずかしがり屋で話しかけることはできなかった。あの娘が好きなのは確かなことなのだが、どうも体が動かない。


 しかし時間は刻一刻と迫っている。誰かに取られてしまう可能性が高いのはわかっていた。そして僕は人生の中でもっともショックを受けた場面に遭遇する。

 

 あのメスゴリラを見てしばらく経った日、いつものように兄と食べ物を探しに行こうとすると兄はいなかった。


 先に行ったのかと思い、山へ探しに行くと雨が降ってきた。さっきまで晴れていたのが一面曇り空になり、帰ろうかと思ったとき僕は山の少し開けたところに二頭のゴリラを見つけた。


 そして目を疑うことにそのゴリラは兄とあの娘だった。僕は驚くと同時に身を隠し、彼らをじっと見ていた。すると雨の中彼らは抱き合い、キスをしていた。兄の強引な行動に身を任せたあの娘。彼らは雨なんか気にせず愛し合った。僕は混乱とショックの中で山を降った。

 

 山を降り終えたところで僕は泣いた。降りしきる雨に負けないくらい泣いた。声を大きく荒げて泣いた。


 そして芽生えた心は悲しみでもなければ悔しさでもない。たったひとつの芽生えた心それは彼らに対する殺意だった。

 

 僕は彼らをストーカーした。バレないようにこっそりと跡をつけては記録して行動パターンを予想していった。そして一つの行動が予想できるようになった。それにより僕は計画を立てた。




 ――――――――――――


数日経って僕は彼らを殺した。殺し方は至ってシンプルな落とし穴だ。通行ルートに罠を仕掛けて引っかかったことを確認して作った槍で串刺しにした。兄は死ぬ間際こんなことを言った。

 

「なんで……こんな……ことを。お前はそんなやつじゃないんだけど……」

 

 この時は僕のことなんて一ミリも分かってなかったじゃないかと憤った。しかし今考えてみると彼の最後の兄としての優しさだったのかもしれない。


 恨みの言葉を言おうと思えば言えたはずだったのに彼は最後に弟を否定しなかった。彼は最後までいいお兄ちゃんだった。




 ――――――――



ゴリラは話し終えてまた一段とすっきりとした顔をしていた。今まで溜め込んでいた兄に対する気持ちを吐き出せた感じであった。

 

「僕はこんなものを見ました。もしかしたらこのトンネルは過去との対話ができるのかもしれませんね。」

 

 過去との対話。ずっと考えてこないようにしてきた過去。誰にでもあるものだろう。こんな俺にも。



 ――――――――



 数年前、俺は高校生だったのだが友達がいなかった。別にいじめを受けていたわけではない。だが、なんか話しかけにくさがあったのだろうか。


 俺はいつも一人だった。一人で行く全校集会。一人でやる体力テスト。一人で食う飯。別に嫌いなわけではなかった。しかし日々に物足りなさを感じていたのは事実かもしれない。

 

 そんなある日俺は彼と出会った。彼はサトルといって彼もまたボッチだった。彼の家は大金持ちで全校中が知っている有名人だった。しかしそれが原因で密かにいじめを受けていたのは知っていた。

 

 そんな彼が俺に話しかけてきた。当時の俺は戸惑っていた。なにせ彼にはいろいろな噂も立っていたもので親が裏の世界とつながっているとか裏口入学やらといった黒い噂があった。

 

「君はいつも屋上にいるのかい?」

 

 これは彼との会話の第一声である。俺はこれを機に彼と仲良くなった。始めは屋上でなんでもない会話をしていただけだったが、いつしか二人で行動することが増えた。担任からもサトルを頼むと言われた。どうやら担任もいじめについて認知していたらしい。


 俺はサトルの家へ遊びに行ったり、逆に俺の家にサトルが来たりとますます仲良くなった。現に俺も物足りなさを感じていた日々から逃れられたことを嬉しく思っていた。しかし悲劇がおこる。いや悲劇ではなく必然だったのかもしれない。

 

 ある日俺は普段しゃべらないグループに呼ばれて屋上に行った。呼ばれた時点で何かあるのは感じていたものの断る勇気など当時の俺には存在しなかった。屋上に上がるとそこにはサトルがいた。

 

「来ちゃダメだ。」

 

 サトルは俺を見た途端大きく叫んだ。しかしこの後サトルはそこにいた男子5人にボコボコにされた。サトルの顔は腫れ上がり、服も破けていた。

 

「どうしてこんなことをする!」

 

 俺はサトルより大きな声で叫んだ。すると屋上の一番高いところにいたリーダーらしき男子が俺の元にきて思いっきり顔を殴った。

 

「目障りなんだよ。お前もアイツも。だから殴る。」

 

「めちゃくちゃだ。そんなの。」

 

 「でも証拠は残らない。それに俺の家はここに大金を寄付している。この学校は俺に逆らえない。だから俺がしたいようにする。この学校は俺のものだ。」

 

 彼はその後も殴り続けた。昼休みが終わるまで。鐘が鳴ると彼らは去っていったが、俺たちは立ち上がることができなかった。


 この時の俺の中には怒りの感情が多数を占めていた。なんで俺がこんなことに。全てサトルが悪いと思った。それから俺はサトルと距離を置いた。するとサトルも俺と距離を置いた。


 しばらく日にちが経って俺は耳を疑うような知らせを聞いた。なんとサトルがあのリーダーを惨殺したのだという。頭がおかしくなりそうなニュースだが、あり得ない話でもなかった。俺も当事者として事情聴取を受けたが、特に何もなかった。俺はありのままを話した。受けた暴力、暴言等々。警察はただ頷くだけだった。

 

 そしてサトルは逮捕されて裁判になった。結果はわかっていた。殺した相手は学校のボス。相手が悪いのはわかっていたが、サトルが全面的に悪いという判決が下り、事件は片付けられた。


 そして数日してサトルは首を吊って死んでしまった。遺書らしきものには事件の本質が長々と書かれており、俺に対する記述もあったらしいが到底読むことができなかった。

 

 この時から俺は弁護士を志すようになった。サトルと同じような被害者を出さないために。しかしその夢もどこかへいってしまった。


 ――――――――――



俺の過去について話し終えるとゴリラは再び涙していた。

 

「そんな……辛い過去があるなんて……」

 

 ゴリラは俺のために泣いてくれた。俺もあの時のことを思い出して初めて泣いた。俺とゴリラは抱き合い、互いの涙を拭きあった。

 

「ゴリラさん。あなたは今、お兄さんをどのように思ってますか。」

 

「僕は今、謝りたい。兄とあの娘に。そして毎日悔やんでいたい。あの日のことを。ずっと背を向けてきた過去に正面から向き合いたい。そう思ってます。」

 

 ゴリラの目には涙はなかった。過去から未来へ向けられた眼差しは青く澄んでいた。


 その直後アナウンスが入り、トンネルを抜けたという。前を見ると光がどんどん大きくなっていく。闇から光へ変わる瞬間は今までで一番美しいものだった。

 

 トンネルを抜けた先に広がっていたのは花畑だった。一面に咲き誇る花は強く、美しいかった。そして花畑の先にはサトルがいた。サトルは手を振ってこちらを見ている。

俺は窓を開けて叫んだ。

 

「絶対弁護士になってお前を救うからな!」

 

 そう言うとサトルは満面の笑みで手を振りかした。

 隣を見るとゴリラは再び泣いており、おそらく兄が見えたのだろう。ゴリラは何か呟き、窓を閉めた。




 ――――――――――


 花畑を抜けた先のことは覚えていない。気づくと俺は電車から降りており、駅のホームにいた。あの電車はもうなくなっており、俺は日の出前の朝焼けを見て駅を出た。

 

 今日見たことは一生忘れないし、忘れたくない。きっと俺の将来に役立ってくれる気がする。これから待ち受ける苦労はこれまでの比にならないが、それを超えるほどの思いが今の俺にはある。


 ずっとサトルは待っていたのかもしれない。俺が過去から立ち上がるのを。だから今から俺はサトルの期待に応えるため歩き出す。

 


 ――――――――


 あれから数年経って俺はふとあの時のゴリラを思い出した。きっとゴリラはしゃべれないだろうし、俺のことをわからないだろう。でもこれだけは伝えたにいきたい。そう思って動物園に行った。


 飼育員さんに聞くとあのゴリラの名前はタクちゃんというらしい。ずっと大人しいゴリラだったというが、ある日を境に元気になったと飼育員さんは笑顔で語った。

 

 ついに対面の時を迎えた。久しぶりにみるゴリラは少し痩せており、歳をとったことがわかる。俺は柵の一番近いところに行き人目を気にせず叫んだ。

 

「俺は弁護士になったぞー」

 

 他のゴリラは見向きもしない中ただ一頭だけがこちらを振り向いた。そして四足歩行で近づき、俺と向かい合った。ゴリラの目には涙が流れており、顔はあの日のようにしわくちゃだ。俺はようやく言えた。

 

「ただいま。ゴリラ。」

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寝台列車とゴリラと会社員。~長い夜のお話~ 古びた望遠鏡 @haikan530

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