掌編小説・『幽霊』

夢美瑠瑠

掌編小説・『幽霊』

(これは、7月26日の「幽霊の日」にアメブロに投稿したものです)



 掌編小説・『幽霊』




 私は女が大好きだ。女というのは存在しているだけでいい。いい匂いがするし、どんな生き物よりも優美で可愛い。自分が人間の男だから本能的にヒューマンの雌性体に魅かれるのだろうか、とそうも思うけれど、万物の霊長で極めて精緻な知性を有しているホモサピエンスの場合には、本能だけではない人間の女性の美しさや魅力への高級な審美眼というかいわく言い難い美しい女性の持つなにか奇跡のような唯一無二の尊さ、そうした美への感受性、人間の女性だけが森羅万象の中で不思議な特別な存在であると、そういう女性崇拝的な認識があって、女が好きで素晴らしいというのにはそうした哲学的で本質的な?人間の女にしか存在しえないユニークな美質への感受性に裏付けられていて、美女とはつまり芸術品のような光彩陸離たる感覚の受肉?であり…大げさになったが人類という叡智人ゆえに初めて理解しうる珠玉のような値打ちが女性にはあるような気がする。




 そうして私が結婚した女も、そうした珠玉のような女だった。


 名前は珠子といって、小柄で可愛らしくて、頑是ない少女のような容姿や清純さと溌溂とした活発さ、闊達さを併せ持っていた。


 結婚生活は幸福で、毎日が新鮮な発見と感激の連続だった。


 女の一挙手一投足が、あどけない言葉の数々が、平凡な家庭生活、住み慣れた部屋や日常を虹色の輝きに彩ってくれる…ちょうどそんな按配だった。


 


 が、幸福は往々にして儚いものらしい。


 結婚して3年後に、不慮の事故で珠子はこの世を去った。

 自転車で夕飯の買い物途中に暴走トラックに巻き込まれたのだ。

 この世にはいろんなことがある。

 あってはならないことも、ありうべきでないこともしょっちゅうある。

 そうした不条理が、理不尽な運命が、私たち夫婦を襲い、幸福な生活は一瞬にして砕け散ったのだ。

 妻の死に顔は安らかで、まるで生きているみたいだった。


 私は愛妻の急逝が信じられず、受け入れることもできずに、ひたすら号泣した。三日三晩泣き暮らしたが、もう珠子がこの世にいないという残酷な現実は、結婚生活が順風満帆だっただけに衝撃的過ぎて、私は運命をつかさどるあらゆる神を呪い、罵った。

 自殺も考えたが、全てをご破算にしようというには私はあまりに若すぎて決心がつかなかった。

 …妻の死をどうにか現実として受け入れられるまでには時間がかかったが、感傷や後悔にばかり気を取られていては現実の生活に差し支えて、自分も飢え死にする羽目になる。無理矢理に気持ちを切り替えて、屍になったような気分のまま退屈な日常や仕事を再開した。


 砂を噛むような味気ない生活、珠子のいない灰色の世界…色を失った砂漠で続いていく日常…それはまさしく地獄だった。


 眠れないある日、輾転反側している真夜中に、ふと私は珠子の声が聴こえたような気がした。


 ごくか細い、小さい声で、「あなた…」という例の可愛らしい声が響いた気がした。


 死んだ女房のことばかり恋しがっているので幻聴がしたのだろうか、と、布団をかぶって眠ろうとすると、次に今度はかなりはっきりと「あなた!」と珠子の声が響いた。

 (げっ!珠子の幽霊か?この世に未練があって現れたのか?)

 私は少しぞっとしたが、私も未練たらたらで、もし幽霊でも珠子にもしまた逢えるものであれば、一目また、あの天使か妖精のように可愛い姿を見たいというのが偽りない本音だった。


 私は思い切って起き直って、「誰だ!」と呼ばわって部屋の隅の声のした方を眇めてみた。


 ああ!そこにはうすぼんやりとしてはいるが、恋焦がれてやまない、まぎれもなく愛しい珠子そのものの幻影のような「幽霊」が端然として、生前よくそうしていたように慎み深くかしずいているではないか!


 「珠子!」


 珠子はにっこり微笑んで胸の前で両手を垂らして見せて、「うらめしや~」と言った。

 珠子だ。その可愛らしい茶目っ気が如実に珠子らしさを示していて、私は微笑した。

 「なんだ。お前幽霊になっても案外元気そうじゃないか。アハハ!」

 私も、そこは夫婦の気安さで冗談を言った。


 幽霊と「打ち解ける」というのも変か知れないが、しばらくぶりで再会した珠子と私はすぐ打ち解けて、よもやま話に耽った。  


 霊界というのはこの世と存在の次元や位相が違うだけで、あちらからこちらへの移動というのはそんなに困難ではないらしい。


 珠子は気立てが優しい女だから、頼りない私のことやらが心配でたまらず、様子を見に来たくなったらしい。一心同体で比翼連理?の夫婦だったので、珠子の心境は感情移入できる。私も珠子を失ってもう生きていけず、ダメになりそうだったので、幽霊になっても自分を思ってくれる愛しい恋女房の来訪は願ってもない恩寵だった。


 「元気にしてる?ご飯食べてる?泣いてばかりじゃ駄目よ。私も泣いてばっかりだけど」

 珠子は心底心配らしく、いろいろと私のことを気遣ってくれた。

 突然に妻を失ったというあまりにも過酷な現実が、それゆえに、天の配剤で不可思議な癒しを齎してくれているのか?

 幽霊に優しい思いやりを示してもらっているというシチュエーションは、私になにか敬虔な気分を呼び起こした。


 私はだいたいに虚弱なタチで、どちらかというと醜男で、結婚とかは憧れるだけで、恋人や友達とかもほとんどいない。いたためしもない。中途半端な学歴とかがある以外にはなんにも取り柄がない。だから珠子と知り合えて、結婚してオシドリ夫婦とかになれたのは望外の幸福で、奇跡のように思っている。

 「おれは珠子がいないと抜け殻でしかない。生きていることが拷問で地獄だ。いっそもう連れて行ってくれ」

 「……。」


 珠子が死んでからずっとひと肌の温かみに飢えていたので、珠子に添い寝とか久しぶりの夫婦和合の愛戯を、かなりおずおずとお願いしてみた。


 幽霊にそういうことを頼むのはなんだか不合理というか荒唐無稽?な気もしたが、珠子は快くOKしてくれた。むしろそういうことは願ってもないくらい珠子の私への愛情は、愛惜は、深くて限りないらしい。


 幽霊との「まぐわい」はマーグワイが?いいものだった。具合がいい体験だった。次元を超えた超絶的な存在の幽霊には幽霊ならではのSEXテクニックがあり?幽霊とのSEXは極上の快楽体験だった。


 それからも、亡くなった妻との逢瀬、濃密な交情、それは毎夜続いた。


 私にとって妻は全存在で、妻にとってもそれは同様だったのだ。生木を裂かれる格好になった後に、むしろそうなるのは必然の成り行きだったかもしれない。幽霊であろうとなんであろうと、珠子は紛れもなく珠子そのものだった。


 が、毎夜の交情で私の肉体は精気を吸い取られてみるみる衰えて、私はやがて一切の社会的なかかわりや仕事の勤務とかも不可能な状態になった。


 あたかも夢魔のように、珠子は愛らしい肉体や吐息で私を誘惑して、私は性の奴隷、珠子の虜になりはてていた。


 つまり珠子はふたたび二人が一つになれる霊界に私を導きたかったに違いない。


 そのハニートラップ?に私はまんまと嵌められたのだ。


 私にも否やはなくて、また二人で幸福になれるという別天地があるなら喜んでそこに行きたい気分だった。




 ある朝、痩せこけて、ミイラのようになった私は布団の上でこと切れていた。


 


 だが、別の世界で再び永遠の存在である珠子と一つになれたという、再び至福の境地、真っ当で完全無欠な幸福の世界にトリップできたという、つまりこれこそが幸福な結末であるということは、ホトケ様の口元のほぼ完璧なアルケイックスマイルが、何よりも雄弁に表現しているのだった…




<了>


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