【1章】(2)
決意の朝
冷たい風の吹き荒ぶ、北の大地。その草原をアルマークは疾駆していた。手に愛用の長剣を持ち、身体には黒く染められた厚いなめし革の鎧を着込んでいる。彼の周りを併走する数十人の仲間たちも、同じ格好をしていた。
そして彼らが狼の群れのように凄まじい速さで走るその先に、敵の一群がいた。
巨大な馬に乗り、重厚な鉄の鎧で身を固めたその一団はしかし、アルマークたちの突進に対して何の反応も見せなかった。敵がぐんぐんと目の前に迫り、アルマークは身体にみなぎる熱い滾りを雄叫びにしてほとばしらせた。仲間たちも一斉に鬨の声を上げる。
その瞬間だった。
突然アルマークたちの足元の草が意思あるもののように動き、足に絡み付いた。足の自由を奪われた彼らに対して、初めて敵の大将が反応した。ぎろりとアルマークを見た兜の奥の凄みのある目。アルマークは彼を知っていた。ゼール迎撃傭兵団の“鉄騎士”マリスモーグ。全てを受けて立ち、決して倒れることのない男。
「刈り取れぇいっ!」
マリスモーグが叫んだ。その声と同時に、その
「う、動けぇっ!」
アルマークは自分の声で目を覚ました。窓から、昇ったばかりの朝日が差し込んでいる。
彼は反射的に飛び起き、愛用の長剣を手探りで探し、ベッドから転げ落ちてようやく自分の今の状況を思い出した。
「そうだ……ここはノルク魔法学院なんだ」
立ち上がって、乱暴にがしがしと頭を掻いてから、長剣を手に取る。
夢で見た景色は覚えていた。現実にアルマークが味わった体験だからだ。
実際にはマリスモーグとの距離は夢の中ほど近くはなく、身動きを封じられてすぐに、横合いから父の指揮する騎馬隊が飛び込んできたので大事には至らなかった。
後で仲間から、あの草の罠が魔法であることを聞いた。ゼール迎撃傭兵団は当時、魔術師を雇っていたのだ。
そういえば、あれが実際に目にした初めての魔法だった、とアルマークは思った。父は迷信やジンクスにあまりこだわらない人だったが、アルマークが初めて出会った魔法が、彼の命を奪おうとするものだったことをひどく嫌がった。敵の中に杖を持っているやつ、ローブを着ているやつがいたら真っ先に斬り捨てろ、と部下に繰り返し指示していた。
その後、戦の経過がどうなったのか、アルマークはあまり覚えていない。あの頃は毎日の戦に生き残ることで精一杯だった。
アルマークはゆっくりと剣を抜いた。無数の刃こぼれのある使い込まれた刀身の鈍い光を見ていると、次第に心が落ち着いてきた。
鞘の先の小さな出っ張りを指でいじると、かしゃっと軽い音がして、小さな赤いペンダントがこぼれるように出てきた。
シェティナ─アルマークの母の形見だ。
父からもらった当初は首から提げていたが、度重なる危難の途中でなくしてしまうことを恐れ、自分で鞘に細工して入れる場所を作った。そこが一番自分の命に近いと思ったからだ。長剣を失うときは自分が死ぬときだと思っていた。
何度も死の危険をくぐり抜ける中で、アルマークはこのペンダントに守られた、と感じることが確かにあった。
ありえない強運。
それがなければ、とてもここまではたどり着けなかっただろう。
父の長剣と母のペンダント。アルマークはずっとこの二つに守られてきたのだ。
「着いたんだよ、父さん。……母さん」
がちゃ、と音がした。ドアを開けて入ってきたのはジードだった。
「おはよう、よく眠れたかい? ……うわ、物騒なものを持ってるなあ」
「あ、おはようございます、ジードさん」
そう言いながらアルマークはすばやくペンダントを鞘の隠し場所に押し込むと、剣を収めた。
「朝ごはんを持ってきたよ。今晩からは下の食堂でみんなと一緒に食べてもらうことになるけど、今朝はまだ席がないんだ」
「あ、いい匂いですね」
アルマークは朝食の載ったトレイを受け取り、ベッドに腰かけた。
「いただきます」
朝食を素早く手際よく、口に入れる。ほとんど味わっているようには見えなかった。
「ごちそうさまでした」
ほんのわずかな時間で朝食を食べ終えると、アルマークは勢いよく立ち上がった。
「顔を洗って寝癖を直したいんです。初日はちゃんとしないと。水場はどこにあるんですか」
「寮の中にも洗面所はあるけど、一番手っ取り早いのは……ほら、あそこだ」
ジードは窓から下を指差した。なるほど、そこに大きな井戸が五つも並んでいた。
「本当だ。ちょっと行ってきます」
アルマークはジードの持ってきてくれた服に手早く着替えると、部屋の外に出た。
駆け足で階段を下りる。一階の、玄関からすぐの大きな部屋から子供たちの笑い声が聞こえてきた。
ここが食堂なんだな、とアルマークは思った。そっと覗き込むとたくさんの子供たちが喋り、笑い合いながら食事をとっていた。一瞬、彼はそこでたくさんの友達に囲まれて食事をしている自分を想像して、そのあまりの現実感のなさに苦笑した。さあ、僕は今僕にできることをやろう。
井戸には先客がいた。アルマークと同い年くらいの、はっと目を引く整った顔をした少女だった。腰まで届きそうな艶やかな黒髪を丹念に洗っている。
「おはよう」
アルマークが声をかけると、少女はちらりと彼を見た。勝気な目をしていた。
「あなた、誰? 見ない顔ね」
きれいだが、冷たい声。
「昨日、ここに着いたんだ」
「……ああ。それじゃ、やっぱりあなたが編入生なのね」
少女はつまらなそうに目を伏せた。
「僕のことを知ってるのかい」
「昨日から、その噂で持ちきりよ。編入なんて、ここ何十年で一度もなかったって言うんだから。どんな素敵な人が来るのかってみんなわくわくしていたのよ。でも、そう。あなたが編入生なの」
少女は明らかにアルマークに興味を失ったようだった。
「期待はずれで残念だったね」
アルマークはさして気に留めず、井戸から水を汲み上げ、ばしゃばしゃと顔を洗った。冷たい水が心地いい。
「僕、アルマーク。君は?」
「レイラよ。レイラ・クーガン」
姓を持っている。やはり貴族の娘なのだ。
「みんな朝ごはんを食べているみたいだけど」
寝癖を直しながらアルマークは言った。
「君はいいの?」
「朝は少しでいいのよ」
「ふうん。怒られたりしないのかい」
「マイアさんに見付かるとうるさいけど。あの人は、いるの最初だけだから」
「ふうん」
「もういい? 聞きたいことがあったら、後でほかの人に聞いて」
レイラはそう言うと、そっぽを向いてしまった。アルマークも黙って髪を整えると、部屋に戻った。
部屋に戻ると、ジードが壁に立てかけられた長剣をしげしげと眺めていた。アルマークが帰ってきたのを見て、
「ああ、お帰り。すごい剣だよね。僕は剣とかには詳しくないんだけど、これっていわゆる業物みたいなやつなのかい」
と尋ねてくる。アルマークは首を振った。
「僕も分かりません、父にもらった剣なので。いろいろと無理な使い方はしましたが折れずに済んだので、頑丈にはできています」
ジードは、無理な使い方ね、と呟き、改めてアルマークの顔を見た。
「ちょっと疲れた顔をしているね。下で何かあったかい?」
「……下で、女の子に会いました」
「へえ、誰だい」
「レイラ……レイラ・クーガンって言ってました」
「レイラか」
ジードは目を見張る。
「ちょっときつい子だっただろう」
「ええ」
アルマークは素直に頷く。
「編入生が僕でがっかりしたって言ってました」
「そうか、ははは」
ジードは朗らかに笑った。
「最初に会った女の子がレイラか。災難だったなあ。ウェンディだったらよかったのにな」
「ウェンディ?」
アルマークは初めて聞く名前に反応した。
「誰ですか、ウェンディって」
ジードは答えようとして口を開きかけたが、外から鐘の音が響いてきたのに気付き、顔色を変えた。
「しまった、もうこんな時間だ。急いで制服のローブに着替えてくれ。もう校舎に行かないと」
分かりました、と答えてアルマークは濃紺色のローブを羽織った。ジードに急かされるので感慨にふける暇もなかったが、生まれて初めて身にまとう魔術師のローブに、アルマークの胸は高鳴った。
魔法を操る者。見えない力を行使する者。世界の深淵にふれる者。
魔術師。
北にいた頃は、アルマークにとって魔術師は、ただの厄介な戦い方をする陰険な連中という程度の存在だった。だから最初に父から、お前はいずれ魔法を学べ、と言われたときには愕然とした。独学で剣の訓練を始めたのも、それが一番の理由だ。自分が剣技を磨き強くなれば、父も気を変えるのでは、と思ったのだ。
父に認められ戦場に出てからも、傭兵を続けることに迷いはなかった。周りは全員が傭兵だ。それ以外の生き方など考えられなかった。自分は剣で生きていける。その自負も芽生え始めていた。
だが、父は意思を変えなかった。
旅立ちの前日、父の話を聞き、その目を見た。アルマークはそこで、傭兵としての自分の未来を諦めた。
傭兵団に未練はあった。それは間違いない。だが、それ以上に父の希望を叶えたかった。尊敬する父から、大した息子だと思われたかった。
魔術を学ぶ。魔術師になる。それは自分にとって全く未知の事柄だ。だが、自分が未知のものを畏れている臆病者だとは父に思われたくなかった。自分は勇敢な傭兵レイズの息子であり、父譲りの勇敢さは魔術師の世界であろうと通用するのだということを見せたかった。そして、父に自分を誇ってほしかった。
しかし、旅の間にアルマークの魔術師への認識は大きく変わった。北の魔術師が使っている破壊の魔法など、広大な魔法の世界のごく一部に過ぎないことを知った。
南の国々は魔法の本場だ。人々の暮らしに魔法が深く根差している。
自分も魔法を使いたい。進んだ南の魔法を北に持ち帰りたい。
父の希望であるという以外に、自らの意思でそう思うようになった。
ジードに急かされ、アルマークは寮の外に出た。彼の後について、校舎まで早足で歩く。ばさり、ばさりと足に絡みつくローブの感覚が新鮮だった。
僕は魔術師になる。
アルマークは思った。
僕は魔術師になるんだ。
三年二組
校舎へ向かう道は、昨日もジードと並んで通ったばかりだった。けれど、朝の光に照らされた道は、昨日とはまるで違う顔を見せていた。
これから始まる新たな生活に対する希望。この道の先に、それが具体的な形を持って待っている気がした。
「楽しみですね」
アルマークは前を歩くジードに言った。
「僕、学校みたいなところに通うのは初めてです」
「うん」
ジードは少し振り向いて、小さく頷く。
「きっと、楽しいよ」
だが、その表情が強ばっているのにアルマークは気付いた。
「どうかしましたか」
アルマークの問いに、ジードは驚いたように彼を見返す。
「え、何がだい」
「何か、考えていることがあるみたいですね」
アルマークは言った。
「そういう顔をしています」
「ああ……」
ジードは一瞬苦笑して、それから自分の頬を両手で叩いた。
「僕は、すぐ顔に出るからな」
そう言うと、硬い表情でアルマークに切り出す。
「こんなことは、本当は言いたくないんだが」
「何でしょうか」
「君のお父さんの仕事ね……傭兵というのは、ちょっとこの国では聞こえが悪いと思うんだよ」
「傭兵が、ですか」
「この国ではもう百年も戦が起きていないんだ。戦いといえば、辺境にときたま現れる魔物とのものくらいだしね。だから南の人は戦をやめない北の人々を野蛮人かのように蔑んでいるような傾向が……あ、いや」
“野蛮人”という言葉に反応してアルマークの目がふっと鋭くなったのを見て、ジードは慌てて手を振った。
「もちろんそんな人ばかりじゃないんだろうけど、一般的にはそういう傾向にあるんだ。特に“傭兵”に対する印象はね」
「でも、中原からやってきた傭兵団もいますよ」
「現実にはそうかもしれない。でも、こっちの普通の人たちは実際の北の状況を知らない。僕も含めてね。みんな、北の人たちが勝手に殺し合っているだけだと思っているんだ」
「……」
確かに南の国を旅してきて、人々のそういった考えにはアルマークもいやというほど触れてきていた。
自分たちは戦争なんかとは無縁である。戦争なんてするのは文明の次元の違う愚かな野蛮人だけだ。
確かにそれは幸せな考え方ではある。殺し合いをせずに生きていけるならそれに越したことはないのだから。しかしその考え方に同調するということは、自分の父、レイズの生き方を否定するということだった。アルマークにはそれはできなかった。
「けれど僕は」
アルマークは言った。
「僕は、やっぱり傭兵の、〝影の牙”レイズの息子です」
ジードは困ったように頭を搔いた。学院長も酷な任務を与えてくれるものだ。
確かに父の職業を隠してまで如才なく振る舞えというのは十一歳の子供には少し無理な注文だと思えた。かといって、ばらしてしまえば彼は奇異、軽蔑の視線に晒されることになるだろう。
それだけならまだいい。ノルク魔法学院も王立の施設である。いくら生徒の出身の貴賤を問わないとはいえ、現在の大陸北部の情勢やかつての北出身の卒業生たちの現状を考えても、北の傭兵の息子であることを公言させるのは憚られた。かつての北出身の卒業生たちですら、一応は皆貴族の子弟であった。それすらも近年は受け入れていないのだ。
事実、入校関係の書類には、ヨーログの指示でアルマークの父の職業は鍛冶屋と書かれていた。
「うん、君が納得いかないのも分かる」
ジードは自らも苦しそうに頷いた。
「でも、それを言ってしまうと、この学院にはいられなくなってしまうんだよ」
アルマークは唇を嚙んだ。こういう決断を迫られるとき、必ず彼は別れの夜の父の言葉を思い出す。
『頭を使え、アルマーク。何をどうするのか、どうすべきなのか、俺に頼らずに自分で考えてみるんだ』
アルマークはもう一度強く唇を噛んだ。
父さん。僕は父さんの息子であることを誇りに思っている。傭兵の息子だからってばかにするやつは誰であろうと許しはしない。だけど……
アルマークは厳しい旅の中で、学んでいた。自分の感情に従うだけでは、欲しいものなど何一つ手に入りはしないということを。
ごめん。ごめんよ、父さん。
「分かりました」
アルマークは頷いた。
「父のことは黙っています」
その穏やかな表情に、かえってジードの方が戸惑った顔をした。
「そうか。すまないね」
ジードは申し訳なさそうな、ほっとしたような複雑な表情で言った。
校舎の玄関の前で、若草色のローブをまとった若い女性が二人を待っていた。
「あっ、君の担任はフィーア先生か」
ジードが声を上げた。
「いいなあ、ちきしょう」
そう言って体をくねくねとさせるジードからアルマークが少し身体を離したとき、その女性が優しい笑顔を浮かべて声をかけてきた。
「はじめまして、アルマーク君ね」
「はい」
アルマークは頷く。
「私はフィーア。あなたの編入するクラス、初等部三年二組の担任よ」
「アルマークです」
アルマークは名乗った。
「よろしくお願いします」
「それじゃあ、フィーア先生。後はよろしくお願いします」
アルマークの後ろでジードが頭を下げた。
「あっ、はい。どうもご苦労様でした、ジードさん」
「いえいえ。それじゃあアルマーク君。僕はいつでも正門にいるからね。何か相談事があったらいつでもおいで」
「はい。いろいろとありがとうございました」
アルマークはジードと握手を交わした。
「さあ、行きましょう。教室はこっちよ」
アルマークはフィーアに促され、校舎の中に足を踏み入れた。
フィーアは教室へ向かいながら、手際よく簡潔に初等部について教えてくれた。初等部は三年制で各学年三クラス、一つのクラスは約十五人。初等部では基礎的な一般教養を学びながら、初歩の魔法技術と知識とを併せて身に付ける。
「三年生ともなれば、初歩とはいっても、もうみんなある程度の魔法を使いこなすわ。でもあなたは焦る必要はないからね。学院長から、あなたには素晴らしい魔法の才能があると伺っています。必ず魔法を使えるようになるから、じっくりと取り組んでいきましょう」
フィーアの言葉にアルマークは、はい、と素直に頷いた。
「今までは十五人だったから、二人ペアを作るとき必ず誰かが余ってしまったけれど、これからは十六人になるからよかったわ」
フィーアはそう言って微笑む。
校舎の三階。廊下に並んだドアの一つの前でフィーアが足を止める。
「ここが教室よ。さ、入って」
促されるままにドアを開ける。明るい日差しが差し込む、簡素な作りの教室だった。アルマークが中に入ってくるのを十五人の生徒たちが興味津々といった様子で見守っていた。
アルマークは人前に立つことには慣れていた。中原を旅していた頃、旅芸人の一座に加えてもらい、天才少年剣士という触れ込みで剣を振るったこともあった。
教壇の脇、フィーアの隣に立ち、ぐるりと教室中の顔を見回す。一人ひとりの顔を、確認するように眺めていく。今朝会ったレイラの顔もそこにあった。自分の席は、と見ると、教室の右後ろに空席を一つ見付けた。その隣の席の少女と目が合う。
少女はアルマークを見てにこりと微笑んでくれた。気品があるのに笑顔は人懐っこい印象を与える、不思議な魅力のある少女だった。
あの子も貴族の娘だろうか、とアルマークは朝のレイラの様子を思い出しながら考えた。そのレイラは窓際の席でつまらなそうに窓の外に目を向けている。
「今日からこのクラスの十六人目の仲間になる、アルマーク君です」
フィーアがアルマークを紹介する。レイラが窓の外から目線を戻し、ちらりとアルマークを見た。フィーアに促され、アルマークも簡単に自己紹介した。
「アルネティ王国から来ました、アルマークです」
アルマークは、自分が生まれたときに黒狼騎兵団が滞在していた北の王国の名前を挙げた。そこから来たというのは、長い目で見れば嘘ではないはずだ。
「この学院のことも、この島のことも、魔術師のこともまだ何も分かりません。これからよろしくお願いします」
頭を下げると、ぱちぱちと思ったより盛大な拍手が上がった。うん、悪くない、とアルマークは思った。
「アルマーク君はご家庭の事情で入校が二年遅れてしまいました。分からないことがたくさんあると思うので、みんな助けてあげてね。ええと、あなたの席は」
「先生、ここです」
さっきアルマークと目が合った少女がすぐに手を挙げてくれた。フィーアは軽く頷く。
「ウェンディさんの隣ね。アルマーク君、あそこの席に座って」
「はい」
アルマークはウェンディと呼ばれた少女に、よろしく、と声をかけて席に着いた。ウェンディも笑顔で、よろしくね、と答えてくれる。
一時間目の授業がそのまま始まった。担任のフィーアの受け持つ、世界概論だ。まだ教科書を持っていないアルマークは隣の席のウェンディに見せてもらいながらの授業となった。
この世界を作った大なる四とその間を埋めた中なる八、そこから派生した小なる十六とその眷族について。
アルマークには初耳の話ばかりで、これがどう魔法に結び付くのかもよく分からない。眉間にしわを寄せたまま、授業の終了を迎えることになった。
これは後で誰かに教えてもらわないとまずいな、などとアルマークが考えていると、急に手元が暗くなった。顔を上げると、たくさんの好奇心に満ちた目が彼を見ていた。彼の机は、クラスメイトたちに取り囲まれてしまっていた。
クラスの半分くらいの生徒が、アルマークの机のまわりに集まっていた。皆、この独特の雰囲気を持った編入生が珍しかったのだろう。口々に質問してくる。
「アルネティ王国って聞いたことないけど、どこにあるの?」
「姓がないってことは平民なんだよね。お父さんは何やってるの?」
「何で来るのが二年も遅れたの?」
それらの質問に、アルマークは面倒がらずに笑顔で一つ一つ答えていった。
「アルネティ王国は北にある王国の一つだよ」
アルマークが答えると、生徒たちが目を丸くする。
「北? 北ってどのくらい北なの」
小太りの男の子が不思議そうに尋ねてきた。
「フォレッタ王国の辺りかい」
「いや、もっと北」
アルマークの言葉に、別の少年が口を挟む。
「フォレッタより北って、中原を越えちまうぞ」
「ああ」
「ってことは、メノーバー海峡よりももっと向こうかよ」
その言葉にアルマークが頷くと、生徒たちの間にどよめきが広がった。
「北って本当の北のことか」
アルマークはそこで、彼らが急によそよそしくなるのではないかと覚悟したが、彼らは意外にも呑気に、中原よりももっと北だって、すごく遠いね、などと口々に言い合っている。アルマークは彼らの話すに任せ、それ以上余計なことは言わなかった。
父の職業は旅の鍛冶屋ということにしておいた。入校が遅れたのは、父と共に遠い国にいたためだ、とも話す。鍛冶屋さんって何を作ってるの?と聞かれ、深く考えもせずに、剣だよ、と答えると、不思議そうな顔で、剣なんて売れるほど使うことがあるんだ、と言われてしまい、やはり北の国々との違いを痛感する。
「どうやってこの学院まで来たの? 誰が連れてきてくれたの?」
はきはきと喋るそばかすの少女にそう訊かれ、アルマークは、一人で来たよ、と答えた。するとまた生徒たちの間にどよめきが広がる。ウェンディも驚いたように目を丸くしていた。
「一人でって、そんな遠くからどうやって」
そばかすの少女に尋ねられ、アルマークは曖昧に微笑む。
「うん。まあ何とかなるもんだよ」
それから、自分への質問に答えるのはこのくらいで切り上げることにした。あまりいろいろと訊かれると、変なぼろが出てしまうかもしれない。
「みんなのことも教えてよ」
アルマークはそう言って、生徒たちの顔を見回した。アルマークの求めに応じ、隣の席のウェンディが立ち上がる。
「じゃあ、隣どうしになった縁で、私からアルマーク君にみんなを紹介するね。えーと、まず……」
ウェンディは笑顔で手際よく、集まってきたクラスメイトたちを紹介してくれた。
ガライ王国西部の村の木こりの息子、モーゲンは、小太りの丸い体をした人懐っこそうな少年だ。
ガライ王国の隣国、マイクス公国の騎士の従者を父に持つというネルソンは、いかにもすばしこそうな体つきで、気の強そうな顔立ちをしている。
触れたら壊れてしまいそうな華奢な体つきの少女は、中原の大国フォレッタ王国の王立音楽院の楽士を両親に持つリルティ。
はきはきと喋る、朗らかなそばかすの少女は、大陸南部の小国ラング公国の農家の娘ノリシュ。
などなど。
その場の全員をウェンディが紹介してくれたところで、モーゲンがウェンディを手で示し、
「そしてこの子がウェンディ。ウェンディ・バーハーブ。ガライ王国有数の大貴族、バーハーブ家のご令嬢だよ」
と紹介すると、ウェンディは「大げさだよ」と顔を曇らせた。
「あとこっちに来てないのはね……」
モーゲンが言いかけたとき、後ろから「おい、お前ら」と声をかけられた。険しい顔つきの大柄な少年が、同様に大柄な少年二人を従えてアルマークたちを睨んでいた。
「いつまで騒いでるつもりだ。さっさと移動しろよ」
敵意のこもった声だった。アルマークが口を開こうとすると、モーゲンが慌てて手を振って彼を遮った。
「ああ、何も言わない方がいいよ」
「トルク。今、編入生のアルマーク君にみんなの紹介を」
ウェンディがそう言いかけたが、トルクと呼ばれた大柄な少年は顔を歪めてウェンディを睨みつけた。
「ウェンディ。お前がクラスで仲良しごっこをしようとするのは勝手だが、俺たちほかの貴族に迷惑をかけるんじゃねえぞ」
「別に、そんなつもりは」
「お前らの集合が遅れれば、その分授業が始まるのも遅れるんだ。そうだろ?」
トルクは目を剝くようにして、アルマークの机を囲んでいた生徒一人ひとりをねめつけた。
睨まれた生徒たちはその視線を避けるように顔を伏せ、一人、また一人とアルマークの周りから離れていく。
「別の場所で授業するのかい」
アルマークが尋ねた。その声が全く委縮していなかったので、トルクは不快そうに舌打ちした。
「次は魔術実践の授業なの」
気を取り直したように、ウェンディがそっと教えてくれた。
「だから、魔術実践場に行かないと」
「魔術実践?」
いきなりそんな授業があるのか。アルマークの胸は高鳴る。そんなアルマークの様子に、彼を見下すような目で見ていたトルクが、ふん、と笑った。
「おい、新入り。二年も経ってから来たからにはそれなりに魔法は使えるんだろうな。こっちは素人のお守りは御免だぜ」
「え?」
アルマークが眉を上げると、トルクは大げさにため息をついた。
「魔法の一つや二つ、自分で覚えてきたんだろって言ってんだ」
その言葉に、後ろにいた取り巻きの二人がにやりと笑う。
「いや」
アルマークは首を振った。
「僕はまだ何の魔法も使えないよ」
「やれやれ」
トルクは大げさに顔をしかめて首を振った。
「クラスにまた一人平民が増えちまった。それも特大のお荷物だ。一組や三組の連中にばかにされちまう」
吐き捨てるように言うと、きょとんとするアルマークを尻目に、三人は肩をそびやかして去っていく。アルマークはまだ近くに残っていたモーゲンを振り返った。
「あれ、誰だい」
「トルク・シーフェイ」
モーゲンはその背中が遠ざかるのを待ってから、そっと答えた。
「僕と同じガライ王国の出身さ。ま、僕は平民、向こうは貴族の息子だけどね。貴族も平民もこの学院の中では平等なんだけど、あいつはいつも自分が貴族だってことを鼻にかけてる嫌なやつなんだ。確かにあいつは魔法も武術も得意だから、何も言えないけどさ」
モーゲンは丸い体を縮めるようにして、ため息をついた。
「武術……そんな授業まであるんだね」
「教養科目だからね。やらないといけないんだ。僕は苦手だけど。トルクはこのクラスじゃ武術は二番目に強いんだ」
「二番目?」
アルマークはトルクの体型を思い出す。同い年とは思えないほど大きな身体をしていた。それでも、このクラスで二番目なのか。
「じゃあ一番は?」
「クラス委員のウォリスだよ」
モーゲンは答えた。
「ウォリスは別格だから。さ、僕らもそろそろ行こう」
モーゲンに促されて、アルマークは立ち上がった。
魔術実践場は、校舎から渡り廊下を渡った離れにあった。
堅牢な石造りのその建物の天井はホールのように高くとられており、内部は広々とした空間になっていた。だが、開放感は全く感じない。窓という窓が全て黒いカーテンで覆われているからだ。
ランプの灯だけが場内を照らす中、アルマークたちは整列して教師を待つ。皆、緊張した様子もなく、がやがやと話し合っていた。アルマークは列の一番後ろに立っていたが、先ほど絡んできたトルクが彼の方を振り返り、取り巻きの二人に小声で何か言っているのが見えた。
じきに、青白い顔の痩せぎすの教師が入ってきた。フィーアと違い、灰色のローブをまとっていた。
「……始めよう。まずは各自、杖を使わずに自らの魔力で灯を」
教師の言葉と同時に、ランプの灯が消え、カーテンのごくわずかな隙間から差し込む微かな日の光以外、暗闇に包まれる。それとともに場内の雰囲気が一変した。
さっきまで賑やかだった生徒たちが一斉に沈黙した。場内にはそれぞれの深い呼吸音だけが響く。アルマークが息を殺して成り行きを見守っていると、やがて、ぽつ、ぽつ、と小さな炎が生徒の手のひらに灯り始めた。
灯の魔法だ。
アルマークは思った。旅の途中に出会った魔術師もよく使っていた。その魔術師は確かこの学院の卒業生ではなかったが、実践経験は豊富だった。しかし。
アルマークはその事実に気付き、目を見張る。
彼が使ってみせた灯の魔法の炎に比べ、今、生徒たちの手に灯っている炎のなんと繊細なことだろう。
旅の魔術師の出す炎は、焚火の炎の延長のようなものだった。風が吹けば揺れ、炎はそれに合わせて大きくも小さくもなった。だが、今アルマークの目の前で生徒たちの出している炎は、大きさを全く変えず一定を保ちながら、彼らの手のひらの上、ほんのすれすれのところで微動だにせず浮いている。それは、あの遥か年長の魔術師よりも、このわずか十一歳の生徒たちの方が高度な技術を持っているということを意味していた。
アルマークは今さらながらに理解した。彼らは単なる無邪気な子供たちなどではない。それぞれが、この学院に入ることを許されるに値する才能を持った、魔法の天才たちなのだ。
痩せぎすの教師は、生徒たちの間を無言で回りながら炎の様子を確かめているようだった。時折、生徒にぼそぼそと何かを告げるのは、魔法についての助言を与えているのだろう。
彼は、アルマークの前まで来て、その手から何も発されていないことに気付いて足を止めた。
「……ああ、君が」
教師はかすかな声で呟き、小さく頷いた。
「話は聞いている。放課後、私のところに来なさい。補習をしてやろう」
アルマークは声を出すのが憚られ、返事の代わりに頷いた。
「よし、そこまで」
教師が、ぱん、と手を叩くと、生徒たちの炎が一斉に消え、それと同時にランプの灯が点った。どうやらランプの灯も魔法により制御されているらしい。
「みんなよく集中できているな。それとも、編入生の前だから無様な真似はできないと思ったのかな……?」
教師は言いながら、薄く笑った。ランプの灯に照らされる生徒たちの様子はそれぞれだ。涼しい顔をしている者もいれば額に汗を浮かべている者もいる。肩で息をしているのはモーゲンだった。
「よし、次は杖を使う。それぞれ取ってきなさい」
教師は隅に置かれた木箱を指差した。生徒たちが一斉にそちらに歩き出したので、アルマークもそれに従う。木箱の中には、アルマークの腰くらいまでの長さの杖が無造作に数十本入れられていた。
「練習用の杖なの」
いつの間にか近くに来ていたウェンディがそっと教えてくれた。
「次は何をやるんだい」
小声でそう尋ねると、ウェンディはアルマークにも杖を手渡しながら、
「多分、風か石刻みだと思う。イルミス先生の気分次第」
と教えてくれた。
生徒たちが皆、杖を持って戻ると、ウェンディの予想通り教師は、
「石刻みをするので石を用意しなさい」
と指示を出した。生徒たちはまた別の木箱から手のひら大の平べったい石を取って戻る。
石刻みの術は、アルマークも中原の大道芸で見たことがあった。どう見ても非力な老人が、木の杖で、硬い石の表面を、こつん、こつん、と何度か叩くと、その石がぱかっと真っ二つに割れてしまうのだ。初めて見たときはそれが魔法だと気付かず、手品の類いかと思い込んでいた。
「よし、はじめ」
教師の指示のもと、生徒たちが石を杖で叩き始める。灯の魔法のときと違い、こちらでは生徒たちの能力の差が如実に出た。
最初に、ぱん、と乾いた音を立てて石を割ったのはウェンディ。続いてトルク。ほぼ同時にレイラ。その後、ほかの生徒たちも順調に割っていくが、中には石の表面が剥がれるばかりでなかなか割ることができない者もいる。モーゲンやノリシュも苦戦しているようだ。
半分以上が石を割り、残った者を待つ間、さらに石を割ることに挑戦する者もいれば、何もせずにおしゃべりを始める者もいる。その中で、アルマークは様子のおかしい一人の生徒に気がついた。
その生徒はまだ割ることができないようで、杖を手に石と向かい合っているのだが、杖の使い方がおかしい。ほかの生徒のように石を叩くのではなく、表面をゆっくりとなぞっている。
何をしているんだろう。
アルマークが目を凝らすと、石の表面に複雑な幾何学模様が浮き上がっているのが見えた。
石に模様を彫っているんだ……!
石を割る魔力をごくごく微量に調整し、それを一定の力で継続して出し続ける。割るだけでも大変な作業なのに、その魔力を自在に操って複雑な模様を石に彫っているのだ。彼は割ることができないのではなく、自主的にもっとはるか高度な技に挑戦しているのだ。
「精が出るな、ウォリス」
通りすがりに教師が声をかけると、その生徒は顔を上げて口元に笑みを浮かべた。金色の長髪に、暗がりでも分かるほどの整った顔立ち。先ほどモーゲンの言っていた、クラス委員のウォリスとは彼のことのようだった。
ウォリスは穏やかな笑顔で教師と何か話していたが、彼の方を見ているアルマークと目が合うと、不意にその目を細めた。その表情に何か含むものを感じて、アルマークは彼を見返す。
「おい、新入り」
突然横から声をかけられて振り向くと、いつの間にか大柄な生徒が立っていた。トルクだった。
「せっかく杖と石を持ってきてるのに、どうしてやらねえんだ」
トルクは薄く笑っていた。
「いや、やり方が」
と言いかけると、
「俺が教えてやるよ」
と言葉を被せられた。アルマークはトルクの目を見た。トルクは挑発的な笑いを口元にへばりつけたまま、アルマークを傲岸に見返す。アルマークが頷くと、トルクは「よし」と言って話し始めた。
「やることは簡単だ。まず、目を閉じて深く息を吸い込め。体の中にある自分の魔力を感じろ」
「魔力を感じる」
アルマークはトルクの顔を見上げる。
「それって、どうやって?」
「そこからかよ」
トルクは、くくく、と低く笑った。
「お前の身体には魔力はねえのか」
「さあ」
アルマークは首をひねる。
「あるのかい」
「ないことを祈るぜ」
トルクは真顔に戻って囁いた。
「それなら後腐れなくここから出ていけるだろ」
その言葉に込められた剝き出しの敵意に、アルマークは眉をひそめる。トルクは獣じみた笑顔で敵意を覆い隠すと、説明を続ける。
「お前の中に魔力があるのかどうかは知らねえが、あるなら感じ取れるだろ。その魔力を杖の先端に集めるイメージを持て」
そう言いながら、トルクは自分の杖の先端で床をこつこつと叩く。
「そして息を鋭く吐き出しながら、石の裏側に魔力が突き抜けるイメージをしつつ、杖を……」
言いながらトルクは、アルマークの前に置かれた石を杖の先端で強く突いた。もとより割る気などなく、魔力も込めず力任せに突いたのだろう。杖は石の表面で、がきっと鈍い音をたてた。
「分かったか? 簡単だろ?」
トルクはアルマークの目を覗き込むようにして、挑発的な笑みを浮かべた。
「やってみろよ」
アルマークは頷いた。これはいい機会だ。教える人間に難ありだが、方法については嘘は言っていまい。見ているだけでは退屈だった。やってみよう。
アルマークは言われた通りに目を閉じて深く息を吸い込んだ。
自分の中にある魔力……それがどんなものなのか分からないので、感じようがない。トルクもそこを説明してくれる気はないようだった。アルマークは、体の中をゆっくりと流れるもう一つの血液のようなものをイメージした。それが徐々に杖を持つ両手から杖の先端へと集まっていくイメージ。考えていると、なんとなく、そんな気になってくる。
よし、いまだ。
十分にイメージが固まった頃合いで、アルマークは鋭く息を吐きながら、杖で石を突いた。
かん、と乾いた音がした。
アルマークが目を開けると、石は先ほどのままで何の変化もなくそこにあった。薄片一つ欠けてはいなかった。黙ってそれを見ていたトルクがこらえきれなくなったように笑い出した。
「くくく、だ、だめだこりゃあ。初めてだからって欠片一つ割れねえやつなんて初めて見たぜ。お前、才能ねえよ」
トルクは笑いながらアルマークの肩を乱暴に叩くと、その耳元で、
「せっかく来たはいいけど、中等部に進級できずに一年でおさらばかもな」
と囁く。
「だったら、さっさと見切りをつけた方がいいんじゃねえか?」
トルクの声が低くなった。
「邪魔だからよ」
「君は、ずいぶん僕を敵視しているみたいだね」
アルマークの言葉に、トルクは意外そうに彼を見返す。
「あ?」
自分の威圧にまるで臆した様子もないアルマークに、トルクは不愉快そうな顔をした。
「なんだと?」
「どうしてそんなに目の敵にするんだい」
アルマークはあくまで穏やかに尋ねた。
「君が貴族で、僕がそうじゃないからか」
「はっ」
トルクは笑った。あからさまに侮蔑の感情を込めた笑いだった。
「そうだな。それもある。お前のような、素性も分からねえおかしな人間がこの学院に増えるのは目障りだ」
「目障り、か」
アルマークは頷いて杖を握り直し、石を名残惜しそうにこんこん、と突いた。
「君と僕はそんなに違うかな」
「なに?」
トルクは目を剥いた。それは、南の人間からは決して発されない言葉だった。
「俺とお前が違うか、だと?」
だが、トルクはすぐに傲岸に胸を反らした。
「当たり前だ。お前みたいな何者でもない人間と一緒にするな。俺は、シーフェイ家のトルクだ」
「それは」
すごいことなのかい、というアルマークの質問を遮るように、トルクは続けた。
「そもそも、お前が魔術師になるつもりが本当にあったなら、二年も遅れてくるなんて舐めた真似をするはずがねえんだ。ご家庭の事情、だと?」
フィーアの口調を真似して、トルクは口元を歪めた。
「家庭の事情のないやつがどこにいる。それでも全員九歳でここに来たんだ。二年も遅れてのこのこと来やがって。親と離れるのがそんなに辛かったか」
「ああ」
アルマークは、トルクの言葉にレイズとの別れの朝を思い出す。
「辛かったな」
ふん、とトルクは鼻で笑った。
「そんな甘い考えでついてこられるほど甘い世界じゃねえ。お前は間違いなく、すぐに落ちこぼれてここを去る」
トルクはアルマークを怒りのこもった眼で見下ろした。
「そのために割かれる時間が無駄だ。俺にとってはな」
それだけ言うと、トルクは身を翻し、自分のもといた場所へと戻っていった。
……割れそうな気がしたんだけどな。
アルマークは、未練がましく杖で石を何度かつつき、ようやく諦めた。
まあ最初はこんなものだな。
そう考えて、自分を納得させる。トルクの挑発や威圧は全く気にならなかった。北の戦場で飛び交う挑発に比べれば上品すぎるほどだ。むしろ、石割りの術のやり方を教えてもらえて、ありがたかった。お礼を言ってもよかったが、本人が望んでいなそうだったので、やめておいた。
最後に残ったノリシュが汗だくになりながら石を割ったところで、授業が終わる。引き上げながらアルマークがウェンディに、
「みんなすごいね。こんなに繊細な魔法を間近で見たのは初めてだよ」
と話しかけると、ウェンディは嬉しそうに、
「そう? でもアルマーク君もすぐにできるようになるよ。イルミス先生に放課後呼ばれてるんでしょ? もし必要なら私も手伝うからいつでも言ってね」
と答えた。
「僕も! 僕も手伝うよ!」
後ろから追い付いてきていたモーゲンも声をかけてくる。
「二人ともありがとう。僕も早くみんなに追い付けるよう頑張るよ」
アルマークは二人に感謝を込めて笑顔で答えた。
生徒たちが出ていき、誰もいなくなった魔術実践場に、突然、ぴしっ、と乾いた音が響いた。先ほどアルマークが最後に突いた石だった。ほかの石とともに木箱の中に片付けられていたその石は、アルマークが杖で突いた場所を中心にみるみるうちにひび割れ、真っ二つになって転がった。
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