異国の旅人 …… 4
息を切らせて自宅に辿り着くと、ちょうど
「ずいぶん遅いのね――晩ご飯ができたわよ」
「ごめん、いらない!」
アッリリユを押し
「ナッシシム、食べたくないんですって」
母屋に戻ってアッリリユが夫のジョロバンに告げる。
「どうして? いつも元気でモリモリ食べるのに? どこか具合でも?」
心配するジョロバンにアッリリユが首を振り、クスッと笑う。
「お年頃だから……好きな男の子でもできたかな?」
「あ……ナッシシムに? どこの誰?」
「そんなの判らないわよ」
そわそわするジョロバンに呆れながらもアッリリユが言う。
「今日はあなたの
「ローリアウェアとヴェリスウェア? え、えぇ? って、まさか相手はローリアウェア?」
「だから判らないってば――でも、わたしはそうだといいな、って思ってる」
唸るジョロバン、少し考えてから、そうだね、と妻に同意する。
「ローリアウェアは多少元気がない感じだけど、その分落ち着いていて頭もいい。なにしろ優しいヤツだ。うん、あいつにしよう」
「ジョロバンったら! あなたが決めることじゃないし、そうと決まったわけでもないわ」
「アッリリユは違うほうがいいって言うのかい?」
「そうじゃないけど……ナッシシムが誰かを好きになったって言うのも、その相手がローリアウェアかもって言うのも、わたしの想像だから。事実かどうか判らない、って言っているのよ」
「そ、そうなのか……それじゃあ本人に――」
ダメよ! 慌ててアッリリユが夫を止める。
「今はそぉっとしておかなきゃ。見守ってあげるしかないのよ――大丈夫、ナッシシムもだんだん大人になっていくの」
それでも落ち着かないジョロバンに、二人きりで食事なんて初めてね、とアッリリユが微笑む。
「アッリリユ……」
「きっとこれからそんな日が増えていくわ。寂しいけれど、これでいいの。それにジョロバン、わたしはずっと一緒よ」
さぁ、いただきましょう。アッリリユに促され、二人きりの晩ご飯が始まった――
うつらうつらしたものの、少しも眠った気がしない。さすがに真夜中にはお腹が空いて、あの後すぐに、アッリリユが気を利かせて持ってきてくれたサンドイッチを食べた。
そんなのいらない――せっかく持ってきたアッリリユに混乱をぶつけてしまった。それでもアッリリユは、食べたくなければ食べなくてもいいのよ、と言ってテーブルに皿を置いていった。すっかり冷めてしまった添えられた紅茶で、サンドイッチを流し込みながらナッシシムは、明日、姉さんに謝ろう、と思った。それともお礼のほうがいいのかしら?
ルナウに訊いたらきっと、『お礼のほうが喜ばれると思いますよ。でも、どちらかじゃなければダメってものでもありませんね』と微笑むだろう。そう思ってナッシシムはさらに切なくなる。
庭にいたルナウは別人のようだった。気が付いた時には通り過ぎている
(あんなの、ルナウじゃない――)
ナッシシムの意思とは別のところで涙が溢れる。それがナッシシムの混乱に拍車をかける。なぜ自分が泣いているのか判らない。
サンドイッチを食べ終えた後はベッドに横になったり、起き上がって部屋の中を歩き回ったり、椅子に腰かけて物思いに沈んでみたり……ほとんど眠れないまま、もうじき夜が明けようかというころ、ある考えがナッシシムに
(ひょっとして、ルナウはあの花から出てきた誰かに魔法をかけられたとか、騙されているとかなんじゃないかしら?)
だったら? だとしたら? ルナウを助けなきゃ! ナッシシムは部屋を飛び出し、今度は村はずれに向かって駆けだした。
フルムーンに着くころには空も白み、世界は光を取り戻し始めている。ウッドデッキの木戸を押し開けて庭に出ると、昨日の場所に横たわるルナウが見えた。
「ルナウ!」
思わず名を呼び掛け寄ろうとする。するとナッシシムの足が急に止まった。ルナウがゆっくりと上体を起こし、ナッシシムを見る。
「誰かと思えばナッシシムさん……今日はまた、随分と早いのですね。どうかなさいましたか?」
腰を降ろしたままの姿勢で、ルナウは袖を通しただけのシャツの前どめを掛けているようだ。よかった、生きてる、ほっとすると同時に、魔法で足止めされた、と感じるナッシシムだ。ルナウはわたしを近寄らせたくないんだ。嫌われた?
「わたし、わたし――」
ルナウが心配で、と言えば、昨夜見たことを言わなくちゃならない。でも、なんだか言えない。
そんなナッシシムに、店のドアを開けるから正面に回ってくださいな、とルナウが微笑む。ハッとあることに気が付いたナッシシムが慌てて木戸に向かい、ウッドデッキから店の前に出る。
(わたしがいたんじゃルナウは服を着られない、きっとそういう事なんだわ)
顔が熱くなるのを感じながらドアの前で待っていると、ほどなく開錠される音がした。
遠ざかる足音、勝手に入れってことね、ナッシシムがドアを開けるとルナウはカウンターの中にいた。
「そこのテーブルにタオルを置きましたから、汗を拭いてください。汗だくですよ――冷たい物でも差し上げましょう」
グラスに氷を放り込んでいる。
「ルナウ……わたしね――」
何を話すか決めてもいないうちにナッシシムの口から言葉が飛び出す。入り口に近いテーブルにあったタオルを手に取るとひんやりと冷たい。
「魔法?」
「魔法?」
ナッシシムの言葉にルナウが不思議そうな顔をした。
「いいえ、このタオル。ひんやり冷たいわ」
「あぁ、そうです、魔法ですよ」
いつもの笑顔をルナウが見せる。よかった、嫌われてるわけじゃなさそう。ナッシシムが安心する。
「ナッシシムさん、お
「いいの?」
「いけなければお誘いしません」
嬉しそうなナッシシムの顔に、やっぱりルナウはニッコリ微笑んだ。
来てくれてちょうどよかった、とルナウが言う。ナッシシムはカウンター席、ルナウはカウンターの中で、トーストとカリカリに焼いたベーコン、フライドエッグ、そして数種類のベビーリーフのサラダを食べていた。傍らには昨夜、ルナウが手を差し伸べた花が置いてあり、芳香が漂っている。手折ったのではなく、花だけ
「そろそろ氷を買いにくるお客さんの準備を始める時間でした。ナッシシムさんが来てくれなかったら、うっかり寝過ごすところです」
「魔法使いでもたまに寝坊するのよね」
「はい、たまにね」
ナッシシムの皮肉に苦笑するルナウだ。
「なんであんなところで寝ていたの? 虫に刺されて大変だったんじゃ?」
ドキドキしながらナッシシムが問う。
「虫よけの魔法はちゃんと使いましたよ――そうですね、なぜでしょう。月明かりを眺めていたかったから、かもしれません」
嘘だわ――そう思ったナッシシムだが敢えて言わない。代わりにカウンターに置かれた花を見て言った。
「この花は?」
「これは、
「そうね、いい香り……なんで花をもいだの?」
カウンターに置かれた月来香は首を落とされたように花の部分だけだ。
「一晩しか咲かない花なのです――夜に咲き、朝しぼむ。なのに我が家の月来香はしぼむことなくポトリと花を落としてしまいます」
「それはなぜ?」
チラリとナッシシムを見て、ルナウがコーヒーを口元に運ぶ。いつもすらすら答えるルナウらしくない――
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