賢者は空を見る …… 4
声の
背は馬よりも高い。身体は馬、首より上は人間の女の上半身、ケンタウレだ。軽く束ねた長い黒髪に赤い花を飾っている。
「アマリリス?」
呟いたナッシシムの耳に『暫く黙りなさい』とルナウの声が聞こえた。
「アマリリス……」
こちらを見ることもなくケンタウレが言う。
「内気、強い虚栄心、おしゃべり」
何が言いたいの? と言いたいのにナッシシムの口は貼り付いて動かない。思わずルナウを見ると、ルナウはケンタウレをじっと見ている。ルナウに魔法をかけられたのだと思うナッシシムだが、口が
「ハーバデシラムさんをご存じですか?」
ルナウがケンタウレに尋ねた。
「ハーバデシラム……誇り高きケンタウロス、知恵に縛られた愚かな賢者、美しい
視線も表情も変えることなくケンタウレが言った。ルナウが続けて問いかける。
「それは贈り物ではないのですか?」
「贈り物……贈り物なのか? 誰へ、何のために? ハーバデシラムに訊け」
「ハーバデシラムさんは『語るのに語らない』おかたです」
ここでやっとケンタウレがルナウを見た。だが、やっぱり表情は動かない。
「サンザシのケーキを焼いた魔法使い。北のエルフ・ライネリアルからの逃亡。
「わたしをご存じのようですね」
「情報のみ……知りはしない」
「でも、もう知りました」
「……確かに――」
ケンタウレがルナウを睨んだ。その眼光の恐ろしさに、黙って見ていた(黙っているほかなかったのだけど)ナッシシムが震えあがる。それなのにルナウはニッコリと、ケンタウレに笑みを向ける。
「やっと笑ってくださった」
あれが笑った顔? 魔法が掛けられていなければ、絶対口に出していた。ルナウの魔法のおかげで命拾いした。ほっと胸を撫で下ろすナッシシムだ。
「サンザシのケーキはお口にあいましたか?」
「サンザシ……鋭い棘で近寄るものを拒む。その実を欲せば傷つき、実を与えようとしても近寄って来ない」
「棘とは何でしょう?」
ケンタウレが改めてルナウを見た。
「賢者ルナウ、月の輝きを放つ魔法使い。夜の女王になぜ挑んだ? 答えはそこにある」
「わたしは賢者ではありません――でも、答えが判った気がします。最後にお名前を教えていただけませんか?」
「賢者でさえも愚か。
ポティニラマスがルナウから視線を外し、傍らにいるナッシシムを見た。怯えたナッシシムが縮こまる。
「子ども……猫族の少女。ルナウの子ではない。なぜルナウが連れているのかは判らない――だが、子どもは大切にされてしかるべきもの」
ポティニラマスが左前足を振り落とし、カンカンと二度、蹄を鳴らした。それからルナウに視線を戻す。
「また会うだろう魔法使い――わたしは気紛れではない」
「えぇ、存じております。ではまたその時に」
ポティニラマスは後ろを向くと、キラキラ輝く尻尾を見せて行ってしまった。
「もう、話してもいいですよ、ナッシシム――わたしたちも行きましょう」
「ルナウぅ! あ、本当だ、話せる!」
馬車に乗り込みながらナッシシムが苦情を言う。
「なんで魔法なんか掛けたの?」
「黙っていなさいと言われただけで黙っているナッシシムさんではないでしょう?」
「そりゃそうなんだけどぉ」
「それにしてもルナウ、なんだか不思議な人だったね。それにとっても綺麗……尻尾がキラキラ輝いてたわ」
「ポティニラマスさんの事ですか?」
「うん、なんか、なに言ってるのか判るような、判らないような……いきなり、なんだっけ? 内気、強い虚栄心、おしゃべり、だった?」
「あぁ、あれはアマリリスの花言葉ですよ――ポティニラマスさんはエルフの血を引いているようですね。尻尾の輝きはエルフ由来のものです。おそらく父親がエルフ、母親がケンタウレ」
「エルフとケンタウレの組み合わせってあるのね。でも、なんか納得 ――アマリリスの花言葉は『輝くばかりの美しさ』『誇り』じゃなかった?」
「など、と言ったはずですよ。花言葉は数種類あるのが普通ですから」
「それにしても、ハーバデシラムさんはあそこまで変じゃなかったわ」
「ハーバデシラムさんのことも変だと思っていたのですね」
ルナウが苦笑する。
「ケンタウロス族は多分、皆さんあんな感じですよ。話し方が独特」
「ハーバデシラムさんは、あそこまで酷くなかったわ」
「あのかたはわたしたちに合わせようと頑張っていましたからね」
「そうなの?」
「きっとそうですよ」
「語るのに語らない、って言われていたわ」
「そうですね……肝心なことを言わないって意味だと思います」
「そうなの?」
「たぶんそうだと思います」
「確信はしていないのね」
「わたしの解釈ですから――ケンタウロス族の言葉は、上手な解釈が必要です」
「難しいのね」
「ケンタウロス族は皆さん、賢者ですから。しかも答えを言うのを良しとしない。己で考えよ、がモットーなのだそうです」
「なのだそうです、って、誰かに聞いたの?」
「書物などからの知識です」
「ルナウも賢者って言われたね」
「昔々にそう呼ばれたころもあったと言うだけです」
「今は違うの?」
「違いますよ」
「一度賢者になったら、ずっと賢者かと思った」
「そうではなかったようです」
「愚かな人が賢くなることはあっても、賢い人が愚かになるって、あるのかしら?」
「賢いと思い込んでいたら、実は賢くなかったのかもしれませんよ」
「他人の評価で賢者と言われるのではないの?」
「そうですね、他人が賢者と呼ぶようになるのです。自分で自分のことを賢者という人は、まず愚かでしょう」
「そうよね。だったら、やっぱり賢者は賢者のままな気がする」
「まぁ、大抵の賢者はそうなんでしょうけれど……わたしの場合は違ったようです」
「なんだかヘン」
「ヘンでも仕方ありません。事実ですから」
納得いかないナッシシムだが、この話題ではこれ以上、話すことを思いつけない。
「ハーバデシラムさんは、やっぱりケーキを捨てたのね」
「ナッシシムさん? 聞こえなくした覚えはないのですが?」
「えっ? それじゃ、ルナウが言うように、ハーバデシラムさん、花とケーキをポティニラマスさんにプレゼントしたの? ポティニラマスさんが髪に飾っていたのはあのアマリリス?」
「わたしはそうだと思います――それよりナッシシムさん、ケンタウレに祝福されるとは幸運でしたね」
「ケンタウレに祝福?」
「大切にされてしかるべき、と言って
「そうなの?」
「そうです――ただし、子どもの間だけです」
「それっていつまで?」
「そうですね……多分、ナッシシムさんが大人の恋を覚えるまで」
ナッシシムの鼻先と耳の内側がほんのり赤く染まり、ルナウが優しい微笑みを見せた。
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