二人の王太子殿下と婚約してしまいました
宮前葵
第1話 婚約解消
「リュビアンネ・ヤンドリュード侯爵令嬢。今この時をもって、私は其方との婚約を破棄する」
婚約者である王太子殿下、アステリウス様からそう宣告されて、私はがっくりと肩を落とした。
やっぱりか。まぁ、仕方がないわよね。私はそう思いつつも、やはりがっかりしていた。私と殿下は八歳の頃からの婚約者同士で、十六歳のこの時まで仲良くやってきたのだ。来年には結婚式の予定だってあった。それがここに来ての婚約解消である。流石の私だってガッカリしようというものだ。
せめてもの救いは、王太子殿下の表情が冷酷なものであったり、嘲るようなものではなく、断腸の想いを表すように秀麗なお顔の眉間に皺を刻んでいたことだ。長い付き合いだから分かるがあれは本当に私との婚約解消を惜しんで下さっている顔だ。
それだけが僅かに私の心に救いの光を差し込んでくれた。私は頭を下げた。
「王太子殿下には長い間、過分なほどのご愛情を頂きまして感謝の言葉もございません。謹んで婚約解消を承りますとともに、殿下のご多幸をお祈り申し上げます」
私の言葉に殿下は無言で頷いた。続けて殿下の横にいた殿下の側近が私に宣告する。
「リュビアンネ・ヤンドリュードをその父、アンボロク・ヤンドリュードによる横領の罪により、爵位その他一切を剥奪の上、庶民に落とす!」
・・・そうなのだ。これが婚約解消の原因だったのである。
王国侯爵にして宰相でもあった私のお父様、アンボロク・ヤンドリュードは、その地位を利用して様々な国の予算を横領し、私腹を肥やしていた、らしい。私は知らなかったわよ。お嬢様だから。
大臣なんて誰も彼も同じように私腹を肥やしている物らしいが、お父様のそれは、ちょっとばかり、派手だった。国家予算の相当な割合をちょろまかし、それを自分の別荘の建設費用や贅沢品の輸入に充てたのだった。
お父様は宰相だったから色々な政治的案件に関わり、その過程で要するにたくさんの恨みを買っていた。そして宰相の座を狙う者も多かった。そんな皆様にとってお父様の横領は絶好の追求のネタになったのだ。
そしてついについ先程、告発が行われ、激怒した国王陛下はお父様を罷免して捕縛を命じた。
ところが勘が鋭いのか密告があったのかは知らないが、お父様は捕縛の気配を察知していたようだ。一足早くお母様と馬車で王都を逃亡。どうやら隣国へと親戚を頼りに逃げていった、らしい。
そうとは知らない私は、その日、朝から友人の屋敷にお茶会に出掛け、そのまま出席を予定していた王宮の夜会にノコノコと現れ、そこでお父様のしでかしたこととその処分、つまり爵位と名誉の剥奪と財産の没収を知ったのだった。
お父様がそんな事をしでかせば一人娘の私も勿論連帯責任だ。爵位と名誉の剥奪、財産の没収。そして王太子殿下との婚約の解消を宣告された。当たり前だ。王太子殿下が犯罪者の娘と結婚できるわけがないし、私は庶民になってしまったのだ。
なんということをしてくれたのか、と私は頭を抱えたが、何とも出来ない私は謹んで処分を受け入れると、王太子殿下に一礼し、王宮のホールから出て行った。背中に罵声や嘲りがいくつか飛んできて私の身をすくませたが、友人の令嬢が心配そうに声を掛けてくれるのも聞こえて僅かに私の心を救ってくれた。
大混乱の頭のまま馬車に乗って侯爵邸に帰ったのだが、侯爵邸は兵士によって封鎖されていた。入れないかと聞くと「ここは既に王国の所有で侯爵邸では無い!」と笑われた。それどころか「その馬車も接収するから降りろ」と言われた。仕方なく降りると兵士達は更に嘲りながら「その装飾品もドレスも接収だ。ドレスを脱げ」と迫ってきた。
侍女のセレンは憤慨しているが、私は項垂れた。確かに尤もだ。このドレスも安いものでは無い。確かに没収されるべき財産だ。兵士達は私を囃し立て、とっとと脱げ、脱げないなら手伝ってやろうか、と手まで伸ばしてきた。その時。
「お嬢様!」
「お嬢様に何をする!」
と、旧侯爵邸の内側から怒鳴り声がして、門が内側から開くと侯爵邸の使用人達が飛び出してきた。驚く兵士を押し退け使用人たちは私を取り囲んで守ってくれた。
兵士たちと押し問答の末、私は髪飾りやネックレスなどは全部外して兵士に渡し、ドレスは勘弁してもらう事になった。
ただ私は、この時にこっそり指輪は外さず隠しておいた、このサファイヤが付いた指輪は王太子様から贈られた婚約指輪で、それこそあの婚約解消の時にお返ししなければならないものだったのだが、忘れていたのだ。兵士に渡すわけにはいかない。
使用人達が話し合った結果、私は庭師長のボックルの家にひとまず匿われる事になった。私は慌てた。
「私は罪人です。匿ったりしたらボックルが罪に問われます」
しかしボックルはその日焼けした顔をクシャクシャにして笑いながら言った。
「お嬢様に罪が無いことなんて俺たちはみんな知ってます。お嬢様は俺たち使用人にも良くしてくださった。お嬢様は俺たちがお守りしますよ」
ボックルは私の侍女のセレスの夫でもあり、二人は「ご安心下さい。いつまでだってお守りしますとも」と言ってくれた。状況の激変のショックに打ちのめされていた私は、二人に感謝しつつその言葉に甘える事にした。
ただ、侯爵邸で働いていた使用人たちは侯爵家が無くなったのだから失業だ。私は友人の貴族令嬢数人に木の板に書いた手紙を届け、元侯爵邸の使用人を雇ってくれないか尋ねてみた。するとサーマルト伯爵令嬢からボックルを庭師長に迎えたいとの返事が届き、ボックルは無事就職出来た。良かった一安心だ。
そこまでやってから、私は寝込んだ。ボックルの家に用意されたベッド。藁が詰められたチクチクするベッドに寝かされた私は、心配するセレスの看病を受けつつ一週間丸々寝込んだのだった。
一週間、寝込んで嘆いて悪夢にうなされて、回復して、私はようやく現実を受け入れた。
私はこれから庶民として生きていかなければならない。嘆こうが悲しもうが時間は巻き戻らないのだ。お父様お母様は帰って来ないし、王太子殿下との婚約は復活しないし、私が貴族に戻る事も無いのだ。
そう悟ると私は頬を叩いて気持ちを切り替えた。私は思い切りは良い方だ。
私はドレスから庶民服に着替えた。ワンピースにボディス、前掛け、木靴だ。亜麻色の髪は単に首のところで結えた。セレスは嘆いたが、私はこれはこれで動き易くて良いな、と思っていた。
庶民服に着替えると、私はセレスとボックルに深く頭を下げてお礼を言った。
「本当にありがとう。二人がいなければ私はどうなってしまったか」
ボックルは笑って言った。
「侯爵邸で働いていた連中は皆、お嬢様が大好きでしたからな。俺たちが面倒見なくても誰かが助けてくれましたよ」
「お嬢様はもう止めて下さい。リュビアンネ・・・、そうですね「アン」と呼んで下さい」
「そんな、お嬢様に畏れ多い」
「私は庶民になるんですもの。是非アンと呼んで下さい」
私は渋る二人を説得して、私は庶民「アン」としての生活をスタートさせた。
最初、私は二人の家を出てどこかに部屋を借りるつもりでいた。ところがこれには二人の強固な反対意見が出た。「アンに一人暮らしなどさせられない!」と言われ、それがいかに大変で危ない事かを力説された。確かにお嬢様育ちの私に生活能力が無いのは明らかだったので、私は結局二人の好意に甘えて、二人の家に住み続ける事にした。
しかし、仕事は絶対にしなければならない。二人は私を養う気満々だったようだが、私は庶民になるのだ。庶民は男女とも仕事をするものだと聞いている。
私は考えた。私に出来る事はなんだろうか。私は幼少の頃よりいろんな教育を受けた。文字の読み書き計算から始まって、弦楽器、声楽などの音楽。社交に必須なダンス。絵画や彫刻などの芸術。教養としての詩や古典の暗唱、王国を含む近隣諸国の情勢や歴史、国内の主だった貴族の名前と顔の暗記。などなど。どれもそれなりに頑張って取り組んだ。何せ私は王太子殿下の婚約者。王太子妃、王妃になるのだからと言われて周囲も厳しかったのだ。
・・・ま、まぁ、そんな昔の話は兎も角、この中で庶民の私の役に立ちそうなこと。お金になりそうな事はなんだろうか。
刺繍はどうだろう。私は刺繍は得意だ。私の刺した刺繍は、令嬢方同士でよく開いた刺繍会でも評判が高かった。貴族婦人が着るドレスには刺繍が必須だ。庶民の仕立て屋でも需要はあるだろう。
そう考えた私はセレスに頼んで仕立て屋に連れて行ってもらって、自分を売り込んだ。
しかしながら、その場で用具を借りて刺してみたのだが、仕立て屋の主人曰く「そんなスピードじゃぁ商売には出来ないな」と言われた。
す、スピード?刺繍はゆっくり確実に確実に刺すものだと思っていた私は愕然とした。仕立て屋の主人曰く、一枚いくらの歩合制なので、数が大事なのだという。
私はガックリしたが‘、そのガッカリさ加減を見た仕立て屋の主人は気の毒に思ったのか「まぁ、仕上がりは確かに綺麗だから、貴族向けの目につく所をやってもらおうかな。あいつらうるさいからな」と言った。
私はちょっとムッとした。いや、仕事をくれたのはありがたかったが、貴族婦人が我儘で刺繍の仕上がりにケチを付けていると思われるのは心外だったからだ。
「それは仕方がない事なのです。貴族婦人が着たドレスの刺繍の仕上がりが悪かった場合、その婦人の見る目が疑われますし、予算が無くて安物を発注したのではないかと疑われます。その評価は貴族婦人にとって命取りになりかねません」
だから特に上位貴族婦人は着るドレスの仕上がりには細心の注意を払うのだ。私だって納品されたドレスの仕上がりは侍女ともども隅々までチェックしたものだった。
仕立て屋の主人は目を丸くして驚いた。
「なんだ、あんた貴族か?」
しまった。つい貴族気分で口を開いてしまった。
「えー、その、元です。元」
「ほーん、そうなのか。お貴族様のクレームをそういう視点で考えた事が無かったから勉強になったよ。貴族の趣味が分かるなら、図案とかの相談に乗ってもらえるか?金は払う」
「本当ですか?ありがとうございます!」
という事で、私は仕立て屋と契約し、見栄えの良い刺繍と、貴族向けドレスの刺繍の図案デザインの提案という仕事をもらえる事になったのだった。大したお金にはならないようであったが。
そうして私は生まれて初めてお金をもらうために働く事になった。朝から晩まで貴族向けのドレスに刺繍。時に仕立て屋に呼ばれて図案を描いた。刺繍の図案には流行があり、ここ数年の流行りを抑えたデザインを教えると仕立て屋の職人は感心していた。
そうして稼いだお金は全てセレスとボックルに渡した。二人は驚き、必要ないと言ってくれたが私は是非にと願ってもらってもらった。二人は嬉しそうに笑いながら、私にお小遣いをくれた。
そのお小遣いを持って私は王都の市場を歩き、買い食いなどをした。私はようやく自分が庶民になれた気がして嬉しかっものである。
そうして働き始めて何ヶ月かが経った。その日、いつものように仕立て屋に行き、刺繍したドレスを納品していると、仕立て屋の主人に呼ばれた。デザインの話かな?と思って行ってみると、仕立て屋の主人は変な事を聞いてきた。
「なぁ、アン。アンは元貴族なんだったな?」
「ま、まあ。そうですね」
元侯爵令嬢で王太子殿下の元婚約者だったなんて事は言わないで良いだろう。
「それなら、文字の読み書きや計算は出来るのか?」
私は何を聞かれたのか一瞬分からなかった。文字の読み書き?そんなモノは貴族社会では常識で、出来ない人などいなかったからだ。そういう事を「出来るのか?」と聞かれても何と答えて良いか分からない。
何なら私は近隣三ヶ国語が読み書き出来るし、神聖語と言われる古い言葉も読み書き出来る。王太子妃教育は厳しかったなぁ。
「えーっと、王国語で良いの?出来ますよ。計算も大丈夫」
それを聞くと、仕立て屋の主人の表情が輝いた。
「そうか!それ、人に教えられるか?」
私は驚いた。教える?緑色の瞳を丸くする私に、仕立て屋の主人は説明してくれた。
どうやら帝都の庶民であれば王国語が読み書き出来ないのは普通の事なのだそうだ。そうなの?むしろ少しでも読み書き出来ればステータスなほどで、立派に仕事の種になるんだとか。役場に出す書類を代わりに書く代書屋とか。それは知らなかった。
しかしながら商売をやっていれば読み書きが出来た方が便利な場合が多く、出来るようになりたいと考えている者は多いのだとか。しかしながら出来る者があまりいないのだから教える人がいない。いても読み書きは飯の種だから誰も教えたがらない。教えてくれても高い授業料を払わなければならない。
そんなわけで、王都の商家の間では文字の読み書きや計算を教えてくれる人材を待望していたらしい。そこへ元貴族で何故か読み書きを飯の種にしていない私が現れたという事だった。どうやら授業料を安くするために、複数の人数を一度に教える学校形式での教育をして欲しいらしい。
「どうだ?もちろん授業料は払う。場所も用意するし、用具もこっちで必要な物は揃えるからさ」
私は考えた。私は人にモノを教えた事など無い。私は一人っ子で弟妹がおらず、弟妹に教えた事も無かった。なので人に教えられるのかは未知数だと言うしかなかった。
しかし、どうやら基本的な文字が書けて簡単な単語が読めれば良いらしい。私が五歳の頃に習った内容だ。足し算引き算掛け算を含めても八歳レベルだ。その程度なら何とかなるような気がした。
何よりこれを引き受ければ私は先生だ。みんなの先生になるわけだ。そうすれば私はいよいよこの街に受け入れられる事になるだろう。それこそ私が今一番望んでいる事だった。それに今までの刺繍関係のほとんど家計の役に立っていないお給金以外に、先生をやったお金をセレスとボックルに渡せれば、ちゃんと家計の役に立てるし、二人は喜ぶだろう。
よし!やろう。
「わかりました。お引き受けしますわ」
「おお、そうか!ありがたい!」
そうして私は「アン先生」となったのだった。
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