第12話 篁、過去の影を追う。


 たかむらは、何とか夜明け前に壱子いちこの元へ戻ることが出来た。


「何故そんなに足が汚れているのだ?」と訝しむ三守ただもりからくつを取り戻し、もごもごと要領を得ない言い訳をした後、急いで帰宅した。


 ちょうど出仕の用意をしていた父をつかまえ、昨夜の出来事をかいつまんで話す。

 助けられない魂があったこと。ぬえに喰われてしまったことを話すと、岑守みねもりは悲嘆のため息を漏らしたが、ややあって、難しい顔をしてこう言った。


「その、壺を持っていた男だが……もしや、藤原宗成ではなかろうか?」

「藤原宗成?」


 篁が首をひねると、岑守は眉をひそめたままゆっくりとうなずいた。


「宗成は、伊予いよ皇子に謀反を勧めた男だ。その行動を怪しまれて捕らえられると、すべては伊予皇子の企みだと供述し、皇子に濡れ衣を着せたのだ」

「え……」


 篁は息を呑んだ。

 もしもあの男が本当に宗成で、父の言葉が真実だとするならば、あの男こそ真っ先に、伊予皇子の怨霊に呪い殺されるべきではなかろうか。なのに、まるで配下のように皇子の手伝いをしていた。


「そうだとして、なんであいつは生きてるの?」


「死罪ではなく流罪になったのだ。数年後には恩赦で京に戻って来たのだが……当時から伊予皇子に同情する声が多くてな。宗成を使って伊予皇子に謀反の疑いを掛けさせたのは藤原仲成ではないか、という噂もあったほどだ。そのせいで、宗成は北家にも見捨てられたらしい」


「その……仲成って、薬子の兄の仲成?」

「そうだ」


 篁は頭がおかしくなりそうだった。

 もしも藤原仲成が関わっていたのなら、それは当然、上皇の意向だったに違いない。

 上皇と伊予皇子は異母兄弟だ。自分が〝排除〟されたと知った伊予皇子が、上皇を恨み怨霊となったとしても不思議ではない。


「俺、その宗成って男を探しに行ってくる!」

「おまえ、寝てないんじゃないのか?」

「一晩くらい大丈夫だよ!」


 まだ夜が明けたばかりだが、心がいて仕方がなかった。


「シロタ! 壺を持ってた男の居場所、わかるか?」


 シンとした自分の部屋へ戻ると、寝そべっていたシロタがぱたぱたと尻尾を振って立ち上がった。


「うん。やつのねぐらは母ちゃんたちが見張ってるはずだ!」


 得意げに胸を反らしたシロタは、すぐさま巨大狼に変化へんげした。



 〇     〇



 朝霧に霞んだ空を、シロタは駆けてゆく。

 昨夜と同じく南へ向かっているのはわかったが、平城京らしき整然とした都を飛び越え、山襞やまひだに分け入る頃には、辺りは真白の霧に包まれていた。


「これは、雨になりそうだな」


 篁は曇り空を見上げてため息をついた。

 あの男を探すと言って家を出たものの、正直を言えば途方に暮れていた。

 壺を抱えていたあの男を探し出し、おまえは藤原宗成なのかと問いただしたとして、その後は、どうすればいいのだろう。


 魔魅まみを使って人の魂を狩るなと脅せばいいのか?

 そもそもあの男に、魔魅を操る力があるのだろうか?

 伊予いよ皇子の怨霊がやったと言われてしまえば、それまでではないか。

 実際あの男は、伊予皇子に頼まれたと言っていた。その頼まれ事が壺の持ち運びだけなら、いったいあの男をどんな罪に問えるというのだろう。


(いっそ、早いとこ上皇を呪い殺しちまえばいいのに)


 昨夜は何も知らずに上皇を助けてしまったが、父の話を聞いた今となっては、どうしても伊予皇子に同情してしまう。

 とは言え、違和感がない訳ではない。


 人の魂を狩る魔魅。

 魔魅が狩った魂を喰うぬえ

 伊予皇子の怨霊。

 彼らと宗成の関係ももちろん知りたいが、魔物たちと伊予皇子の関係性が今一つわからない。


(いや、わからない事だらけだな)


 篁が、がっくりとこうべを垂れたとき、シロタが下降し始めた。

 下を見ると、山に囲まれた広大な所領をもつ寺院が見えた。大きな建物の周りには池のある庭園があり、小さな建物の周りには林や田畑が広がっている。

 シロタが降り立ったのは、小さな建物の周りに広がる林の中だった。


「母ちゃん!」


 林の中に佇む粗末な服を着た農民の娘に、シロタが呼びかけた。

 振り返った娘は巨大狼の姿を認めると、目を輝かせてシロタの首っ玉にしがみついた。


「シロタぁ! その姿をしていると、ますますあの方にそっくりだわ!」


 農民の娘────いや、シロタの母なら魔犬サラマーなのだろう────はスリスリと巨大狼に頬ずりしている。

 篁はシロタの背からすべり降り、娘をしげしげと観察した。

 粗末な服を着ているのは、この寺院の田畑で働く農民に化けているからだろう。しかし、目鼻立ちのはっきりした美女は、この農村ではかえって悪目立ちするんじゃなかろうか。


「か、母ちゃん、やめてよ!」


 シロタは身をよじると、ポンッと白煙を出して、白髪の青年へと変化へんげした。紺色の狩衣姿には品があり、篁よりもずっと貴族らしく見える。


「おっ、尻尾が出てないぞ!」


 篁が驚いてそう言うと、白髪の青年シロタはポッと頬を染めて破顔した。


「オイラ、このところ魔力がぐんぐん増えてるんだ」


 シロタの横に立つ農民の美女が、篁に微笑みかけながらうなずいた。


「そなたと仲良くなってから、シロタは目を瞠るほど成長しているんだよ。この件が終わったら、冥界の我が家にも遊びにおいで」


「いや、俺の方こそ、シロタのお陰で助かってます」


 シロタの母は思ったよりも気さくな魔犬ひとだった。あのおかっぱ姉弟のように人を威圧しない────なんて思っていたら、その姉弟が小道の方からやって来た。こちらも農民の粗末な服を着ている。


「母上! あの男はこの先のいおりに入りました!」

「あっ、シロタと人の子! おまえらまで来たのか?」


 おかっぱ姉弟の弟が睨んで来たが、今はケンカをしている暇などない。


「話は後だ。その庵まで案内してくれ!」

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