第4話 篁、冥界へ渡る。
翌朝起きると、しとしとと雨が降っていた。
一刻も早く、
昨夜も、篁はシロタと一緒に藤原邸まで戻ったのだが、屋敷には
とても壱子の部屋まで忍んで行ける状況ではなく、仕方なく翌朝出直すことにしたのだが────。
正門の前まで来て、篁は眉をひそめた。
朝の藤原邸も、
(まさか、昨夜から一晩中続いているのか? ……ってことは、壱子の魂は戻ってないのか?)
その事実に気づいて、篁は愕然とした。
「何てことだ……」
篁は大急ぎで
祈祷師が一晩中祈祷を続けているのだ。主である
しばらく待っていると、中門廊の扉から三守が現れた。憔悴しきった顔は青白く、いつも朗らかな三守とは別人のようだった。
「篁か……ちょうど良かった。壱子は昨夜倒れて、まだ意識が戻らない。祈祷師も、もはや打つ手がないと泣き言を言っている。……おまえの妻に壱子はどうかと、
「そんな……壱子は大丈夫だ! きっと大丈夫だ!」
諦めきった三守の顔を見ていられず、篁は藤原邸から飛び出した。
しとしとと降り続く雨。
ひと気のない大路を、篁はひたすら走った。
(壱子はきっと、迷子になっているんだ。魂を引き出されて、家がどこにあるかわからなくなったんだ!)
どこをどう走ったのか、篁はいつの間にか鴨川のほとりに立っていた。
いつもより僅かに水量を増した鴨川は、まるで黄泉路にあると言う三途の川のようだった。
(まさか……壱子は、冥界へ行ってしまったのか? そんな……俺はまだ、おまえに好きだとすら言ってないのに!)
六尺二寸の大男と言えど、彼はまだ青年期に差し掛かったばかりの若人だ。
じわりと熱くなった目頭から、つぅーっと涙が一筋伝ってゆく。
『泣く涙 雨とふらなむ渡り川 水まさりなば かへりくるがに』(※古今829)
(俺の流す涙が雨のように降って、あの世へ渡る川の水が増えて渡れなくなればいいのに)
呆然と川の流れをながめていた篁は、ハッと我に返り、己の頬を両手で思い切り叩いた。
「壱子は死んでない! あの魔魅って妖怪に魂を抜かれただけなんだ! 俺は、何があっても壱子の魂を取り戻す! イザナギノミコトの故事に倣って
わぁぁあぁぁぁぁぁああぁぁぁ! と雄叫びを上げながら、篁は走り出した。
ザブザブと水しぶきを立てながら鴨川を渡りきる。
イザナギノミコトの故事に倣うと言ったところで、黄泉平坂がどこにあるのか篁にはわからない。ただ、鴨川を渡った先にある
「シロタっ! シロタぁっ! いるなら出て来てくれ! 壱子が戻って来ないんだ!」
枯れ草の波をかき分けて、夏にシロタを見つけた林に分け入ると、篁の呼び声に応えたように突然シロタが現れた。
「タカムラ! ちょうど良かった。冥府でイチコを見つけたんだ。しかも、裁きの列に並んでるんだ!」
「裁きの列だと!」
壱子の居場所がわかってホッとすると同時に、篁の胸には怒りが湧いてきた。
寿命でもないのに魂を狩取られ、その体は今も死の淵をさまよっているというのに。まだこれから何十年も生きるはずの彼女が、なぜ裁きの列に並ばなければならないのだ。
「冥府の王は何をしてるんだ! シロタ、俺を冥界へ、壱子の所へ連れて行ってくれ!」
「うん。こっちだ!」
シロタはくるりと方向転換すると、林の中を縫うように走り、草に覆われた岩の裂け目に飛び込んだ。
「何だ? この穴が冥界への入口なのか?」
岩の裂け目のような狭い穴は、飛び込んだばかりのシロタの姿すら見えない真っ暗闇だ。
篁は一瞬ひるんだが、勇気をふりしぼって岩の裂け目に足を踏み入れた。
「ええいっ、待ってろ壱子!」
狭い岩の裂け目は、大柄な篁の体を難なく飲み込んだ。
落下するとばかり思っていた篁は、穴に飛び込んだ瞬間グルグル回った。
眩暈がするような、胃の腑がかき回されるような最悪な気分の中で、篁は意識を失った。
──────────────────────────────────────
※この歌は、本当は妹(?)が亡くなった時に詠んだ歌だと言われています<(_ _)>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます