第6話 ジョエル


 マリーはジョエルからの手紙を預かって返ってきた。

 すぐにでも。という返事に、予想外に早く会えることに喜ぶ。ルーラは急いで着替えを済ませると、マリーと共にニーデルベア伯爵の屋敷へ向かった。



 案内された応接室にはすでにジョエルが待っていた。


「ハードヴァード公爵令嬢、お待ちしておりました」

「ジョエル様、どうかルーラと」

「では、ルーラ様。どうぞこちらへ」


 高級なソファを示され、ルーラは大人しく座る。マリーには部屋の外で待機してもらっていた。それを見たジョエルが、自らの侍女を下がらせる。


「ありがとうございます」


 意図を汲んでくれたことに礼を言えば、意外にも厳しい目線が帰ってきた。


「ルーラ様。失礼ですが、あなたは殿下の婚約者だ。あまり軽々しく他の男を訪ねるのはいかがなものかと思いますよ」


 以前は随分と気さくな印象を受けたが、今のジョエルは伯爵家の息子たる威厳を備えているようにみえた。数ヶ月で何かが変わったと言うことではないのだろう。本心から心配してくれている。そうルーラは感じ取った。


「申し訳ありません。ですが、とても大事なお話があって……それに、わたくしは殿下の婚約者と言うわけではありませんし」

「婚約者候補なんていっても、予約済みの身じゃないですか」


 肩をすくめてジョエルが言う。


「予約済みだなんて……」

「実際そうでしょう? 他の男からしたら、あなたは高嶺の花ですよ。俺も含めてね」

「ご冗談を」

「冗談じゃなくて本気なら、話を聞いてくれるんです?」


 思わぬ言葉にルーラは驚いた。そして目を瞬く。ジョエルがそのようなことを言うとは思わなかったのだ。しかし考えてみれば、ルーラとジョエルの婚約の話を公爵からルーラが聞かされたのと同じように、ジョエルも聞かされているのかもしれない。

 そう考えると、確かに自分の行動は軽率だった。密会したようなものだ。事実そうなのだが、周囲からみればあまり良いものとはいえないだろう。少なくとも、グレンの婚約者候補筆頭という立場を表向きは失っていない身としては。

 沈黙してしまったルーラに、ジョエルは小さく吹き出した。


「冗談ですよ。冗談。ただね、そう言うことがあるっていう話……あなたも聞いているでしょう?」


 核心を突く言葉に、ルーラは慎重に頷く。


「まぁ、俺としては、親友の恋人を奪うのは気が引けるんですけどね。グレンが望むなら別だけど」

「恋人……あ、その、やはりお二人は親しいのですね」

「そうですねぇ。幼少期からの付き合いなので、そこはあなたとグレンが親しいのと同じですよ。こちらはもちろん友情ですけどね」


 茶目っ気たっぷりに片目を瞑る姿に、思わずルーラは笑った。

 初めて会った時もこんなふうだったとルーラは思い出す。気さくで、快活で、言葉遊びが得意で、とても優しい人なのだ。

 物静かなグレンとウマが合うというからどんな人かと思えば、グレンを言いまかすような口の達者な姿も見た。それでもグレンが楽しそうにしていたから、とても仲がいいこともうかがい知れたのだ。


「さて」


 ジョエルの声音が変わる。


「本題にはいりましょうか。ルーラ様」

「ええ」


 ルーラはごくりと唾を飲み込んだ。


「ジョエル様は以前、カルサンドラ王国に留学されていましたよね」

「え? ええ。そうですね。二年前ですけれど」


 予想外の話題だったのか、ジョエルが目を丸くする。


「どうして、カルサンドラだったのですか? 特別交流があったわけでもないのに……」

「それが、お話ですか?」

「確認させていただきたいだけです」


 ジョエルは困惑した様子で考え込んだ。

 話してはいけないような内容ではないが、手札を出していいのか迷っていたのだ。決して敵対しているわけではないが、ルーラが何を求めているかによっては、失言することにもなってしまう。本題から入らないルーラに焦れつつ、ジョエルは答える。


「我がニーデルベア家が、商会を持っていることはご存じですか?」

「ええ、ニーデル商会。とても大きな商会で、西諸国のあちこちに支店があると」

「カルサンドラにも支店があることは?」

「カルサンドラに?」


 それは初耳だった。東に進出していたとは……。


「ほんの一年前ですがね。俺が留学したのは、支店を開くカルサンドラという国を知るため、そして東の情勢を把握するため。あとはまぁ、ただの親子喧嘩です」

「お、親子喧嘩……」

「反発したいお年頃だったんですよ」


 なるほど。とルーラは頷く。そういう理由なら留学はあり得る話だ。その親子喧嘩で家を飛び出したのか、伯爵が息子を旅に出させたというような形なのかはわからないが、調査を兼ねていたのだろう。


「結果的に、カルサンドラはまぁ、王家や貴族の恨みを買わなければある程度商売の自由があるとわかったんです」

「王家の恨み……」

「執念深い人、らしいですよ。王様」


 楽師が言う通りということか。相手がどういう人柄か詳しくわからないが、こうまで言われるのだから、少なくとも表向きはそのように振る舞うだろう。

 恋焦がれる相手が、自分の求婚を無視して別の国の王子と結婚したなどと知ったら、どんな圧力をかけてくるか……。


「それで? まさかカルサンドラに留学しようって言うんです?」

「え?」


 怪訝そうにジョエルが言う。ルーラは慌てて首を振った。そんなつもりは毛頭ないのだから。


「じゃあ、話と言うのは?」

 

 そしてようやく本題に入れると前のめりになる。これは内密の話だと意識するほどに、ルーラの声は小さくなった。


「実は……これは旅の方に聞いた話で、まだ、確証はない話なので、お話しすること自体が良いことかわからないのですが……」

「俺に何かしてほしいことがある?」

「ええ」


 聡いジョエルも、また前のめりになる。2人して小声で話をする姿勢だ。


「どうぞ、話してみてください。口は堅いです」


「はい……今朝、聞いたのです。エルマルのレティシア王女に、カルサンドラの国王陛下が熱心に求婚しているという噂を」


 一瞬、困惑した顔を見せたジョエルだったが、次の瞬間には顔を青褪めさせた。ルーラにも、ジョエルにも、嫌な汗が流れる。


「そ、それが事実だとしたら、それをエルマルが知らないわけがない。だとしたら……」


 それを知っていながら、あえてそれに決着をつけないままアスバストとの国交を結ぼうとしたのならば、それは国際問題に発展しかねない情報だった。

 ジョエルは顔色を悪くしたまま、ルーラを見つめる。

 

「カルサンドラの国王陛下がどのような行動に出るかわかりませんわ。お怒りを買ってエルマルがもし攻撃されたら? 国交を結んだ我が国に助けを求めるかもしれません。そうなった時、レティシア様が王妃になられていたなら、陛下はおそらく出兵しないわけにはいかないでしょう」

「けれど、そうなったとしても西諸国は動かない。最悪見捨てられる」

「ええ。それに、最悪カルサンドラが我が国を直接狙う可能性もあります」


 もしそうなれば最悪の事態である。

 ジョエルは唇を噛んで、険しい表情を浮かべた。


 

 

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