半月に幽霊

山田湖

第1話

 –––2021年 イギリス ロンドン


 ロンドンのみならず、ヨーロッパの街並みの特徴は川に向かって建物が建てられていることらしい。旅行雑誌などでも眺めることができるが、石造りの建物と川の流れは景観に調和と温かみをもたらすだけでもなく、川のせせらぎは人の心の間に入り込み、その隙間を埋めてホッとする時間を作ってくれる。また産業革命時代、市民のための公園の必要性が提唱されたことにより、ハイド・パークやセント・ジェイムズ・パークなどの大きく緑の生える公園も多数あり、なかなか過ごしやすく感じる。いや、過ごしやすさもとい暮らしやすさという面に関して言えば川に面して建物が建てられているとか公園が多いとかそんなこと関係ないのだろうか。彼は日本に暮らしていた時も過ごしやすさなど考えず当たり前のように暮らしていたため、ロンドンに来て初めて過ごしやすさ云々を考えるなど、一種のホームシックに近しい感情なのかもしれない。もしこんな感情を抱いてなければきっとここに来たその日から日本と比較せずそのまま暮らしていけるはずだ。

 最上匠もがみしょうはテムズ川のほとりにあるベンチでコーヒーを飲みながら携帯電話を耳に当てていた。一見優雅な一日を過ごしているように見えるであろう一文だが飲みながらという部分に関しては語弊があるかもしれない。カップの中のコーヒーはまだ半分以上残っているにもかかわらず完全に冷えてしまっているからだ。ロンドンに来たばかりのころ、彼を何かと気にかけてくれた老夫婦の経営する喫茶店で買ったもので、この老夫婦の顔を思い浮かべれば温かく美味しいうちに飲んでしまいたかったが、どうにもこの電話の相手の男との話は長くなる。


「お前覚えているか? あの資産家の殺人事件」

「どの資産家ですかね。殺されるようなのがいっぱいいてわからないですね」

「ほら、幽霊に殺されたとかいう」

「あー……あれか」

 これはまた懐かしい話を出してくるものだ。この電話の相手が話していることは彼が、最上匠としてではなく嘉村匠かむらしょうとして日本で暮らしていた時のことであり、その時、彼は日本警察の協力者だった。その後ごちゃごちゃとしためんどくさい事件が発生し、彼は現在日本では行方不明扱いということになり、最終的に手に入れた急ごしらえの戸籍を使って、最上匠としてロンドン警視庁の協力者となっている。いわば第二のシャーロックホームズだ。

 そして電話の相手――日本警察の長である警視総監である――が話している殺人事件というのは、彼が日本警察にいた時、その真相のすべてを解き明かせなかった数少ない事件の一つである。否、正確には大体のあたりが付いているが、あえて黙っていたという方が正しい。恐らく、電話の相手は彼が真実を全て話さず黙っていたことを知ったうえでこうやって聞いてきたいるのだろう。さすがは警視総監と言ったところだ。

「でもいいんですか? もう今更話したって手遅れですけど」

「別にいい。今更どうこうしようという気はないしな。ただ単純な俺の興味ってやつだ」

「ふむ……」


 彼は記憶の海にもぐりこんだ。まずはこの事件のすべてを思い出さねばなるまい。

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