第2話

 故郷を出てから一人で旅をしてきたライルにとって、街道を使っての移動は慣れた物である。




 日中に移動し、日没までに野営場所を確保。夜は周囲を警戒しつつ休み、明け方からまた移動を開始する。途中にある町で補給や大休止を取りながら、目的の帝都までは二週間ほどの距離だ。




 間にあった数カ所の関所と検問では何も問題は起きなかった。ライルを悩ませたのは関所や検問などでは無く、フリージアへのお土産をどうするかの一点だった。帝都までの道すがらそればかりを考えながら来たが、とうとう良い物が思いつかないままその入り口へと辿り着いてしまっていた。




(うーん、仕事を済ませたら店でも見て回れば良いか。何か見つかるだろ……)




 後は最早見てから決めるしか無いとライルは問題を先送りにし、入都検査待ちの行列に並ぶ。しばらくして旅程最後の荷物検査を難なく素通りする。




 門をくぐり終える頃には西日が城壁の向こうへと沈んでいた。








 ライルは帝都に入るなり、とある酒場へと向かう。薄着の女性が沢山居て様々なサービスをしてくれるタイプの酒場だ。店の入り口では厳つい男が二人、真っ直ぐ前を向いて直立不動の姿勢を取っていた。微動だにしないその男達はまるで石像のようだったが、ライルが近づくと視線を向けて警戒している様子を見せる。




(ここも久しぶりだな……)




 ライルは店へ遊びに来たわけでは無く、仕事を片付けに来たのだった。 ライルが懐にゆっくりと手を入れる動きを見せれば、入り口に立つ男の鋭い視線が一層キツくなる。それを気にしながら、ライルは一枚のコインを取り出した。




「この店で一番良い酒を頼みたいんだが」




 ライルはそう告げながら取り出したコインを男に見えるように差し出した。仕事の際に使う符丁のひとつだった。




「飲み方の好みは?」


「メイプルシロップで割ってくれ」


「……かしこまりました。どうぞ中へ、ご案内します」




 男は店内に入るなり、中に立っていた同じような格好の男に手で合図した。すると合図を受けた男は案内役の男の代わりに店の外に立つ。ライルはその後を付いて歩く。




 店内は肩の高さほどの仕切りに囲まれた席が沢山あり、その内側で男達と女の子が楽しくしているようだった。それを傍目に二人は階段を上がり、二階へと上がる。通路の突き当たりには分厚そうな豪華な扉があった。そしてそこにもまた男が立っている。




「お客だ」




 案内役の男がそれだけ言うと、扉の脇に控えていた男はひとつ頷き、扉をノックして中へと入った。




「少々お待ちを」




 部屋の中の人物の了解が取れるまで普段は少々待たされる。しかし今回その時間は意外と短かった。思いの外早く、扉脇に立っていた男が戻って来てライルを中へと促した。




「どうぞ」




 ライルはそれに首肯を返して扉をくぐる。








 部屋は広く豪奢な造りをしていた。高そうな絨毯が敷かれ、その上にはこれまた高そうなソファやテーブルが置かれている。そんな高そうな調度品ばかりの部屋の隅のテーブルには、およそこの場に似つかわしくない、一抱えほどの無骨な木箱が置かれていた。




 その薄暗い部屋の窓際、長く真っ赤な髪の女が入り口に背を向け、椅子に座って外を眺めていた。その向かいの机には、真っ当な稼ぎではなさそうな金貨が高く積まれている。




「いらっしゃぁい。待ってたわぁ」




 ライルへと振り向いた女は妙に甘ったるい語調で喋り出した。何も知らなければ美人に見えるその顔は、どこか嫌悪感を感じさせる嫌な笑みを顔に貼り付かせている。その表情と相まって、髪の色にも負けない真っ赤なドレスは血で染まってるようにも見えた。




「アナタがぁ、噂の“素通り”ぃ?」


「自称した覚えは無いが、そう呼ぶ奴も居るな……ところでいつもの甘党はどうしたんだ? 栄転でもしたのか?」




 これまで仕事で何度かこの店を訪れていたライルが会っていたのは決まって同じ男だった。その男は常に手元にメイプルシロップを置いておくほどの甘党であり、軽薄そうな見た目ながら油断のならない雰囲気の男だった。軽く室内を見回してみるもその姿はなく、テーブルの上にもメイプルシロップは無いようだ。






「いつもの子はちょぉっと忙しいみたいでぇ、今は私がここを任されてるのぉ。ミネルバっていうのぉ、よろしくねぇ」


「……アンタらも色々あるみたいだな。じゃぁ、これはアンタに渡せば良いのかな」




 ライルは帝都に入ってからあらかじめカバンに移しておいた例の荷物を取り出す。




「はぁい、確かにぃ。それじゃぁ、これがお代ねぇ」




 椅子から立ち上がり荷物を受け取った女は、無造作に机の上の金貨を左手で掴んでライルへと手渡した。




「おいおい、随分大盤振る舞いじゃないか。良いのか?」




 それは普段の仕事の倍はあろうかという金貨の量だった。ライルが手元の金貨から顔を上げると、ミネルバの顔が媚びるように嫌らしく歪むのが見えた。




「実は別件なんだけどぉ……どんな物でも運べる凄腕の“素通り”さんにぃ、どぉぉしてもお願いさせて頂きたい物があってぇ」


「へぇ、それはそれは光栄な事で……」




 案の定の言い振りに嫌な予感がするも、ライルは努めて平静を装う。




「この子を元の住処へ帰してきて上げて欲しいのぉ。“素通り”さんには簡単な仕事かもぉ」




 ミネルバは部屋の隅へと移動しテーブルに置いてあった箱の側面を開ける。すると綺麗な装飾の薄いカーテンが付いた鳥かごが出てきた。中には何かいるようでバタバタとした羽音と、うめき声のような汚い鳴き声が小さく聞こえて来る。




「――っ」




 次元収納に生き物――魂を持つ物は入らない。そして次元収納がある以外、ライルは普通の人間とさして変わらない。故に生き物の密輸は引き受けないで済むよう、上手く立ち回って来たのだった。




「いやぁ、ご指名で仕事を頂けるのは有り難いんですがね。生憎とペットの扱いには慣れてなくて――」




 おどけた調子で断ろうとするも、首筋に冷たい感触がして言葉を止めた。いつの間にかライルは背後を取られていた。




「あまり私を失望させないでぇ?」




 ミネルバの言葉に続いて首筋に当てられた冷たい感触が微かに動く気配がする。有無を言わさぬ物言いに、断れば用済みと処分されかねないと思われた。場を緊迫した空気が支配する。




「…………」


「…………ふぅ。分かったよ。やらせて貰うよ……ただ、急な依頼だ、報酬は弾んでくれるのか?」




 しばしの睨み合いの末、ライルは覚悟を決める。同時に背後の気配が下がり、影に溶ける。緊迫した空気が少しだけ緩んだ。




「そうねぇ、期待してくれて良いわよぉ。お望みならアナタの席・を用意してあげるわぁ」




(席を用意するって……仮にハッタリだとしても、こりゃいよいよヤバいヤマに突っ込んじまったな……無事に終えたとして、組織に頭まで浸かるか……それとも……)




「なるほど。そりゃ破格な事で……ちなみに、前金はいつも通り?」




 手でお金を示すジェスチャーをし、ライルは言外にもっと寄越せと含める。




「――ッハン。抜かり無いわねぇ。でもぉ、そういう子嫌いじゃないわぁ」




 ライルの精一杯の意趣返しをミネルバは鼻で笑いながら、左手で金貨を適当に摘み上げると投げて寄越した。




「どうも。で、その鳥かごを何処まで運べば良いんだ?」


「んふ――妖精の国」


「――――!」




 薄ら笑いを浮かべた女は鳥かごのカーテンを開ける。そこには手のひら程の大きさの鳥――ではなく妖精の女の子が居た。既に鳥かごの中にいるというのに、何故か両手を縛られ口には猿轡をされている。




 その妖精はライルを見て酷く驚いた顔をしていた。




「んー! んんー!!」


「もぉ、うるさいわねぇ。やかましい女の子は嫌いなのぉ」




 うんざりしたような顔でミネルバは鳥かごのカーテンを閉めた。魔法でもかけられているのか、薄布一枚とは思えないほど妖精の声が遠くなる。




「何で妖精がこんなとこに……」


「ウチのシマの馬鹿な子がねぇ、どっかから連れて来ちゃったみたいなのぉ」




 妖精はかつて勇者を導き、魔王討伐を手助けした種族である。そのような理由から妖精を害するような事――愛玩動物として扱うような真似は厳罰に処される。




「この子の話だとぉ、勝手に国を出て来たみたいなのよねぇ。それで敢えなく悪い人に捕まっちゃったみたぁい。それが嘘でも本当でもぉ、私達の手元にこの子が居る事自体が爆弾みたいな物なのぉ」


「だろうな……」




 いかに非合法組織として大きかろうとも。国同士の揉め事の種――それも妖精の国との争いになりかねない物など、誰も持ちたくは無い。




「仕事が完了した証明はどうすりゃ良い?」


「はぁい、鳥かごの鍵ぃ。この鳥かごは妖精の国の近くまで行かないと開けられないようになってるわぁ」


「なるほどね……」


「それじゃぁ、エスコートをお願いねぇ」


「……あいよ」




 ミネルバから差し出された鳥かごと鍵を受け取る以外の選択肢はライルに残っていなかった。








 ――◆――








 ライルが酒場を離れて行くのをミネルバは窓から眺めて居た。




「分かってると思うけどぉ」


「はい――」




 返事をした男の気配は薄暗い部屋の影に解けるように消えていく。




「…………」




 それを確認したミネルバはカーテンを閉め、薄暗い部屋をぼんやりと見つめながら自らの右腕を強く握りしめた。




「後はアイツらが揃ってるうちに何とか……ようやく……ようやく……わたし達にもツキが回って来たよ……ママ……夢が叶うよ――」

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