残骸と不良品

忌川遊

少し曇り空ながらも、暖かな風が吹く日




多くの人に見られている。いや、撮られている。角度は垂直、空気抵抗は全く及ばない。前にも見たような光景だ。だが今回は穴が見える。まるで…地獄への入口のようだ。




「どうも~ 世の中のことは俺に任せろ。このスマホと共に世の中を変える。中学生活動家Vです。そういや最近、家族を巻き込んで自殺しようとし、失敗したクソみたいな男がいましたねぇ。そいつ、いわゆるエリートだったらしいんですよ。いやホントに、偏差値高い高校だとか大学だとか出てるやつにロクな奴いないんですって笑。俺の兄もオヤジも、ホントにしょうもないんですよ~、毎日、毎日勉強しろ、勉強しろって。そう偉そうに言うお前は人生成功してんのか?って感じで笑笑。俺の叔父は中卒で芸人目指したらしいんですけど、「お前、後悔無いように好きなように生きろよ」って、よっぽどまともなこと言ってんじゃん笑。つまり何が言いたいかというと、エリートなんてのはカス!皆この俺から学べっ。 以上!」




動画をアップするとすぐに多くの「いいね」とコメントがついた。

「俺から学べ、はガチ名言です!」

「Vさん尊敬してます 一生ついてきます」

「三十代自営業です いつも勇気もらってます ありがとうございます」

よしよし、良い感じだ。俺のチャンネルはなかなか人気があるほうだ。収入だって、最近左遷されたオヤジ程はある。



…そうだった、あの頃は良かった


 

 ある日、俺は街中に出て動画撮影をしていた。―撮影中に偶然、人質を取っている男を目撃した。俺は夢中でスマホを取り出した。俺はそこにあった深い溝に全く気付かないまま、足を滑らし、勢い良く転げ落ちた。だが周りにいた人の中で、すぐに救急車を呼ぶ人などいなかった。皆、歩きながらスマホに夢中だ。

「誰か……救急車を…」

一言呟き、意識を失った。


 

 俺の命には全く別状は無かった。まあ普通はないだろう。しかし、顔に大きな醜い傷ができた。俺は思った、「これは使える」と。俺は退院すると、すぐに生配信をした。


「皆さんこんにちは。中学生活動家Vです。先日、人質を取る男を偶然見つけ、動画撮影中に転落し、顔にこのような傷を負いました。俺はこの世の中を許しません。私は本気でこの世界を変えます。皆さん応援よろしくお願いします」


「よし、今回は大反響間違いなしだな」

俺は多くの「いいね」と支援のコメントを期待した。しかし、結果は全く違った。

「調子乗んな中二病中坊がWW」

「顔傷キショすぎ、二度と見たくないわ」

「逆に勇気もらえるわ笑」

「三十代自営業の者ですが、この人はあまりにも常識がありませんね。」


うそだろ。


 俺のチャンネル登録者数はあっという間に減っていった。俺も心をへし折られた。それでも、動画配信以外に生き方を知らない俺はこの日から三日後に最新動画を投稿した。


「こんにちは。中学生活動家Vです。俺は、俺に手の平返しをした世の中を許しません。今日から再び活動を再開します」


 その日を境に俺は、親しい配信者の誹謗中傷を始めた。再生回数を稼ぐためだ。遂に俺は本当に醜い人間になったのだ。




 それは突然の出来事だった。暴露相手が死んだ。自殺する直前の投稿で俺のチャンネルに言及していた。その事を知ったとき、ある程度の覚悟を決めた。後日、遺族に訴えられ、捜査を受け、裁判に掛けられた。俺は有罪とされ、懲役7年を言い渡された。




 七年後、俺は出所したが、これからどうやって生きていけばいいのか全く分からなかった。日雇いのバイトを始めたが、少ない給料で真面目に働くことを馬鹿馬鹿しく感じ、全く続かなかった。            



「こんにちは。先日出所しました。再びこの世の中に出て思いました。この腐った世の中で生きていくことは馬鹿馬鹿しい!…皆さん次の動画をお楽しみに、そして…覚悟しておいてください」

まだ生きていた俺のチャンネルで配信した。届いたコメントは案の定「キモ…」だの「早くしろ」だの、そんなコメントばかりだ。もういい。本当にこの世の中に失望した。そして本気の覚悟を決めた。



 ある冬の寒い日、普段は海釣りのスポットとして人気がある場所に俺はいた。持ってきていた三脚にスマホをセットし、画面を開く。

「この前言っていたことを始めます。俺はこの世を許しません。覚悟しといてください。」



 俺はずっと通行人を待っていた…来た!

「すみません。海バックにして写真撮っていただけませんか?」相手はすんなりと引き受けた。三脚にセットしてあるにも関わらず…、予定通りだ。久し振りに良い気分だ。セットしてあるスマホの前まで来たとき、俺はそいつを思い切り掴み、走り、道連れに海に飛び込んだ。






ー彼にとって幸か不幸か、動画は撮れていなかった。ただの一秒もだ。社会の残骸となった彼は誰にも見送られることなく男と海に沈んでいくー


 

道連れになった男、川澄は懸命にもがいた。「この男は俺と同じだ。十年以上前、俺はもう一度生きる希望をもらった。今度は俺がそれを返す番だ」川澄はその一心で地上に上がろうとする。ショックで気絶している男を岸に押し上げ、また彼も岸に上がった。



 半年後、俺は彼の仕事を手伝っていた。名前は川澄、彼が俺の命を救ったこと、今は一応自分の会社を持っていること。そして、彼自身も過去に道連れの自殺を試みていたこと…。全てを俺に話した。俺は彼に説得された。この人は自分と同じ醜い人間だった、だからこそ彼の言葉は俺の心に真っ直ぐと突き刺さった。俺は生き返ることを決めた。懸命に生きていくことを彼と約束した。ある程度スマホに対する知識があった俺は会社のオンライン関係を担当する社員となった。社長の過去を突き止めた人からは言われもない悪口も書き込まれた。それでも俺は懸命に働いた。恩人である社長のために。

 

…そうだ、あの頃は本当に必死だった。だが楽しかった。


 しかし長くは続かなかった。ある日、社長は急死した。しばらくして会社も成り立たなくなり、俺はまた未亡人となった。それでも、もう前の様に死ぬことを考えたり、人に迷惑をかけてまで生活することはしなかった。彼との約束を守りたかった。俺はとりあえずバイトを始めた。俺の様な人間でも雇ってくれる場所を探し、そこで必死に働いた。接客業では人から直接の感謝の声も貰えた。俺も感謝される側になることが出来たのだ!もう…十分だ。十分幸せだ。俺はこの生活をずっと続けていこう。




しかし時は来た。世界は俺に更生の機会すら与えないのだろうか。

 俺はデパート屋上のベンチに座り、買い物ついでに買った昼飯を食べていた。心地好い春風に吹かれて少しウトウトしていた俺の目を、突然の大声が覚ました。

「どいつもこいつも俺を馬鹿にしやがって!俺は死んでやる!」

そう叫び立ち上がった筋肉質の大男は…なんと俺の腰を両手で掴んだ!彼の太い腕は俺を軽々と持ち上げた。俺は恐怖で青ざめた。だが不思議なものだ。ある一つの想いが芽生えた。

「今度は俺がこの男を立ち直らせよう。そのために、どうにか…」

俺は必死に助けを求めた。だが、誰一人として動くことはない。

 両目に涙が滲んできた。「………しょうが無いことだ。今助けに来ればその人も危ない。これも…人助けかもな…」

不思議と気持ちが落ち着いてきた。






 突然、皆が何かに気づいたように一斉にスマホを取り出し、俺ら二人を撮影し始めた。道連れ自殺を計る男と、それに巻き込まれた男の二人組を数十人がスマホで撮影する。驚いた。涙も引っ込んだ。俺はとてつもない気味の悪さのような、人への恐怖感の様な、そんなものを感じた。そしてまた思い出した。もう何年も前、俺が顔に傷を負ったあの日のことを…。こいつらと俺のあの日の姿が重なった。どの人の姿も、かつて醜かった俺の姿と同じではないか。それに気付くと、俺はもう嗤えてきた。あまりのショックで俺は昔の心になった。「自分はこの上なくクズな人間だったと思ってた。だが、俺の姿など実際は万人と同じようなものだったのだ。こいつらもまた、ロクでもない人間なのだ」



 男に連れていかれるがまま、屋上から空中に投げ出される。緑の芝生が近づいてくる。…最後の瞬間だ。


 誰かが通報でもしたのだろう。消防隊が見えた。だがもう間に合わないだろう。目下には多くの人々がいる…否、正確にはスマホが見える。多分奴らもまたカメラで俺達を撮っているのだろう。誰も俺達を助ける気などない。ただ自分のことにしか興味がないのだ。

俺らが落ちて来そうなところだけは人がいない。ぽっかりと穴が空いている。気を失った男の手が俺を放した。


 五秒前、俺はスマホカメラに向かって思い切り中指を立てた。心が昔に戻った俺の姿もまた、昔の様にネットに出回るのだろう。俺の過去を突き止めた奴は

「こいつも所詮愚か者、死んで当然笑」

などと言うのかもしれない。

 

 四秒前、消防隊が来るのが見える。俺のひねくれた心は「どうせ給料だの、昇進しか考えてないだろ」なんて思っているのだ。そんな風にしか思えない自分にまた嗤えてくる…

…もう駄目なんだ、間に合うはずがない。

 


 三秒前…これは本心なのか?それとも善人でいたかったのか、なぜか言わずにはいられなかった。

「お前らさ、もっと世の中を見てやれよ!スマホばっか見てないでさ、カメラで撮って、動画で上げて、なんだかんだコメントするくらいならさ、他の人、困ってる人、助けてやれよ!」

必死に叫んだ。そして一粒、雫が落ちた。


 


 一秒前、人集りをかき分け現れた消防隊のマットが二人を共に受け止めることを試みる。

 大男――道連れ自殺を試みた最低の男、殺人犯とも言える男はマットで受け止められた。

 


 巻き込まれた男――刑務所に入り、道連れ自殺も図るも、その相手に救われ善良な人間になることを目指し、頑張り続けたこの男は、勢いそのまま地面に吸い込まれ、地獄に堕ちていった。



 地面に付いた痕を降りだした雨が消していく。






















































































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残骸と不良品 忌川遊 @1098944

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