淑女教育(5)

 ついに婚約披露パーティーが三日後まで迫ってきた。


 今日はパーティー直前の日程でもとくに重要な日となっている。


「……はい、全問正解です。おめでとうございます、お嬢様」


「ありがとう、クラリス」


「なんとか間に合ったようだな」


 クラリスの採点結果を受けて、私は安堵する。


 貴族名鑑をすべて記憶できたか最終確認する問題に全問正解し、それを皇太子に示すことができた。


「これでよろしいでしょうか、皇太子殿下?」


 どうだ、という気持ちを込めて強い笑顔で問う。


 このくらい当然だとあっさり返されると思っていたのだが。


「ああ、さすがだ」


 予想外の回答に私は固まってしまった。


 皇太子は微笑んでそう回答した。しかし、今までの不快なものとは異なり、穏やかな微笑みであった。


 今まで見たことのないその表情に、不覚にも胸がどきりと高鳴ってしまう。


「お前ならやってくれると信じていたが、容易なものではなかったはずだ。期待に応えてくれて感謝する」


(ちょっとちょっと、急にどうしたのよ!?)


 これまでの態度とはまるで異なるその様子に、私は困惑を隠せない。


「これはその礼……というほどのものではないが、お前が婚約披露パーティーで着るドレスを用意した。受け取ってほしい」


 そう言って皇太子がセルジュに合図を送ると、セルジュがふたつの箱を持ってきて私の前に差し出した。


「クラリスから部屋用ドレスのサイズには問題なかったと聞いている。それと同じ寸法で作らせたから、サイズは合っているはずだ」


「そういえば、このドレスもなぜかサイズが合っていたのよね。どうやって私の寸法を?」


「戦場で見た時からおおよその見当はついていた。クラリスにも確認を取り、ほぼ正確なサイズを割り出したはずだ」


「はあ」


 呆けた声が漏れる。


 確かに体が隠れるほどの重鎧を着ていたわけではないが、それでも見ただけで他人の体のサイズがわかるものだろうか。


 というか。


「皇太子、あなたもしかして戦場で私の体を寸法がわかるほどじっくり見ていたの?」


「むぐっ、ご、誤解だ。敵の主要人物は全員把握している。今回はたまたまそれを活かせる機会だっただけだ」


 確かに、敵将の体格を知っていれば適した将をぶつけることが可能になる。


 この観察力もまた皇太子が持つ強さのひとつなのかもしれない。


「あと、いい加減その皇太子とかいう呼び方をやめろ。あまりよそよそしくしていたら、隙を見せることになる」


「隙、とは?」


「帝国をないがしろにして王国にすり寄るのかと批判を受け、貴族派の反乱を招くおそれがあるということだ」


「そう、か?」


 私があまりに冷たく接していたら、ただ令嬢たちを遠ざけたいという意志が前に出すぎるということだろうか。


「しかし、そうすると最終的に婚約破棄するときに、皇太子……えーと、レイジ殿下、の対面が悪くなるのでは?」


「んっ、そ、そのくらいはなんでもない。真実の愛に目覚めたとかなんとか言って一方的な婚約破棄を求めれば、ステラリア令嬢の対面は保たれるだろう」


「真実の愛……」


 似合わないセリフが飛び出して思わず噴き出しそうになる。なんとかこらえた自分を褒めたい。


「それくらいのインパクトは必要ということだ。そのときがくるなら、俺はいくらでも身を切る覚悟がある。そうでもしなければ、ステラリア令嬢の努力に報いることはできないだろうから」


 これが、容赦なくイクリプス王国を追い詰め続けた敵将と同一人物だとは到底思えなかった。


 それほどまでに、私のことを丁重に扱ってくれている。


 そのことがなんだかむずがゆかった。


「まあ、理由はわかったわ。これでいいんでしょう? レイジ殿下」


「そうだな。なんなら殿下もいらないが?」


「はい?」


 レイジ殿下の方を見やると、いつの間にかもとの不快な微笑を浮かべていた。


 今日の一件で評価を見直したが、早まったかもしれない。


「そこまでやるつもりはないわ。これでもじゅうぶんでしょう?」


「ちっ、仕方ないな」


 殿下はしぶしぶながらも受け入れてくれた。


 一瞬だけ本気で残念がって見えたような気がしたけど、一瞬だったし気のせいだろう。


   ---


「それで、帝国法についてもいくらかは聞いているんだよな?」


 ドレスの試着を済ませ、簡単にレイジ殿下とダンスの合同練習をしたあと。


 執務室に戻る支度を終えた殿下がそんなことを尋ねてきた。


「ええ、クラリスから直近で必要になりそうなものだけ簡単に」


「そうか。では、『これ』の使い方もわかるだろうか?」


 レイジ殿下はセルジュに指示し、小さな木箱を持ってこさせた。


「これは……いやまあわかるけれども」


 その中身は想像の斜め上をいくもので、私はちょっと引きぎみに答える。


「使いどころは任せる。使うべきときだと思ったら使え」


「……わかったわ」


 震える手でそれを受け取る。


 いざというときに『これ』を使う、その責任の重さを噛み締めながら。


   ---


 これで、すべての準備が整った。


 あとは本番、婚約披露パーティーの日を迎えるだけだ。

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