「ゼロの偽証」 毒牙
随分と深手を負っていたようだ。保安局本部ビルのヘリポートに停止しているヘリの中で麻酔を打たれ、ウトウトとしている内に眠ってしまった。
目を覚ましたイポスに気づいたらしい部隊医師がこちらに近づいてくる。
「気分はいかがですか、イポス大尉」
「良いか悪いかでいえば、圧倒的に悪い」
医師は苦笑いする。年は二十代半ばか、若々しさの残る好青年だ。
「でしょうね、肝臓損傷による出血性ショックを起こしています。医者という立場なので言わせてもらいますが、大尉にはビル内の後処理を私たちに任せて控えていただきたい」
傷口は塞ぎましたが、と付け加えられながらも、張り付いた笑顔に威圧感がある。居心地が悪くなって目を逸らすと、彼の名札が視界に入る。
どうやら彼の名はハル・ローレンツというらしい。『泣く鬼』所属の
「一刻を争う状態でしたので、ジョン・パターソン大佐から許可を取って魔導治療装置なども使ったので、動けはするでしょう。ただ、傷口が開く可能性もありますし、何より……」
「マジック・リコイルが心配か」
無言で頷いた医師をイポスは見つめる。
魔導治療装置────魔力の物質指向性運動を応用した、傷口を塞ぐ医療機器だ。様々な体内損傷を、切開なしに治療できる画期的な装置であり、自然曝露を除いたマジック・リコイル症状の発症要因第一位でもある。
規制が厳しくなった今、出力は五級以下のリコイルに抑えられるようになっているが、それでも頭痛や吐き気、閉塞感や不安感にかられることが往々にしてある。
「何か、不安感などはありますか?」
「特にない、反動耐性はかなり高いから大丈夫だ」
医師の少し曇っていた表情が、若干綻ぶ。
「レラジェは?」
「
「そうか」
俺は上手くできただろうか。
「分かった、ここの処理は任せよう」
上手く出来ていようとなかろうと、手負いの状態では荷物になるだけだ。大人しく治療を受けることにする。
医師は少しはにかんで、運転席の方へ行ってしまう。
しばらくして、医師ともう一人、イポスをヘリまで運んだ大尉がガスマスクを外して戻ってきた。
大尉が横たわったイポスのそばでしゃがみ、イポスと顔の高さを合わせる。
彫りが深く、整えられた顎髭に額の傷痕。イポスの数個年上か、三十代後半くらいに見える。
「初めましてイポス隊長、ニコラと申します。『泣く鬼』の副長です」
ニコラは強面のその顔を歪ませてみせた。相当威圧感があるので、小さな子供は泣いてしまうだろう。苦労が窺い知れる。
「ニコラ、さっきはすまなかったな」
「いえ、こちらこそ」
左腕を支えに上半身を起こそうとするが、上手く動かない。それを察したのか、ニコラが手を貸してくれる。
上半身を起こして座ったイポスはニコラに向き直り、右手を差し出す。
「今後はよろしく頼む。それから、このビルの後片付けも」
ニコラは差し出した右手を握り返す。
「ええ、お任せください」
「回転数良し、残存燃料良し、風速風向ともに確認。離陸許可願う」
コクピットの機長が航空管制局との通信をしているのがヘリのローター音に混ざって聞こえる。
輸血袋のかかったスタンドごと扉まで移動したイポスに、ヘリを降りたニコラが声を張って話しかける。
「そう心配しないでください。保安部隊のほとんどをあなたが潰してくれましたし、法規的報復の通達はすでに行ってますから、制圧は楽なもんです」
ニコラはそう言って笑う。
「すまない、後は頼んだ」
「安心して帰ってください、対空装備もダウンしてますし保安局には狙撃兵科もありませんからね」
苦笑いを返すと、ヘリが上昇する。傍にいた医師が金属製の扉を閉めた。
快適とは言い難いが、空を飛ぶ感覚というのは面白い。人間にはできない動きをしている妙な感覚だ。
「人にはできない、か」
ヘリの中で独り言を漏らす。
凡と非凡、選民思想。一体、あのサイラスという男は何ができる、あるいは何ができないから自分を非凡だと語ったのか。
あの人間離れした怪力か、それとも。
「まあ、考えるだけ無駄か」
バックパックの中から回収した文書を取り出し、歪みを直しながらタイトルだけが書かれたシンプルな表紙を眺める。
「異常特性の兵器利用────『兵器利用』?」
指でぱらぱらとページをめくり、最終ページへと近づく。破れて残った最後のページに目的の見出しがある。
最後のページにある『広範囲にわたる恣意的な症状誘発』、なんとも不気味で非人道的な見出しだ。
────レベル5以上の症状を誘発する可能性のある魔力量への暴露は、可能な限り避けるべきだ。レベル4以下の患者でさえも、いまだに確立された治療法が存在せず、レベル5以上の患者は世界的にも両の指で数えられる程度しか存在していない。求められるのは事態早期収束のための混乱状態の誘発であって、無意味で反倫理的な苦痛・トラウマを与えることではないということを強調しておく。
至極真っ当な書き出しのように思える。恐らく、この数百ページに及ぶ凄惨な実験を行った研究者の叫びだろう。
恐らくこの研究は、対テロ兵器の開発のための予備実験だったのだろう。
事実、魔力のもたらす反動症状を利用した対テロ無力化兵器の開発は一時期検討されていた。だが、扱いにくさ、不安定さ、倫理的な側面から研究・開発・利用は遠隔支援機などの一部を除いて無期限凍結されている。
大統領の言葉を借りるのであれば、「我々は良心と正義に則り、法のもとでそれを司らなければならない」のだ。越権的な方法で得た平穏と安寧には、意味がない。もしそれが認められれば、待っているのは緩やかな内部崩壊だけだ。
悲痛な前置きで始まるページをさらに読み進める。
どうやら、実験にはそれなりに純度の高い魔鉱石を八〇マイクロメートルほどまで粉砕して皮下注射を行うことで人為的にマジック・リコイルを起こしていたようだ。
誤って静脈注射を行った事例もあるようで、その際には一等級上の症状が現れたようだ。その末路は、想像したくない。
グロテスクな死体は、一定以上の魔力粉を体内に注入することで脳組織が物質指向性によって剥離し液状化してしまっていたようだ、とこの研究者は仮説を立てている。
遂に、『兵器利用の可否について』という小見出しに連なる文章を読む。
────残念ながら、兵器化できるほど、我々は魔力というものを知らない。魔鉱石の粉塵化、その接種という実にアナログ的な方法を取らなければ実験をすることもままならない現状で兵器利用をしようものなら、自分たちの首を絞めることは必至である。既にプロトタイプは完成しているが、望んだ程度を大幅に超過する影響がでる可能性が高い。そもそも、注射接種でない場合のエア────
ページが途切れた。
「……既に、プロトタイプは完成している?」
体を巡る血が、急に冷たくなったような気分だ。
既に、原理はわからないが世界を阿鼻叫喚の地獄に変貌させてしまう兵器が、もう誰かの手に渡っている。
それがもし、ブース・フィリーの手元にあるとしたら?もし、本当にブースがクリークゾフツの一員だとしたら?ブースが、何かを企んでいるとしたら?
それが絵空事だと完全に否定できるだけの情報を、イポスは持ち合わせていない。むしろ、イポスの記憶にある情報のほとんどは、この仮説を裏付けることしかしてくれない。
ブースはヘキサゴンタワーへの襲撃事件をリリガル副大臣率いる保安局員たちに起こさせることでスペクター側の注意を逸らさせ、自分はこの兵器を用いてテロを決行する。荒れたオフィスやサイラスなどの伏兵、大量の死体と破れたこの文書は保安局に潜入していたスペクター職員による妨害戦闘の名残だったとすれば?
「メディック、無線を!」
ブースの毒牙はすぐそばまで迫っている。
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