ヘキサゴンタワー防衛戦

「ゼロの偽証」 マテバ

 時折、自分が何者なのか分からなくなることがある。

 ここが何処で、何故こんなことをしているのか。全くもって見当がつかなくなる。ある種、記憶喪失にも近い気がする。

 ただ、そこで俺が止まっていようが進んでいようが、世界は変わらず回り続け、時は無感情に刻まれ続けるということだけは確かだ。



 特殊テロ対策作戦、その作戦名及びその執行機関の名はスペクターという。

 スペクターは大まかに二つの部門に分かれており、それぞれ研究部門、実働部門と呼称されている。

 世界連合第一首都アンファングの南西に位置する六角形のビル。

 ヘキサゴンタワーと通称されるスペクターの本部に勤める常駐職員はおよそ四千人、世界各地から集まったさまざまな分野でのスペシャリストが対テロリズムの為に日夜働いている。

 白を基調とした外見で、高さはおよそ二五〇メートル。屋上にはヘリポート、地下には大規模な実験場などが設けられている。

 タワー内部の地上階は中心が吹き抜けになっていて、開放的な雰囲気を醸し出すが、実際は地上六十階及び地下七階まで、セキュリティレベルごとに立ち入りが許される階層が決まっており、警備員が絶えず巡回を行なっているため、見た目ほど自由で開放的ではない。

 地上一階、通称大ロビーのカーペットには国旗の六芒星と大鷲の翼のシルエット、それを貫くように不屈の象徴である十字架が加えられた、スペクターのシンボルが堂々と描かれている。

 自由と解放の象徴たる太陽が煌々とヘキサゴンタワーを照らす。その割には、中央の廊下を囲うように部屋が配置されているので、吹き抜けと廊下を全体を照らす窓は屋上の天窓と一部の窓しかない為、主な光源は白色蛍光灯であり、内部は人工的で先進的であると感じさせる。

 スペクターの所有するビルはヘキサゴンタワーを含め六つ存在しており、世界各地に点在している。その全てが、ヘキサゴンタワーと同じく大規模高層ビルとなっているが、内部構造に大きな差はない。




 今日に至るまでの八年間、クリークゾフツによって四回のテロが実行されていた。 

「四回目のテロが発生してから一年、あの時一体何が起こったか」

 ヘキサゴンタワーの大ロビーに設けられたラウンジ。

 ヘキサゴンタワー内部では珍しく、日光を浴びながら座れるポイントである窓際に近いソファに座り、紙コップに入ったコーヒーを啜りながら彼はゴシップ系の週刊誌を読んでいる。

 週刊誌の見出しに惹かれて、テロ関連の記事を目当てにしていたが、数ページにわたってこじつけとも陰謀論ともとれる内容が滔々と書き連ねてあるだけだった。続きを読もうとページをめくれば、未解決事件の誘拐事件だとか失踪事件についてのことしか書いていない。テロと発生時期が被っていたせいで因果を推察されている。結局はこじつけだ。

 もう一ページ、希望を込めて捲ってみると街の中心部にある眺望タワーの宣伝ページだ。クーポンが二枚ついている。クソッタレが。

 時間と四フォラムの無駄だった。

「よう、イポス!」

 名前を呼ばれたと思えば向かい側のソファに乱暴に座った男、そこに居たのは同室の友人、マイクだった。

「うるせえぞ、お前はもうちょっと静かに話せないのか」

「いつでも仏頂面のお前に比べればマシだと思うけどな」

 売り言葉に買い言葉、色を抜いて金色になった髪を土台に頭頂部が黒いこいつとの会話は、いつもこうだ。

「お前、昨夜はどこに行ってたんだ」

「仕事帰りにナンパした子と遊んでたんだよ、良い女だったぜ?」

 そうか、と軽くあしらって読み終わった雑誌に目を戻す。

「おいおい、聞いといてその塩対応はねえだろ」

「黙れ女たらし。そんなんでよく女に殴られないもんだ」

「へいへい、エージェント様の言葉はとても教育的ですね~」

 流石にカチンときた。上着の上から中の物を触れてみせる。

「今ここでお前の頭を吹っ飛ばしてやってもいいんだぞ?」

「おお、怖い怖い。ここは退散して仕事に戻ろうかね」

 肩をすくめてソファを立ったマイクが、立ち去っていく。

「あ、そうだ」

 どこかへ行ったかと思えば戻ってきたマイクが、イポスに話しかける。

「最近の仕事は、いつも通りつまんねえか?」

 ああ、と肯定しかけて少し躊躇った。少し思案してから、再び口を開く。

「少し、楽しい」

 マイクが訝しむようにイポスを眺めた。大方、イポスが少し微笑んだからだろう。

「お前……熱でもあんのか?」

「どうやら本当に頭を吹っ飛ばして欲しいらしいな」

「冗談だよ、だからその九ミリを下ろしてくれ」

 グリップにかかった右手を外し、コーヒーの入った紙コップを掴んだ。

「……女か?」

「殺すぞ」

 本気で困り顔をしているマイクを睨んだ。

「まあ、なんにせよ楽しいのはいいことだ。あばよ」

 手をひらひらさせながらマイクは今度こそ何処かへ行ってしまった。

 一つ呼吸をしてから外を眺めてみれば、大陸外からの観光客が多いのがわかる。そういえばもうすぐ平和記念祭だったことに気づきコーヒーを啜る。

 ふと、目に入った雑誌。このまま捨てるのは勿体ない気がしたので、クーポンだけ綺麗に破り取ってから近くのくずかごに丸めて捨てる。

「やっぱり此処に居たのね」

 ふと振り向けば、そこにいたのは気心の知れた細身で顔の整った女性、もとい相棒だった。アッシュベージュの長い髪の毛を後ろで一つに纏めた彼女の紅い双眸が、十センチほど高いこちらを見上げるように睨んでいた。

「どうも、レラジェ。俺を探してたみたいですね」

「あたり前でしょ、あなたがパートナーなんだから」

「レラジェ……俺をそんなに大切に思ってくれてたんですか……」

 破ったクーポンをポケットにしまいながら冗談交じりにそんなことを言うと、レラジェはその整った顔をひどく不快そうに歪ませる。

「気色の悪いこと言わないで。あなたがいないと仕事にならないのよ」

 そう言って、レラジェは上層の階を指差す。

「お呼びよ、上司がね」


 高速エレベーターは恐ろしく速い、背面のガラス張りから見る景色がどんどんと小さく遠ざかっていく。扉の横にある階層の電光掲示も目まぐるしく数字が更新されている。

 若干の減速の後に、ゆらりとエレベーターは止まる。電光掲示は二七階を示している。

「はぁ、面倒ですね」

「仕事が嫌なら、転職でもすればいいじゃない。出来るかは知らないけどね」

 イポスの愚痴を嫌味で受け流したレラジェが後ろ手に結んだアッシュベージュの長い髪をを揺らしながら開いた扉をくぐる。

 イポスも渋々その扉をくぐり、エレベーターと吹き抜けを挟んだ向かいの部屋の扉を目指して歩く。

「どんな嫌味を言われることやら」

 そう愚痴を漏らして、扉をノックする。

「入れ」

 淡々と冷めた声が中から聞こえてくるのと同時に、プシュッという音と共に扉が静かに開く。

 中に入るとまず目に入るのは、大きなオフィスデスクに満載された大量の紙の資料、それから丸みを帯びた椅子が部屋の隅にいくつか並べられていること、最後にデスクの向こうに紙の山に埋まった痩せぎすの中年男性がいるということだ。

 少し白髪の混じった、長いとも短いとも言えない髪に無精髭、目の下にある隈が目立つのは、恐らく肌が白いからだろう。この部屋のように、少し散らかっていながらも清潔感がある印象だ。

「遅かったじゃないか、コーヒーが冷める」

「俺はいらないですよ。コーヒーはさっき飲んだので」

 イポスが上司の気遣いを無碍に蹴とばすと、レラジェが脇腹を思い切り肘で殴ってきた。

「うぐぁ……」

「それで、話とは何でしょうか、あとコーヒーは頂きます」

 呻くイポスを余所に、レラジェはコーヒーを啜っている我らが上司、実働部門第二特殊機動部隊のトップ、エーリッヒ・ネルソン中将に問い質す。

「呼び出したのは他でもない、まずはこれを見てほしい」

 がさがさと資料の山を崩してあれでもない、これでもないと探す姿は、本当に上司なのだろうかと時折不安になる。

 結構強めに殴られたのでよろよろと立ち上がると、ようやくエーリッヒは目的の封筒を見つけ出したらしい、レラジェの分のコーヒーと一緒にイポスたち二人に差し出してきた。

 コーヒーをレラジェが、封の開いた封筒をイポスが受け取る。

「黄封筒、機密文書じゃないですかこれ」

「差出人は世界保安局のリリガル副大臣だ」

 レラジェが露骨に嫌な顔をする。

「保安局って……最近どうもよくない噂ばかり聞きますけど」

「私の耳にも届いている。しかし、どうやらクリークゾフツについてのようだからな、スペクターが動かないわけにもいかない」

 封筒の中身はたった一枚の文書だった。

 内容を要約すると、最近の世界情勢について知ってる情報を寄越せ、と言ったところだろう。

スペクター我々はその目的上、独自の情報網を持っている。だが、その多くが個人情報に近いものだ。当然渡すわけにもいかないのだが……」

「なるほど、クリークゾフツについて掴んだことを提供するから寄越せ、という交換条件なわけですか」

 イポスがそう続けると、エーリッヒは頭が痛そうに頷く。

「質の悪い連中ね」

 レラジェがボソリと呟いた。

「察しが良くて助かるよ。それで、本題だ。十時に……あと一時間ほどでここにリリガル大臣がやってくる。保安局の連中がここで妙な動きをしないように見張っていて欲しいんだ」

「お安い御用です、給料分の仕事はします」

「すまないな、レラジェ。過去二回のテロ事件の鎮圧で手柄を立てた君には、もっとやりがいのある仕事を任せたかったものだが、まあ新しい相棒の値踏みをするくらいのつもりでやってくれ」

 イポスは値踏み、という言葉に若干青筋を立てたが、黙っていることにした。

 時計を見れば、まだ八時五十分。野暮用を済ませてもコーヒーをもう一杯飲む余裕はありそうだった。


 武器開発部門は地下二階にある。地下階は基本的に鉄筋コンクリートが露出した状態なので異常に物々しい感じがする。

 エレベーターを降りると、すぐに廊下が完結していることに気づく。それもそのはず、何故ならばこの階はエリアの実に四分の三が射撃訓練場になっているからだ。

 実働部隊御用達のこの階は、日夜出入りが絶えることはない。

 イポスは防弾・防音ガラスを横目に武器開発部門の扉のロックをセキュリティカードで解除し、中に入る。

 目的の人間を探していると、唐突に肩を叩かれる。

「おい、四十五分の約束だっただろう、十三分の遅刻だぞ」

「うおあ!」

 素っ頓狂な叫び声をあげながら振り向くと、そこには探していた白衣の男、ジョン・パターソン大佐がいた。

「君の無茶ぶりに答えてやったのに、遅れてくるとは何事かね」

「いやはや、申し訳ない。エーリッヒ中将に呼ばれててね」

「仕事か」

 察しが早くて助かる、とは思いつつもジョンには心の中を見透かされているようで怖い。

 出会ってから長くはないが、敵に回したくない人間の一人だ。

「少し頼みたいことがありましてね」

「長い付き合いだからな、あいつの仕事なら手伝おう」

「頼もしい」

 味方でよかった、と思いつつ本来の用をイポスは思い出す。

「で、頼んだものは?」

「……今まで実働部隊の連中の無茶ぶりに答えてきてやったが、リボルバーを作ってくれと言われるのは久々だったな」

 ジョンは後ろに控えていた部下のアルミ製のアタッシュケースを催促し、ダイヤルロックを解除する。

 中から出てきたのは、奇妙な形のリボルバーと十八発の弾丸だった。

「おお! いい出来だ!」

「こんな珍妙な銃を作れという奴は、この先お前ひとりであって欲しいものだ。お前の要望通り、バレルはシリンダーの下側と繋がっている。シングル、ダブルアクション対応で装弾数は六発だ」

「これこそ俺の求めてたものだ!」

 興奮気味に愛銃を手に取る。

 手に馴染む樹脂製のグリップ、全体的に角ばったフォルム、上向きにスイングアウトするシリンダー、大型のリアサイト、従来のリボルバーとは一線を画す最高の銃だ。

「この時代にリボルバーとはな、そんなに弾詰まりジャムが怖いか?」

 ジョンがため息交じりに嫌味を吐いてくるが、それ以上にこの銃には思い入れがある。

「違う、俺はこの銃が好きなんだ」

 そうかい、とジョンは興味なさそうに答える。

「それから、この銃弾はオマケだ。九ミリ口径タングステン弾芯徹甲弾、装甲車の三〇ミリ鉄扉も貫けるぞ。普通の九ミリは総務に弾薬庫でも開けてもらえ」

「ご機嫌だな、助かるよ」

 わかりやすいように着色してあるのだろう、弾頭に赤いラインが入った銃弾を受け取る。

「試し撃ちしても?」

「構わん、調整のついでだ」

 兎にも角にも、この銃を撃ちたかった。


 射撃訓練場は、大抵人がちらほらいるものだ。この日も例外ではなく、けたたましく銃声が響いていた。

 この射撃場はレーンからバックストップまで五一・八メートル、全部で二十レーンある。

 その内、十二番目のディバイダーで仕切られたブースに立ち、まずは一発、ブースのテーブルに置かれた九ミリ弾薬箱から取り出してシリンダーに銃弾を込める。右側のディバイダーにあるタッチパネルディスプレイを操作し、まずは十メートルに的を移動。

 撃鉄を起こし、シューティンググラス越しに照門と照星、人の上半身を模した的の頭部を一直線に捉え、引き金を引く。

 銃声はコンクリートの壁を跳ね返り、反響しながら硝煙の香りを残してどこかへ霧散する。

 銃弾は、狙った位置にピッタリと穴を開けた。

「相変わらずの腕だな」

 後ろで見ていたジョンがそう声をかけてくる。

「どうだ、試作二十二番は」

「そんな名前だったのか、良い銃だよ」

 実際良い銃だ。精度も重さも文句なし、と言ったところだ。

 シリンダーをスイングアウトし、空薬莢を捨てる。今度は六発込めてシリンダーを戻す。

 タッチパネルを操作し、的を三十五メートルに移動させる。リボルバーの撃鉄を起こして、今度は胸を狙って引き金を六度引く。

「機械みたいな精度だな」

 全弾、胸にヒットしている。

「気は済んだか?」

「ああ、こいつは想像以上にいい銃だ。ありがとう」

 ジョンは少し満足げだ。おそらく作った銃がべた褒めされているからだろう。かく言うイポスもこの銃には大満足だ。

「なら良かったが、そいつはまだ未完成なんだ」

 イポスは首をかしげる。こんなにも素晴らしい銃にまだ何か足りないのだろうか。

「そいつには名前が無い」

「さっき試作二十二番と呼んでいたじゃないか」

「便宜上、その名で呼んでいただけだ。本当の名はお前が決めろ」

 イポスは少し迷ったが、答えはすぐに出た。


「マテバ、だ」

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