マスターと???

名前と鎧

 つい最近のことである。ぼくがやっているバー『Lazy』に新しい——これはなんといえばいいのだろう。同居人、従業員、いや、そもそも人間ではないし、マスコット、というのが近いだろうか。そんな感じのものが増えた。

 まるまるとした鳥(なんとかという小説投稿サイトのイメージキャラクターで、そのものずばり『トリ』という名前らしい)のしゃべるぬいぐるみ。ロボットとかAIとかの技術的な意味ではない。みずからの意識と意思を持ってしゃべる、まあつまりは怪異である。


 トリ自身は『しゃべるだけで襲ったりしないのに』というが、その『しゃべる』ということが大問題なのである。

 トリはぬいぐるみだ。高さ十センチほどの、手のひらサイズのぬいぐるみだ。もう一度いう。トリはぬいぐるみなのである。


 ぬいぐるみがしゃべったら、たいていの人間は驚くだろう。そして怖がるだろう。恐怖にかられた人間がとる行動はおそらく、逃げるか、攻撃するかのどちらかだ。

 どうやらトリ——いや、トリのなかにいる何者かは、何度となく燃やされたり、破かれたり、過激な攻撃にさらされてきたらしい。そうしてぬいぐるみのカラダが壊れると、意識だけがべつのぬいぐるみに移動するのだとか。

 現在のトリのぬいぐるみになるまで、クマとかネコとか、いろいろなぬいぐるみを経由してきたようだ。

 意識が宿るのはすべてぬいぐるみ。ということは、何者にせよやはりぬいぐるみから生まれた存在なのだろう。

 そして今回の、『トリ』の持ち主になった人間は、どうにか平和的に手ばなそうしたと思われる。おそらくはわざと『Lazy』にぬいぐるみをのだろうから。


 まったく迷惑な話である。ぼくは平凡で平穏な生活を送りたいのに。鬼族の一家が常連になったり、しゃべるぬいぐるみを置いていかれたり。これではまるっきりオカルトスポットではないか。


「おまえ自身に名はないのか」


 トリにそうたずねたのは美しき銀髪の鬼、シキである。頭部に二つのツノこそあれど、一般的に想像される恐ろしい鬼の姿とはかけはなれている美丈夫である。


「ぼく自身?」

「『トリ』というのは、そのキャラクターの名であっておまえの名ではないのだろう」

「あ、確かに。そうだなあ、最初のころなんかつけてもらったような気もするけど……むかしすぎて思いだせないや。ところでアイキくん、ぼくのカラダ、そろそろ変形しそうなんだけど」


 先ほどから、シキの息子であるアイキが『トリ』を両手でぐにぐにとこねくりまわしている。


「おもしろいなー。痛くはないのか?」

「痛くはないけど、気持ち悪い感じはするよ」

「ふーん」

「だから、ふーんじゃなくて、ぐにぐにやめて」


 子どもがぬいぐるみと遊んでいる。というとほほ笑ましく思えるが、かたや鬼の子、かたや正体不明のしゃべるぬいぐるみとなると、とたんにホラー臭がしてくる。


「お名前、つけないんですか?」


 アイキの母でシキの妻である姫がそう問いながらぼくを見る。


「はあ、特に不便もありませんし」

「そうですか……」


 姫は心なしかしょんぼりと肩を落とした。ゆっくりひと呼吸ぶん、そのようすをながめていたシキが口をひらく。


「レイというのはどうだ」


 アイキと『トリ』、それからぼくと姫の声が「レイ?」ときれいに重なった。


「この店は『Lazy』というのだろう」


 レイジーのレイか。とっさに、心霊とか霊魂のレイかと思ってしまったが、いずれにしてもそのままのネーミングである。じつにわかりやすい。


「レイ。レイか。いいな」


 本人は思いのほかうれしそうだ。

 凝っているからいいというわけでもないし、単純だから悪いというわけでもない。本人が気にいったのならそれが一番だ。

 先日来店した、リピーターになってくれそうな女性客も『レイちゃん』と呼ばれていたのをふいに思いだしたが、まあいいか。

 それにしても、なぜか姫まで非常にうれしそうに顔をほころばせている。

 そういえば『姫』というのは、お姫さまという意味の姫なのだろうか。それとも名前なのだろうか。ふと疑問に思って姫を見るとぱちりと目があった。


「わたくしの名はトキと申します。姫というのはあだ名のようなものですね。どちらもシキがつけてくれたのです。人だったころ、わたくしには名がありませんでしたから」


 人の願いをたべるという鬼族の彼らは人の心も読めるのだろうか。ぼくが口をひらくまえに、姫はぼくの疑問に答えてくれた。が、さらなる疑問が生まれた。


「名前がなかった……?」

「ええ。この見た目のせいで、わたくしは里の者たちからひどく疎まれておりましたから」


 陶器のごとく白い肌と白い髪。そして朱と青緑のオッドアイという、圧倒的に美しいトキのその容貌は、驚いたことに生まれながらのものらしい。

 生まれた里では妖怪か、はたまた神の化身かと恐れられ、両親ですら最低限の寝床と食料をあたえるほかは彼女にかかわろうとしなかったという。

 そうしてはてのない孤独に絶望していたときに鬼族の青年、シキと出会った。名がなかった彼女を、彼はあたりまえのように『姫』と呼び、毎日会いにくるようになった。やがて彼女は、鬼となってシキと生きることをえらんだわけだが、そのときにひとつ、彼にねだったのだという。名前がほしい、と。


「名を得てはじめて、わたくしはわたくしになれたような気がするのです。この世に存在することをゆるされた——というのはすこし大袈裟かもしれませんけれど。名前がないと、自分の存在を他者に認識してもらうこともむずかしいですから」


 名前があるのがあたりまえの環境に生まれ育ったぼくは、そんなことこれまで考えたこともなかったし、考える必要もなかった。

 名前のない人生とはどんなものなのだろう。現代社会だと、いわゆる無戸籍者問題というやつになるのだろうか。


 もしもぼくに名がなかったら——無戸籍とか社会的な問題はおいておくとして、名前がないというだけなら、自分でてきとうにつけてしまうような気がする。

 まあそれは、それなりに恵まれた人生を歩んできた今のぼくだから思えることなのだろうけれど。


「由来を聞いても?」


 たずねると、トキはくすりと笑って「鳥のトキが飛んでいたのです」と答えた。

 トキの翼の裏側は、朱鷺とき色と呼ばれるオレンジがかった美しい赤色をしている。

 なんというか、そのままである。シキの名付けはやはり非常にストレートだ。


「わかった!」


 相変わらずアイキにこねくりまわされているトリ——レイがいきなり素っ頓狂な声をあげた。


「トキみたいな見た目の人間、アルビノっていうんだよね」


 ああ、なるほど。そういうことか。

 確か、先天的にメラニンが欠乏している遺伝子疾患で、白皮症とか白子症というのだったか。

 病気であることが解明されている現代でも、その見た目のインパクトからあからさまに差別されることも多いと聞く。トキが人間だった時代はより苛烈な差別があったのかもしれない。人間であることをやめたくなるほどに。


「レイは物知りですね」


 トキは素直に感心しているようだった。それを受けたレイも素直によろこんでいる。


「いろんな人間と暮らしてきたからね!」


 得体の知れない怪異なぬいぐるみをぼくが受けいれる気になったのは、たぶんこの素直さのためだ。


「それよりマスター! 今日はなにをくわせてくれるんだ?」


 アイキは朱色の瞳をキラキラと輝かせている。その手には、まるまるとしたレイの姿が。


「そうですね……親子丼にでもしましょうか」

「ぼ、ぼくはたべられないぞ?」

「知っています。ぬいぐるみですからね」


 どれほどまるまるとしていようが、中にはいっているのは綿である。


「おやこどんとはなんだ?」

「とり肉と玉ねぎなどを甘辛く煮て、たまごでとじたものをご飯にのせてたべるんですよ」

「よくわからんけど、マスターがつくるんだからおいしいのだろうな!」


 このアイキの絶対的な信頼感はどこからくるのだろう。悪い気はしないけれど。


「そういえば、マスターの名はなんというんだ?」


 シキはふと気がついたというようにぼくに視線をよこした。トキとアイキの視線もぼくに集まる。


「マスターはスグル。竹芝たけしば すぐるていうんだよ」


 そう答えたのは、ぼくではなくレイである。


「案外ふつうなのだな」というシキに、アイキも「つまらん」と口をとがらせた。

 この鬼親子はぼくの名前にいったいなにを期待していたのだろうか。

「もう、失礼ですよ。いいお名前じゃないですか」と、二人をたしなめながらフォローをいれるトキに「大丈夫ですよ」と笑顔を返す。


 ちなみに、なぜレイがぼくのフルネームを知っているのかといえば、ぼくが名のったからだ。

 レイは最初、ぼくのことを『おじさん』と呼んでいた。それがなんだか微妙にイラッときたのである。

 見た目はまんまるい手のひらサイズのぬいぐるみなのに、なぜか自分よりずっと年上の老人におじさん呼ばわりされたような気分になってしまったのだ。

 以来、素直なレイはぼくのことを名前で呼ぶようになった。

 それはそれで微妙にくすぐったくもあるのだけど、その原因はなんとなくわかったような気がする。


 大人になるにつれて、人は肩書きや立場で呼ばれることが多くなっていくものだ。それに比例して名前を呼ばれる機会は公私ともにへっていく。

 人にとって肩書きや立場というものは、社会で生きるためのよろいのようなものなのかもしれない。仕事では課長、部長、店長、マネージャー、家庭ではお父さん、お母さん、妻、夫。誰もが少なからずその役割を演じている。

 現代では一般人でもハンドルネームやペンネームなど、本名のほかに別名を持つ者が多いが、それもまたひとつの鎧なのかもしれない。

 そんなつもりはなかったけれど、ぼくもたぶん『マスター』という鎧を着ているのだろう。だからふと本名を、鎧のなかにいる生身の自分を呼ばれると照れくさく感じてしまうのだ。


 人間とは異なる次元で生きている鬼家族やぬいぐるみ相手に人間界の鎧など必要ないのかもしれないが、それでもこの店に立っているときのぼくはやはり『マスター』なのだと思う。ぼくにとってはそれが自然で、楽な状態だから。


「レイは腹へらないのか?」

「うん。ぬいぐるみだからね」

「やっぱりおもしろいなー」

「ねえ、アイキくん、ホント、そろそろぐにぐにやめようよ」


 レイの声が心なしか弱ってきた。

 仕方ない。さっさと夜食をつくって救出してやるか。


     (名前と鎧——おしまい)



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 元ネタは7周年KACより、2,000文字ほどの掌編モノローグ。トリさん視点のお話です。ご興味がありましたらこちらからどうぞ。

『おしゃべりな忘れもの』

https://kakuyomu.jp/works/16817330653940581156


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