異界の扉

「おい人間。おまえほんとうに人間なのか?」


 面と向かって『人間か?』と問われたのは生まれてはじめてである。

 まあ人としていろいろ欠落している自覚はあるが、人間であるということに疑問を持ったことはない。

 しかしそういえば、生まれてこのかた『あなたは人間です』といわれたこともなかった。

 これまで人として生活してきたし、それを否定されたこともないし、すくなくともぼくは人間のつもりで生きている。


「そういうあなたはどちらさまでしょう」


 見た目は子どもだ。五歳か六歳か、それくらいに見える。が、その姿は人間のようで人間とは異なっている。

 肩にかかる白に近い銀髪。あざやかな夕陽のような朱色の瞳。なによりその頭部からつきでている二つの突起。いわゆるツノというものではないだろうか。最近のコスプレはよくできている。といいたいところだが、たぶん違う。なにしろ、この子どものような何者かはなにもない空間からいきなり出てきた。

 開店準備中、まるでそこだけ水の中にほうりこまれたみたいに店内の景色の一部がゆらめいて、その『ゆらめき』の中から和服姿の子どもがあらわれたのである。たっつけ袴というんだったか。まぶしいほど明るい黄緑色のそれは膝から下が細くなっている。


「オイラはアイキ。人の願いをたべる鬼だぞ」

「願いを、ですか」

「そうだ。人間はいつだってあれがほしいとかこれがほしいとか、なにかしら願ってるからな。そのエネルギーをたべるんだ。でも……なあ、おまえからはなにも願いが感じられないんだけど、人間、なんだよな?」

「そのはずですが」


 うう~んと腕を組んで、しばらく呻吟していた見た目五歳児のアイキはやがてぱっと顔を明るくした。なにかひらめいたらしい。


「もしあさって死ぬっていわれたらどうだ!」


 どうだといわれても。ずいぶんと極端な話である。


「なぜあさってなんです?」

「え?」

「いえ、なぜ今日でも明日でもなく、あさってなのかなと」


 そこまで考えていなかったのか、アイキはぽかんと口をあけたまま固まってしまった。

 沈黙に包まれること数十秒。

 ちいさな身体で、アイキはオッホンとわざとらしい咳ばらいをする。


「そ、それはあれだ。今日とか明日では急すぎてせいぜい命ごいくらいしかできないだろう。命ごいの味はクセが強すぎてオイラの好みじゃないんだ。その点あさってならまるまる一日あるから、最後に叶えたいことのひとつやふたつ出てくるんじゃないかとだな」

「なるほど」


 今考えたにしてはなかなかそれっぽい理由である。


「で、どうだ?」

「そうですねえ。ぼくには家族も恋人もいませんし、会っておきたい友人も、行きたい場所も特にないので……」

「おまえ、大丈夫か? 人間でいるのがつらかったら鬼にしてやろうか?」

「鬼って、そんな簡単になれるものなんですか」

「心から願えばな。願いをたべる鬼は、願いを叶えることもできるんだぞ」


 スゴイだろうといわんばかりに胸をはる。


「げんに、オイラの母さまもずっとむかしは人間だったからな。父さまと出会ったことで鬼になったんだぞ」

「ほう」

「むう……おまえ、リアクション薄すぎるぞ。つまらん」

「それは申しわけない。ところでアイキさん。お腹がすいているんですか?」

「なぜわかった! やはりおまえ人間じゃないだろう!」


 願いをたべるという彼がぼくに願いを求めている。つまりは腹がへっている。簡単なことである。

 なにはともあれ、人間の食事をたべることはできるのかたずねてみると「くえないことはない。非常食みたいなもんだがな!」という答えが返ってきたので、オムライスにハンバーグとポテトサラダを添えて、お子さまランチのようにして提供してみた。

 よほど空腹だったとみえる。あっというまにたいらげてしまった。

 そのときである。

 アイキがあらわれたときとおなじ『ゆらめき』がまたも起こった。


「あ、母さま! 父さまも!」

「捜しましたよ、アイキ」

「まったくおまえは。方向音痴にもほどがあるだろう」


 あらわれたのは和装の男女。

 まばゆいほどに白い肌と髪、そして朱と青緑のいわゆる『オッドアイ』といわれる瞳を持った女性と、腰まで届くつややかな銀髪の男性。恐ろしいほどに美しい二人であるが、頭部にはやはりツノらしきものが見える。アイキの両親のようだ。

 ガシガシとアイキの髪をかきまわしていた父親だろう男性とふいに目があった。紫がかった深い赤色の瞳が不思議そうに見つめてくる。


「おまえ、人間か?」


 ぼくはそんなに人間ぽくないのだろうか。


「もう。失礼ですよ、シキ」

「しかし姫。こいつからは願いの波動がまったく出ていないぞ」

「多くを望まない方なのでしょう」

「ふむ。そういう人間もいるのだな?」

「もちろんですよ」


 そういえば、アイキの母親はむかし人間だったといっていた。

 まさか人間だったときからこの容姿だったのだろうか。さすがにそれはないか。まあ、どうでもいいことだが。


「申しわけありません。息子がご迷惑をおかけしました」


 ぼくに向きなおった母親が深々と頭をさげる。


「いえ。あの、ひとつお聞きしてもいいですか」

「なんでしょう」

「あなた方はアイキさんを追ってこられたんでしょうが、そもそもアイキさんはなぜここへきたんです?」


 妖怪とか幽霊とか、ぼく自身は否定も肯定もしない派だった。世の中は広い。そしてぼくが知っていることなんて、ほんとうにごく一部のそのまたひと欠片、あるいはほんのひと粒。そんなものだろう。知らないことのほうが圧倒的に多い。だから、この世界に妖怪や幽霊が存在していても不思議ではないと思っていた。

 しかし、ここで店をやるようになってそろそろ十年になるが、こんなことは今日までなかった。

 はからずも妖怪の存在が証明されたわけだが、今後また急に妖怪がやってくるような事態は遠慮したいところである。


「こいつは方向音痴なんだ」


 アイキの頭にポンと手をおきながらそういったのは、先ほどシキと呼ばれていたアイキの父親である。


「そして、こう見えてとてつもない妖力を持っている。オレでもかなわないくらいだ」

「はあ」


 けなしてほめて、いったい彼はなにがいいたいのだろう。


「本来は、わたくしたちのような者が暮らす世界と人間の世界を結ぶ、ゲートのような場所があるのです」


 こちらの困惑が伝わったのか、姫と呼ばれていたアイキの母親がくわしく説明してくれた。

 彼ら夫婦が野暮用で出かけることになり、アイキがひとりでゲートに向かってしまったのがそもそもの原因なのだという。

 夫婦は自分たちがもどるまで待つようにといって聞かせたのだが、アイキいわく『何度も行ったことがあるゲートだからひとりでも行けると思った』らしい。待てなかった理由は簡単。空腹だったからである。彼らの食事は『人間の願い』だ。

 しかしアイキは、自分の方向感覚のなさをなめていた。つまり、当然のように迷った。歩けば歩くほど、まわりは知らない景色になっていく。

 アイキは疲れた。なにより腹がへった。だから時空のわずかなゆらぎをみつけたとき、ついそこに穴をあけ、人間界につながる扉をつくってしまった。


「そんな簡単に」

「通常ではありえません。それほどこの子の妖力は強力なのです」


 人間でいうギフテッドみたいなものだろうか。

 まあなんでもいいのだが、つまりこの店に異界とつながる扉がつくられてしまったということか。面倒なことになった。

 そうだ。ぼくにもいちおう願いはあった。平凡で平穏。これにつきる。


「ええと……お話はわかりましたけど、この先あなた方のような存在に勝手に出入りされるようになったら困るんですが」

「ああ、それは心配いらん。扉はオレが責任をもってとじていく」

「あ、とじられるんですね」


 それならよかった。


「もうここにきてはいけないのか?」


 それまで黙っていたアイキが不満げに口をとがらせている。


「オイラはまたおまえの『おむらいす』がたべたいぞ」

「なんだアイキ、そんなにうまかったのか。その『おむらいす』とやらは」

「うん。父さま、人間の食物は非常食みたいなものだといってたでしょ。オイラもずっとそう思ってたけど、この人間のつくった『おむらいす』は非常食とは思えないくらいおいしかった」

「そうなのか」


 絶賛である。悪い気はしない。しかし状況的にはだいぶ空腹補正がかかっていたのではないかと思われる。


「それは、この方の『思い』がこめられていたからでしょうね」


「思い?」と首をかしげたシキとアイキに、姫はちいさくほほ笑んでうなずいた。


「自分の欲も願いなら、相手を喜ばせたいと思うのもまた願いですから」

「なるほど、そういうものか。しかし人間、我々はうまい『願い』をくって満足したとき、できるかぎりその願いを叶えてやるようにしてるんだが、こういう場合はどうしたらいいんだ?」


 ぼくに聞かれても困る。相手が人間なら代金をもらえばいいだけだが、妖怪相手に金銭を要求したところで持っていないだろう。というか、彼らはほんとうに鬼なのか。

 むかし話とか節分とか一般的なイメージの鬼とはずいぶんちがう。


「どうもしなくていいですよ。そんな大層なものではありませんから、しっかり扉をとじていってくだされば、それで十分です。……もしまたこられるなら、夜中店をしめるころにおいでください。約束はできませんが、簡単な料理くらいおだしできると思いますので」


 アイキがあまりにも悲しそうな顔をするものだからつい余計なことをいってしまった。まあその日残った食材があれば無償で提供しても経営に影響はないだろう。閉店後はどうせ自分の夜食もつくるのだし。


「またきてもいいのか!」


 アイキがぱあっと顔を輝かせる。


「……かまいませんよ」


 しかしまさかほんとうに鬼の一家が『Lazy』の常連に加わることになろうとは思っていなかった。

 軽はずみな発言を悔やんだところであとの祭り。まったく、口はわざわいの元である。


     (異界の扉——おしまい)


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