おうどんたべたい

夜狐

おうどんたべたい

 湯気を立てるうどんから立ち上る出汁の香りを胸いっぱいに吸い込んだけれど、耳からは相変わらず湿っぽい声が響き続けていた。

『理理の言うことも分かるのよ、でも、親っていうのは心配するものでしょう?』

「あーうん、そうだね……」

 割りばしを手に取ったけれど、片手をスマートフォンで塞がれている現状、割りばしを割るのは難しい。一旦割りばしをうどんの器の上に置いて、スマートフォンを肩で挟んでみる。その間にもずっと、通話越しには母の愚痴が続いていた。内容はほぼ同じものをループしていて、姉の婚期がどうとか、姉の付き合っている男性がどうとか、そんな話だ。よくもまぁ同じ話をこんなに何度も飽きずに繰り返せるものだと、呆れてしまうくらい。それがかれこれもう15分も続いて、もうさすがにうんざりしていたけれど、かといって、母親の電話をつっけんどんに切ることも出来ない。

 仕方なく相槌を適当に差し込みながら、彼は空腹に誘われるままもう一度たっぷりと出汁の香りを吸い込み、それから目の前のうどんを観察した。大学の学食のキツネうどん、400円。これだけだと当然男子大学生には物足りないが、財布の中身と相談すればこれが最善の選択だ。たっぷり汁気を吸ったらしいふっくらお揚げの上にちんまりとやる気なく乗せられたくたくたのネギが少々。お値段相応の見た目だったが、今この瞬間は何にも代えがたいご馳走に見える。

 せめて割りばしを割ろう、そう決めてぐっと手に力を入れたところで、

『ねぇ、聞いてるの?』

 うどんに魅入られていたせいで相槌がおざなりになり過ぎたようだ。少し低くなった通話の向こうの声に慌てて、彼は顔をあげてスマートフォンを持ち直した。

 割りばしはまた、割られることなく器の傍に戻される。

「聞いてるって。姉ちゃんの彼氏だろ。悪い人じゃないよ」

『それは分かるんだけどね──』

 彼の、何度目かの当たり障りのない言葉で話題はまたループへと戻る。

 学食の時計を見上げた。貴重な昼休みが、もう5分は過ぎている。5分もあればうどんを食べ終えて、友人達を見つけてゲームに興じたり、馬鹿なお喋りで盛り上がることも出来たのに。

 空腹で苛立ちが増幅されてしまい、とうとう彼は少し強めの語調で母の愚痴に割り込んだ。

「あのさ、俺、今昼休みなんだよね」

『あら、ごめんなさいね。お邪魔したかしら』

「ん。でもさーこれから飯だから、ごめんだけどまた後にしてくれる?」

 そう告げれば、男子大学生の食欲を知っているであろう母がすぐに引っ込んでくれることは、彼も端から良く知っていた。ごめんね、と再度告げて慌ただしく母が通話を切ろうとする気配。

「また姉ちゃんにも言っとくからさぁ……」

 通話の終わり際にそんなことを口走ってしまったのは、母親のそうした自分への愛情を知っていて利用したような、奇妙なうしろめたさに駆られたからだろう。そうしてくれる、と安堵したような向こう側の声に、また曖昧な相槌を送って今度こそ、彼は通話を切った。

 大きくため息が出てしまうのは仕方がない。姉ちゃんには悪いけどアリバイ作りのために一応連絡しないとな、といささか億劫な気分になりつつ、彼はようやく割りばしを手に取った。

(飯食い終わったら、お袋にLINEくらい送っとくか……)

 あんな風に話を切り上げさせてしまった以上はそれくらいのフォローはしても良いだろう。とはいえ面倒だから、スタンプくらいで済ませてしまおうか。思い悩みながら割りばしにぐっと両側から力を入れる。

 ぱきり、と音を立てた割りばしは、彼の億劫な気分と裏腹に、綺麗に二つに分かたれた。

(──ま、今はいいか)

 気分までその拍子に切り替わったような気がした。今は温くなってしまったうどんを啜りたい、その一心だった。

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おうどんたべたい 夜狐 @yacozen

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