第30話 鈴奈の達磨

鈴奈は、一人涙を流していた。


子宮外妊娠をして、手術で卵管を切除してから、どうしても考え込んでしまう。



どうして、こんなことになったのだろうか?



もっと早く受診していれば、手術を受けなくて良かったのではないか?



私がもっと上手く立ち回れていたら、



お義母さんと上手く関係を築けていたら、



もっと、



もっと、




ううん。私は悪くない。



勇太がいるから、受診する事ができなかった。



しかたがない。同居してから丸田家の家事も、良太の育児もほとんど私だけでやってきた。



私は精一杯してきた。






じゃあ、





どうして?





こんなことに?







「本当に鈴奈さんは愚図ね。」


「こんな事も出来ないの?」


「気が利かないわね。」


「妊娠で手術なんておかしいわ。ほおっておけばいいでしょ。」


「私は家事も孫の世話もしませんからね。」








頭の中で義母の言葉がこだまする。









お義母さんのせいでは?








何度電話をかけても、SNSで連絡しても繋がらなかった夫の携帯電話。








夫が悪いのでは?







イヤイヤと地団 駄を踏んで、思い通りに動いてくれない息子の勇太。勇太を抱えて買い物に行く事もあった。






息子が悪いのでは?











違う、違う、違う










仕方がなかったのよ。誰も悪くない。












自分自身を慰め、納得させようとするが、どうしても頭から離れない。


二人目を産み育てる為に、同居したはずだった。


うまく行くと思っていた。安心して妊娠できる環境を整えたはずだった。


なのに、どうして。









同じ考えがグルグルと頭の中を巡っている。



手術の後、夫の良が尋ねてきた。話を聞くと、職場でトラブルがあり、携帯電話が壊れたらしい。良は丸田家の家電に電話をして、文さんが出ていたが、その文さんは認知症だったらしい。


仕方がない事は分かる。でも、もう鈴奈は限界だった。離婚を告げると、良は鈴奈に頭を下げて謝ってくれた。


良は悪くない。


でも、もうあの家には帰りたくない。


義母と家族になるのは嫌だと良へ告げた。













術後の経過は良好で、鈴奈は予定通り退院する事になった。


迎えに来た良は義母と縁を切るから、また一緒に暮らそうと言ってきた。


そんな事が可能だなんて信じられなかったが、良は警察や弁護士、市役所にも相談に行き、手続きを済ませてくれたらしい。


退院してから毎日良は、鈴奈に電話をかけてくる。


もう2度と同じ事が無いように、データのバックアップを必ず取るようにしているみたいだ。パソコンや携帯電話、タブレット等複数の端末を同機し、携帯電話が破損しても必ずメールを他の端末から送ると笑いながら言ってくる。


今日は、迎えに来てくれた良と一緒に、新しい家を見に行った。


地下道を通り、駐車場に車を停める。

エレベーターで地上に向かうと、明るい光景が広がっていた。


緑豊かな公園に、整えられた歩道。ネットが張られた広場では、ボールを使って自由に遊ぶ子供達がいる。


隣の広場では、お年寄りが集まり体操をしている。


整えられた小道にはお年寄りと一緒に歩く数人の幼児が笑っていた。


鈴奈は言った。

「良君。ここって?」


良は言う。

「従弟の麗奈さんに紹介してもらった場所だよ。今試験的に運用を開始された町らしい。車は基本的に地下道を走るようになっているから、危険が少なく子供達が安全に遊べるようになっているみたいだよ。こっちだよ。」


良に案内されて行ったのは、数十階建てのマンションだった。


一階のロビーでは、麗奈が待っていた。

「こんにちは。鈴奈さん。勇太君。」



麗奈は、真新しいマンションを案内してくれた。

1階には託児所、美容院、コンビニがあり、託児所には常に数人のスタッフが常駐しているらしい。もし、両親が急な病気等で入院しなければいけない時は、夜間も預かれると説明された。


マンションの住民には無料で使用できるレンタル祖父母サービスがあると言われた。

同じ町に建てられている高齢者専用住宅に暮らす元気な方々が、自宅へ訪問し、家事の手伝いや子供の世話をしてくれるサービスだった。


麗奈が言った。

「現在介護保険サービスの内容を育児に応用できないか政府が検討しています。この町はその試験運用の場に選ばれました。利用後はアンケートの記入が必要なのですが、無料なので沢山使ってくださいね。手伝ってくれる高齢者の方には、食事券が配られる事になっています。」


案内されたマンションの部屋はとても明るく綺麗だった。

4LDKのその部屋は、良と鈴奈、勇太の3人には広すぎる気がする。


良は、鈴奈の手を握りながら言った。

「母さんとは連絡がまだ取れないよ。父と離婚は成立しているし、警察に相談して損害賠償請求を出す事にした。家庭内暴力の証明書を貰ったから、新しい住所を母さんに知られる事はない。ただ、俺の母である事は変わりないから、もし母さんが反省して謝ってきたら俺は許そうと思う。だけど、鈴奈と勇太はもう母さんに会う必要はない。ここに引っ越してきたら、部屋は余ると思うから客室にしよう。もし父や義父が泊まりにきたいと言った時に便利だし、一緒に住む家族が増えるかもしれないだろう。」


鈴奈は、良の手を握り返した。


(そうよ。私には良がついている。勇太もいる。この場所でなら、きっと安心して子育てができる。)


















新しいマンションは、丸田家の土地を売ったお金を頭金にして購入する事になった。丸田家の広い土地はかなりの金額がつき、義父と祖母の高齢者住宅入居費用とマンションの頭金に使ってもまだかなりの金額が残っているらしい。



鳥がさえずり、蝶々が飛び交う公園のベンチに鈴奈は座って、駆け回るわが子を見ている。70代の男性が、数人談笑しながら、遊ぶ子供達を笑って見ている。近くには救急コールも設置され、何かあればスタッフが駆けつけるようになっていた。


「お母さん。見て、ひ祖母ちゃんが教えてくれたよ。」


笑っている義祖母の文が持つ籠には、沢山の大きな落ち葉が入っていた。文に教えて貰ったのか勇太は、大きな葉に顔のような穴を数カ所開けていた。その大きな葉を自分の顔に当てて自慢そうに笑っている。



鈴奈も笑って言った。

「よかったわね。勇太。」



鈴奈は、大きく膨らんだ自分のお腹を愛おしそうに撫でた。

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