第5話

 群れに到着すると、あっという間にグレイとハーティアは<狼>たちに囲まれた。

 南の赤狼の群れに行ったときと似た感覚に、たとえ頻繁に訪れることはないと言っていても、グレイがこの群れの中で相当な敬意を払われ好意を寄せられていることがよくわかった。

 

「グレイ、この子が例の?」

「あぁ。美しい娘だろう。ハーティア、という」

「は、初めまして……!」

「礼儀正しいお嬢さんだ。いや、俺たちはずっと心配していたんだよ。爺さんの代からずっと、グレイは特定の相手も見つけずにいるから、もうこのまま一生運命の番とは出逢えないんじゃないかって――」

「それはすまなかった。心配をかけたな。だが、この通りだ。安心してくれて構わない。お前の祖父――アラバム、と言ったな――にも、墓前に良い報告をしてくれ」

「名前、覚えててくれたのか!?ありがてぇ……爺さんも本当に喜ぶよ」


 ビアンカの強烈な印象が強すぎたせいで、てっきり「大事な長を誑かした娘」として敵意を向けられるのではとハーティアは内心びくびくしていたのだが、実際は全く杞憂に終わった。

 グレイの元に現れる者たちは皆、千年誰とも番うことのなかった<狼>が、やっと生涯を添い遂げると決めた番に出逢えたことを喜び、寿ぎ、グレイとハーティアを共に手放しで歓迎してくれた。


(それにしても、マシロさんが言ってた通り、本当に美形揃いだな……)


 見渡す限り、全て造形の整った者しかいない。子供も大人も、漏れなく皆、美男美女ばかりだ。


(男の人を褒めたりするとグレイが嫉妬して面倒くさくなるから絶対口に出来ないけど――次にマシロさんに会ったときは沢山お土産話してあげよう)


 いつも気安い会話をしてくれる赤狼の族長を思い浮かべながら、そんなことを考えていると、グレイと群れの若者たちの会話が耳に入ってきた。


「久しぶりにグレイが来たんだ。夜は、群れを上げての歓迎の宴を開かせてくれ。とっておきの肉を沢山用意したんだ」

「そうか。この季節だ。宴のために肉を用意するのは大変だったろう。すまないな」

「いいんだ、いいんだ。アンタは俺たちの自慢の長だ。平気で百年近く来なくなるんだから、たまに来た時くらい、最大限のもてなしで迎えさせてくれよ」

「ひゃっ……百年――!?」


 さすがにそんな単位で群れを空けているとは思わず、ハーティアはあんぐりと口を開いてグレイを見上げる。

 グレイは、もの言いたげな視線に気づいて苦笑すると、グレイの来訪に沸いている周囲には聞こえない声で、そっと囁く。


「そう驚くな。――『月の子』が息衝く尊い百年は、私は時間が空いても決してあの<月飼い>の集落を離れられなかった。それだけだ」

「――!」


 ハッとグレイの言葉の意味するところを悟り、ほんのりと頬が桜色に染まる。

 グレイがパタッとこの群れに足を運ばなくなる百年というのは――ハーティアの魂を持つ者が新しく誕生し、寿命が尽きるまでの時間なのだろう。

 ちょっとやそっとのことでは死ぬことがなくなった今でさえ、とんでもない過保護を発揮するグレイのことだ。

 <月飼い>の集落を護るためにグレイが張った結界だけでは、きっと安心出来なかったのだろう。

 だから、いつだって彼は、愛しい『月の子』に万一のことがないように、その魂が息衝く百年だけは、やむを得ない事情を除いて、束の間でさえその結界から無意味に離れることを嫌ったのだ。

 それは、当時の彼にとって――永遠の地獄を孤独に歩く道のりに咲く、唯一の希望の花に他ならなかったのだから。


「最後に来たのは二十年くらい前だったか?それからぱったり来なくなったから、てっきり、また百年の周期に入ったのかと思ってたのに――いやぁ、こんなめでたい報告を持ってきてくれるとは。嬉しい限りだ」

「皆には心配をかけた。これからは、お前たちの日常を阻害せぬ程度ではあるが、もう少し顔を出そうと思う。私も、ハーティアも、歓迎してくれると嬉しい」

「勿論だよ!いつでも戻ってきてくれ」


 群れの住民の言葉は、ハーティアが生まれてから、ここには一度も訪れなかったことを表している。

 以前グレイが教えてくれた、彼が集落を見守ってくれていたという御神木を思い出しながら、ハーティアは自分が知らないところで、この<狼>に特大の愛情をもらっていたことを噛みしめた。


「この季節にグレイが来るのは珍しいから、見せたいところが沢山あるんだ。グレイに逢いたいっていう連中もたくさんいる。今日は、お嬢さんと一緒に、群れの中を案内させてくれ」

「勿論。ティアも、構わないな?」

「は、はい!ぜひ、お願いします……!」


 気のいい若者の言葉に、白い息を吐きながら答える。

 雪に沈んだ幻想的で美しい街並みを、日が暮れるまでたっぷりと楽しむのだった。


 ◆◆◆


 日が暮れて世界が宵闇に包まれると、村中に用意されたらしき灯篭に明かりがともされ、ただでさえ幻想的な風景を、より印象的に彩り始めた。

 雪に月光と灯篭の灯りが絶妙に反射して、一面がキラキラと輝いて見える。

 ほぅ……と美しさにハーティアが感嘆のため息を漏らすと、準備を頑張ったらしい群れの若者たちは、グレイの番に喜んでもらえたと無邪気にはしゃいでいた。


「ほら、グレイ。こっちも食べてくれ!」

「あぁ、いただこう。どれもこれも旨いものばかりだな。お前たちも、沢山食べるがいい」


 宴会場に案内されると、たちまちグレイは囲まれ、その目の前にたくさんの料理が運ばれてくる。


(こ、これが<狼>さんたちの宴会――いや、まぁ、確かに、シュサさんが飲んでるお酒も「臭い」って言って鼻を覆ってたもんね……)


 目の前の光景に名前を付けるなら――『肉祭り』とでも名付けようか。

 人間たちが行う宴とはだいぶ様相が異なるそれに唖然としていると、ドンッとハーティアの前にも肉の塊が置かれた。


「さぁ、お嬢さんも、遠慮せず食ってくれ!」

「は……ははは……」


 胃もたれ必須の塊を前に、引き攣った笑いが漏れる。

 <狼>たちは基本的に肉食で、好奇心旺盛な赤狼の雌たちを除き、野菜をはじめとする肉以外を食すことは稀であるというのは知識として知っていたが、普段滅多に食事をしないグレイと一緒にいるせいで、ついそれを忘れていた。

 ここには、助けてくれるナツメもマシロもいない。


「お……美味しいです……」


 意を決してぱくり、と肉を一口口に運び、笑顔で告げる。

 それは嘘ではない。心から、美味しいと思う。

 ただ――ちょっと、口直しのスープかサラダが欲しいと思うだけで。


「そうかそうか!こっちの燻製も旨いぞ!」

「は、ははは……」


 ずいっと差し出される塊を、引き攣った笑顔で受け取る。


「ティア、無理をする必要はない。言っただろう。我らは内側の不調には強くない。食べ過ぎれば腹を壊すことは往々にしてある。……お前たち、すまないな。私の番は、少し小食で――」

「あっ、だ、大丈夫!」


 ここへ来てから、全力で歓迎の意を示してくれた群れの者たちをがっかりさせたくなくて、ハーティアはグレイの言葉を遮る。


「最近、ご飯食べそびれてたから、お腹空いてたの!沢山、食べられるよ!」

「……ふむ。そうか。……まぁ、無理はするな」

「う、うん!」


 最近、食事を抜いてしまったことは本当だ。――誰かさんが、食事の時間など与えないほどに抱きつぶしては気を失う生活が続いていたせいで。


「そうか、よかった!こっちは、群れで一番料理が上手いロシ婆さんが作ったんだ。若い雌にも人気だから、きっと気に入ると思う!ぜひ食べてくれ!」

「は、はい……!」


 どう見ても脂っぽい肉の塊だが、若い雌にも人気という前評判を信じて口に運ぶ。

 そうして、フードファイトと化した肉祭りは、夜が更けるまで続くのだった――

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