第9話・ひよりちゃんの昼仕事




「美味しくなぁれ、美味しくなぁれ!───そろそろ、いいかな」



 グツグツと煮込まれてゆく『味噌煮込みうどん』を前にして、ひよりは微笑んだ。



 一度火元から鍋を外し、時計を見る。



「わ、もうこんな時間」



 時計の針はそろそろ正午。



 黎紫がいつ帰ってもおかしくない時間帯だ。



 付け合わせにお漬物などを用意して、待つこと数分。




「ただいま!」



 ───あ、帰って来た!




「お邪魔しまーす!」


「こんちわー」




 ───んん⁉




「お邪魔~」


「失礼する」


「お邪魔しやっす!」


「上がりまーす」


「入りまーす!」




 ───え?え?


 なに?


 最初に聞こえた黎紫の声の後に続いて、いろんな声がひよりの耳に入ってくる。



 そしてドヤドヤと響き渡る足音。



「───ひよりちゃん」



 黎紫が調理場へひょっこり顔を出した。



「悪りぃがちょっとお客さんについて来られてね。客間使うけど」



「うおーっ! これが噂の専属賄いちゃん⁉」



「可愛いッ!」



「めんこいのぅ」



「小さいねぇ、君歳は?」



「ヘェ~。いいなあ! うちにも欲しぃなあ……」



 わらわらと調理場に押しかけて来る者たちに、ひよりはあっという間に囲まれた。



 だっ⁉ だ、だ、誰ですかッ⁉


 皆、藍染の羽織りと灰色の袴といういで立ち。



 そして皆、身体つきの良い殿方で。



 皆がひよりのことを直視していた。



 ───こ、怖いっ。



 囲まれて、潰されてしまうような恐ろしい感覚に身体が支配され、ひよりは立っているのさえ辛く、ガタガタと肩が震えだしていた。



 ぎゅっと閉じた両目から熱いものがこみあげる。


 そんなとき、ふわりと肩を抱かれた。


 そしてそのまま、ひよりは身体ごと引き寄せられ、やんわりと誰かの胸の中に抱きすくめられた。



「悪いが勘弁してくれ。これ以上この子を視線で辱めんのは」



 ───こ、この声!



 苦笑いを含んだような口調。



 目を開けるとその胸元に顔を押し当てられた状態で見えた羽織紐。


 美しい紅玉や翡翠で飾られ、中央には乳白色の晶石。


 そこに彫られた数字の〈九〉。



 ───た、隊長……。



「あぁっ、ずっる! 独り占めかよ、黎紫! 」



「もっと見せろ!」



「眺めさせろ!」



「触らせろ!」



「はは。まいったな、どうする?ひよりちゃん、頑張って自己紹介してみる?」



 こう言いながらも、黎紫の腕が緩められることはなかった。



 むしろさっきよりもしっかりと、その腕はひよりの肩を抱いている。



 まるで……動くな、とでもいうように。




「ぁの、た、いちょぅ……わた、し……」



 掠れる声は黎紫にだけ届いた。



「うん、うん。そっかあ、それは楽しみ!」



「なんだ? 何て言ったんだよ」



「美味い酒と肴を用意してくれるってさ。んじゃ皆さん、ひとまず客間へ!ここにいても呑めないっすよ」



「しゃーねぇなァ」



「後で紹介しろよな」



「宴会じゃ、宴会!」



「嬢ちゃん、美味いツマミよろしくな!」




 わらわらと人の動く気配が続いて。


 やがてとても静かになった。



「ごめんな、ひよりちゃん。脅かして。悪い連中じゃないんだが、エロい連中だからさ、危ない危ない」



「あ、あの! ───も、もう平気ですっ。だから、そのッ……」



 手を……ゆ、緩めてほしい。



 密着している身体から黎紫の体温が流れて。



 なんだかとても熱い。



「え~、俺はもうちょっとこうしてたいんだけどなぁ。ま、仕方ない。俺が行かないとあいつ等また様子見に来るかもだし」



 黎紫はぽふぽふとひよりの頭に優しく触れて腕を離し、そのまま調理場の出入り口へ移動した。



「いい匂いがするけど、味噌煮込みうどん出来てる?」


 振り向いた黎紫が尋ねた。


「はい、出来てます」


「一緒に昼飯食いたかったのになァ。酒の肴にするから持ってきて。あとは……貰いものの酒とかあったよな? それ熱燗でね。けっこう呑むよ、酒豪揃いだから」



「……はぁ」



 昼間っから宴会かぁ。



「皆さん班隊長なんですか?」



「んー、隊長もいれば副長もいたり、いろいろだな。連れてくる予定じゃなかったんだけどねぇ。付いて来られたというか。あ、なんか運ぶ? 皿とか」



 ぽりぽりと頭を掻きながら、困り顔でいる黎紫の表情が意外と可愛らしく思えた。



「いえ、大丈夫です。少し待ってもらうようになりますけど、すぐ用意しますから。隊長は戻って接待しててくださいね!」



「接待ねぇ。苦手なんだけどなァ」



 それじゃあ頼むねと言い残し、黎紫は調理場を出て行った。



 一人になったひよりはふうと息を吐く。


 ああ、びっくりした。いろいろと。


 普段から、ほかの武仙たちとの交流など無いひよりにとって、ああいった集団は迫力がありすぎた。


 そうでなくても闘魄の低いひよりが戦闘師団の長副たちに囲まれるなど肝が潰れても仕方のない状態のようなものだ。



 ……なんか、ホントに怖かったなぁ。



 今でもまだ、思い出すと胸がぎゅっと苦しくなる。



 けれど次の瞬間、それがふと和らぐ。



 あのときの黎紫の行動が、ひよりの中に残っていた肌寒い感覚を和らげるのだ。



 優しい腕と、温かな感触に。



 ……や、ヤダ。


 私ってば!


 何思い出してんだろッ。




 ひよりはブンブンと頭を振った。




 そんなことよりお酒よ!



 ツマミよ!



 肴よ!



 ん~っ、何を作ろうか。



 ひよりは割烹着の上から襷掛けをし、大きく呼吸して気合を入れる。



「よし! 美味しい肴、作るぞ!」





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