春の夜の物語

黒木悠里

第1話

君の手をつかんでいた。

いつから離れていったかなんてわからない。

この道が合っているのか分からない。

進みたい道なのかどうかも分からなくなってしまっていた。

迷子になってしまっていたんだ。


だけど、この道が正しいと思っていたいんだ。


進んでいくしかなくて、どうしようもなく孤独で

でも進むしかなくて、悲しくて

正しいと思っていたい。


どうかだれか、正しいと言って


これがお前の復讐なのか

私がこちらを見ている。

これがお前の復讐なのか


ー----------ー----------


”バイクから降りると、目の前で警官が頭から血を流して倒れていた。

何かの事件現場に向かおうとしていたのか、腰に拳銃が差してあった。

警官の顔に触れても、目が覚める様子はない。心の奥が騒がしい、ざわざわしている。音が漏れてしまうんじゃないかって程に。震える手が警官の腰にいく。重たいそれをリュックサックに入れ込み、バイクに戻った。”



”騒々しい足音がする、鈍い鉄の音を響かせながら

とにかく足を動かすしかなかった。

どうして

どうしてこうなった

何度考えても、頭の中がぐちゃぐちゃで考えられない


手紙を広げる。白い紙に懐かしい丸っこい癖のある字が並んでいる。

”とおる、ごめん”


「はる、なんでごめんなの」


手紙を丁寧にたたんで、ポケットに突っ込んだ。”






「あーあ、私はやく死んじゃいたいなー」

「何ゆってんの、やめてよ縁起でもない」

「いやだって、朝美と一緒に暮らしたくないもん。このまま病院からでたら朝美とは無縁の生活したい」

「まあそれは分からなくもないわ。じゃあさ、病院でたら一緒に暮らそうよ。なにかしら理由つけてさ、親説得するから」

「とおる」


春奈が思いっきりぶつかるように抱きしめてきた。


「とおる、本当に大好き。一緒に暮らそう。私もとおるの両親説得するから、とにかく二人で頑張ろう」




春奈が朝美を睨む。


「信じていたいの、もうやめて。私の前に現れないで」

「私は、あなたの為に・・・」


枕もとのナースコールを握りしめた。


「これ、押しますよ」


そういうとようやく朝美は口をつぐんだ。朝美は顎をあげ、春奈を見下し


「全て、あなたの為なのに、馬鹿な子」



透はボイスレコーダーを切った。握りしめ、春の声の入る箱を握りしめた。






空が晴れている。こんな日は空が遠く感じる。

春奈が立っていた。


「はる」


呼ぶと、春奈の肩が飛び上がるように揺れた。春奈はそれでも振り返らない。何処へ行くのか、前に進んでいく。その先は


「はる!危ないよ!」


春奈がゆっくりと私を向いた。


「とおる、なんで来たの」


春奈の瞳から涙がひたひたになっている。透が慌てて言葉を紡いだ。


「はるの事が。心配だったから。」

「もう、苦しむのは私だけでいいよ」

「はる。苦しんでない。私ははるといられるだけで、幸せなんだよ」


透の手が春奈の肩に届いた。左手を春奈のお腹から背中に回した。そのまま春奈を捕まえるように抱きしめた。


「苦しくなんてない。私は本当にはるがいるだけで幸せなんだよ。はるがいない世界なんて考えられない」


春奈は嗚咽を漏らして、こらえるように、力強く透を突き放した


「ごめん、ごめんなさい。ひどいよね、とおる。私は本当に弱くてごめん。」


そのまま透は勢いで転んでしまった。春奈は透をみないように、低いフェンスを超えて屋上の縁に立った。

透は四つん這いになって春奈を追いかける。右足と左足、手がぎこちなく動き回る。


「はる!はる!いかないで!」


右手が春奈のズボンをかすめる。

手、のびろよ

右手が空をかすめる。

左手が地面を蹴る。あともうちょっとで右手が届く。あともうちょっとで届く。

不意に後ろに体を引っ張られた。


「危ないわよ」


冷え切った朝美の声が後ろから聞こえる。後ろの服を思いっきり掴まれている。春奈はそのまま空に落ちていった。


「はる!は・・・」

春奈の顔が見えた。悲しみと安堵とどっちの顔なのか。分からない顔だ。私はいつから

春奈がこんなになるまで、気づいてあげられなかったんだろう。

手が届けば、変わっていた。


「殺したわね。見てたわよ」


朝美が喋っているのが聞こえる。春奈を殺した女が喋っている。


「あんたがいなければ、手も届いて、はるは今頃笑顔で」


そこから上手く喋れなった。声が上擦る。


「私、警察に透が春奈を殺したって言うわ」


そういってスマホを取り出した。朝美がスマホを取り出したから透はとっさに朝美のスマホを叩いた。朝美は一瞬怯み、そこを狙い、落ちたスマホを急いでひらった。透は緊急ボタンで救急車に電話を繋げた。そのままドアに駆け込む。朝美が追いかけてくる。


間に合わないだろう。それはもう分かっていた。春はそんなに強くない。


階段を駆け降りる。後ろから朝美の駆け足も聞こえてくる。けど、ここで追いつかれたら、春奈に顔向け出来ない。

足がもたげそうになりながら、救急車を呼び、一階に向かった。

校舎の1階に向かうにつれて、騒ぎ声が段々大きくなっていく。校舎の前までくると人だかりが出来ていた。

人混みをかきわけると、颯真がこちらに背を向けて春奈を抱きしめていた。手を颯真の肩にかけ、すぐに春奈の顔に自分の顔を近づけた。息はしていない。春奈は真っ青な顔で頭から血が流れ、春奈の頭を支えた颯真の手は血だらけだった。


「颯真、救急車呼んだから、校門まで春奈を連れて行こう」


そういうと、ちょうど工藤先生がやってきて、驚いた顔で颯真と春奈を見た。状況を説明すると、工藤先生が颯真と一緒に校門まで運び始めた。


「透が春奈を殺したのよ。私は見たのよ」


後ろで朝美が叫んでいる。

工藤先生と颯真は気にするなといって、他の先生が朝美を落ち着かせていた。

救急車の音が近づいてきた。


工藤先生は春奈を持ち続けながら透をみた。工藤先生は厳しい顔をしていた。


「石井さん。今日はもう帰りなさい。」

「でも春奈が」


工藤先生は春奈を見た。春奈の顔は血の気が引き切り、真っ白な顔をしている。


「石井さんは来ないほうがいい」

「いいえ、行きます」

「透、はるは、もう」


ずっとうつむいていた颯真が泣いていた。


「分かってる。分かってるけど、ついていく。最後、まで一緒に居たいの」


透はだらんと落ちた春奈の手を握りしめた。夏が始まるというのに、蝉が煩く鳴いているっていうのに、春奈の手は氷のように冷たかった。






”目の前が真っ白だった。

胸が急激に苦しくなり、上手く空気を取り込むことが出来なくなって、過呼吸のように息を吸って吐くのを繰り返すのに、喉が詰まって入り込まない。


「透」


はるが呼んでいる。違う、もう、はるは。

目の前が急に暗くなって、最後は肩に颯真の手を感じた。”




颯真が透の横に座って、透のお腹の一点を見つめていた。


「そうま、起きたよ。」


颯真が透が起きたことにすぐに気づいて、顔を透に近づける。


「透、大丈夫か。さっき倒れて」

「うん。もうなんともない」


そういって透が体を起こす。


「・・・その、大丈夫か」


そう言いながら、颯真は透の顔を見られずにいた。


「颯真、私ははるの事を愛しているの」


颯真が顔を透に向ける。颯真は目に涙を浮かべていた。


「ごめん。」


透が頷いた。颯真がおもむろにポケットから紙を取り出した。


「これがはるのポケットの中に入っていたんだ。」


颯真が小さく4つに折りたたまれ、少しクシャッと崩れたその紙を透に渡す。


「なんて、書いてあるの」


そういいながら透がゆっくりと広げていく。紙に黒いペンで書かれた懐かしい丸っこい文字が並んでいた。

透が紙を掴んで、それを握り、額にあてた。


「はる、なんで」


手からぼろぼろと涙が伝い、透の嗚咽が病室に鳴り響いた。





真夏なのに皆黒い服を着ていた。透はセーラーを着て、一言も喋らず歩いていた。そして透は葬儀場の前で立ち止まり、看板を見上げた。

確認するようにじいっと見ている。

透の額にじわじわと汗が染み出して、髪の毛が湿り気を帯びはじめた。


「透、そろそろ」


颯真が隣で肩をつついた。透は聞いているのか聞いていないのか分からないような返事を返しただけだった。颯真は後ろを見て、驚き何かに気づいたかのように、透の両肩を掴んで葬儀場の横道まで連れて行く。透が颯真の目を見る。


「颯真、どうしたの?」

「俺たちは中に入れないからな、あそこにいても邪魔になるだけだ」


透が颯真から目を離し、葬儀場をみた。そこには朝美が扇子を仰ぎながらだるそうに葬儀場に入る姿があった。

途端、透の足が動いた。日陰から体がでたところで右手を後ろに思いっきり引っ張られる。


「あほ、どこいく」

「ここは朝美が来ていい場所じゃない」

「だから、なにすんだよ」

「なにって、別に関係ないでしょう」

「騒ぎ起こしたって、もう、春奈は、死んだんだ。何したっても意味ないだろ」


颯真は透から目を離して手に力をいれた。


「春奈じゃないわ、私が許せない、私が朝美を許せないの。春奈はずっと苦しんでいた。私が知らないところで、春奈はきっとずっと朝美に苦しめられてた。

私が、許せないの。朝美を、法で裁けないっていうなら

私があいつを裁く」

「とおる」

「ついてこないで、颯真は関係ない」

「とおる、ごめん、でも俺はとおるを助けたい」




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