電木羊子はポンコツアンドロイドの夢をみるか?

花橋 青

第1話 街春にして変態ありし

 ――― 春。

 それは、命が芽吹き花が咲き乱れ、ポカポカとした陽気に誘われて虫と変態がわいて出てくる季節。

「お探ししました、マスター。お久しぶりでございます」

 見ず知らずの美人が私の目の前に立ち塞がっている。しかし、「探していた」だの「久しぶり」だのと言われても皆目見当がつかない。

 もしかしたら他の誰かに言っているのだろうか、と周りを見回したが、夕方の閑静な住宅街の道には今、私と見知らぬ女の人しかいなかった。

 もう一度、目の前の人を観察する。ひえっ、目がギンギンだ。正直言って、ちょっと、ではなくかなり怖い。本気度MAXの目で、瞬きもせず真っ直ぐ私を見ている。

 女の人の造形が整っていることも、この場合、逆に怖さを加速させる。

 腰まで届くサラサラの黒髪が印象的な、180㎝以上ありそうな背の高い美女。黒のパンツスーツを着ている姿は、八頭身のモデル体型もあいまって「仕事の出来る大人のオンナ」って感じだ。

 歳は20代半ばだろうか。切れ長の目元が涼しげな、凜として知的な顔立ち。前髪はパツンと真っ直ぐに切りそろえられ、まるで日本人形のような印象を受ける。表情が全くの無であることも、女の人の人形めいた雰囲気を強めていた。

 ……何度脳内で記憶を手探りしてみても、知らない人である。

 そもそも「マスター」とは?あの、バーや居酒屋を牛耳ってる人達の総称だろうか。大体私は、そういった場所に出入りしたことだって一度も無い。

「……いや、お姉さんのこと知りませんけど。人違いじゃないですか?」

「いいえ、マスターはマスターです。どうぞご命令を」

 表情一つ変えず、即座に返事が返ってきた。どうやら私が彼女の「探し人」で「マスター」であると言い張って譲る気はないらしい。 しかしだ。何度主張されたとしても、私はマスターではないし、この女の人は知らない人だ。いや、知らない変態だ。何だこの人。

 いかにも常識と良識を兼ね備えたOL、といった見た目なのに、初対面のJKの前に仁王立ちしてバキバキの目でガン見してくるの怖すぎる。言ってる内容も意味不明だ。ギャップがエグい。そういうギャップは特に望んでない。

 つまり、こいつは初対面のJKに「マスター」とか「久しぶり」とか、訳の分からないことを言って怖がらせることで興奮するクチの変態か?

 私は走り出した。変態に背を向けて、西武柳沢駅へと。とにかく、人の多いところまで逃げる。ここからなら家も近いけれど、家までついてこられて住居を特定されても厄介だ。 変態やストーカーや熊なんかに出会ってしまった時の正解は、戦うことじゃない。逃げることだ。逃げるが勝ちである。この場合の「勝ち」は「生き延びる」ことを意味する。熊には死んだふり、なんて定説を聞いたことがあるが、熊の前で寝っ転がっていたってまな板の上の鯛っていうか。熊的には、でっかくて動かないちょうどいい肉の塊、つまりはご馳走なのでは?

 思考がまとまらず、心臓がバクバク音を立てている。もつれそうになる足を動かして、それでも全力で走る。

「お待ちください。マスター」

 案の定、変態は追いかけてきているようだ。すぐ後ろから声が聞こえる。私は息が切れるほど全力で走っているのに、変態の声の調子は平坦で、息が上がっている様子もない。そして、声のトーンから何の感情も読み取れなくてゾッとする。さっき見た、感情が抜け落ちたような顔を思い出す。

 もしや変態というよりも、サイコキラー的な、もっと怖いヤツなのか!?それとも妖怪「マスター探し女」みたいなオカルトか!?私はオカルトは信じない主義だけど!何にせよ全部「ヤバい人」ってことだよ。ヤバい人に追っかけられて、ヤバいって私!

「お、いかけてくん、なあっ!」

 息も切れ切れに、思わず私は叫んでしまっていた。話が通じそうな相手には見えなかったが、思いがけず後ろからついてきていた足音がピタリと止まった。

「それは命令ですか?」

 振り返ると、3メートルほど後ろで変態が立ち止まっている。

 何だ?設定厨か?

 自分の中で作った架空の設定を現実だと思い込んで頑なに守るタイプの頭おかしい人なのだろうか。

 それなら、

「……そ、そうだ!二度と私の前に姿を現すんじゃないぞ!これは命令だからな!」

 勢いよく、外見は美しい変態に向かって宣言する。無表情のまま、変態の口が開いて、動く。

「命令を復唱。”二度とマスターに姿を見せない”。承知いたしました。実行に移します」 案外あっけなく、そいつは私の「命令」に従った。くるりと向きを変え、どこかへ歩いてゆく。

 立ち去るように見せているのは演技で、本当は私を油断させてまた襲ってきたりするのではないだろうかと心配で、警戒しつつ、こちらに背を向けて歩み去る変態の姿を見送った。

 しかしその心配は無用だったようで、一度も立ち止まることも振り返ることもなく彼女は去っていった。ただ、10メートルほど歩いたところで歩道のくぼみに足を引っかけて盛大に転んでいた。が、すぐに起き上がってまたスタスタと歩いていった。

 外見はクールで知的なインテリ美女なのに、JKに意味不明な声をかけガン見し、逃げたら追いかけてくる変態で、なおかつドジっ娘属性持ちとは。気の毒な人だ……。本当に、めちゃくちゃ美人なのに残念だ。春ってすごい。ヤバい。あんな変態も春の陽気に誘われて出現するとは。世界は広い。

 私は彼女の姿が見えなくなるまでその背を見送り、一度西武柳沢駅に戻ってから一駅西武新宿線に乗って、隣の東伏見駅で降りて遠回りをしながら歩いて帰った。

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