彼らは一度きりの青春をどう過ごすか?
利零翡翠
だから佐波黒陽介は嫌われる
「
「……なんだ?」
現在、放課後。学校内の生徒達は部活動に励む時間である今、俺はとある女子生徒に呼び出されて教室に残ることを強制されている。
この春に高校二年生へと進級してからまだゴールデンウィークを経過していないというのに、目の前の女はどこか怒りを鋭利な目つきでぶつけている。
「なんだ? じゃないわ。佐波黒くん、悪いことをした自覚がないの?」
長い黒髪をさらりと払いながら彼女は俺に問いかける。だが生憎、悪いことについて思い当たる節が全くない。
それに今は彼女の方こそ、悪いことをしているのではないだろうか。
俺は心中の思いをぶちまける。
「ようやく学校が終わって帰れるとウキウキで靴を履き替えていた最中、何の用件も言わずに教室まで連れ戻してきたお前こそ自覚がないのか。俺の貴重な放課後ライフを今まさに奪い続けているんだぞ」
「それは……悪かったわよ」
彼女は身じろぎをして委縮し始めた。
「佐波黒くん、ホームルームが終わったらすぐに帰ってしまうし、私は先生に呼び止められてしまうしで……仕方がなかったのよ」
別日にするという案は思いつかなかったのだろうか。まあそれを実行に移されても俺はお構いなしに帰宅を決め込むのだが。昼休みに訪ねられても便所飯でやり過ごすつもりだ。
「そういうことで、今度からは気をつけろよ」
手を振って俺は廊下へと向かう。
「ちょっと! まだ話は終わってないわよ!」
「いや大丈夫だ、俺が終わらせた」
俺の発言に彼女は呆然と立ち尽くしていた。かと思えば今度は地団駄を踏んで憤慨しだした。大人びた風貌の持ち主なのだが案外中身は子供っぽいのかもしれない。
「あぁ! もうっ! 単刀直入に言うわ。あなたの普段の生活態度を改めてほしくて私は呼んだの」
「それって……今じゃないとダメか? そして教室まで戻った意味はあるのか?」
「たまたま教室に誰もいなかったからここにしただけ。それに佐波黒くん、あなたは明日から……いいえ、今すぐにでも自分を見直しなさい」
面目の侵害であり心外だな。眉根を寄せてしまう。
いったい俺のどこに問題があると言うのか。でたらめや言いがかりは侮辱として受け取らせてもらうことにしよう。
俺は彼女の言い分に耳を傾けるため、少し帰りを遅らせることにした。
「まず授業態度について。佐波黒くん、あなたを見ると大体の授業を寝て過ごしているように見受けられるのだけれど」
「眠いからしょうがない」
「授業中よ!? 先生方が苦労して練ってくれた授業を聞かずに寝るなんてどういうつもり!?」
「いや……苦労してって……。そもそも俺はテストでそれなりの点数を取ることができるから授業を聞く必要がない」
自信満々に言うと彼女は疑いの眼差しを向ける。
「参考までに聞くけど……今までの高校のテストで、点数が一番高かったのは?」
「数学で九十七点」
淡々と言ったこの点数、実は一番初めのテストのものであり、平均点は確か七十点台だった激ヌルテストのものでもある。加えて最新の情報では五十点台まで下がっている模様。
しかしそんな旨を伝えていないので、どうやら彼女は俺の聡明さに恐れをなしたらしい。口がわなわなと開き始めて手が震えている。
そして一度瞑目した彼女は自身を落ち着かせた。再びその切れ長の目を開いたときには平静が戻っていて、咳払いをしてから話は続けられる。
「得意教科を言わせてしまったのが悪いんだわ……。苦手なものから逃げずに努力する力が重要だもの。……一番低かったのは?」
「現代文の二十八点」
「ふれ幅が凄い……」
彼女は額に手を当ててため息を吐いた。
「現代文は運ゲーだ。異論は認めない」
「そうやって苦手な教科から逃げてしまうのは良くないわ」
「違う、逃げているんじゃなくて諦めているんだ」
「同じようなものよ!」
俺なりに勉強はしたつもりだ。だが語彙力を増やそうが、本を読もうが一向に点数が上がる気配がなかった。
やってもできないものをがむしゃらに頑張ったって時間の無駄だ。とっとと諦めてしまった方が効率が良い。そう、俺は無駄を省いているだけであって逃げているわけではない。
「大体、筆者や登場人物の心情を読むとか、そんな無理難題を解かせようとするのが悪い」
「無理でも難題でもないわ。正解ならちゃんと本文に書いてあるでしょう」
確かに問題文には本文から何文字で抜き出せとか、本文中の語句を用いて説明しろだとか命令されるが……
「じゃあお前は、卒業アルバムの寄せ書きページに書かれた『また会おうな! 俺たちはずっと友達だ!』っていう言葉の通りに、再び会う機会があったのか?」
「なに? その質問には意味があるの?」
「あるから言ってんだ。いいから答えろ」
回答を促すと、彼女は顎に手を当てて何やら考え始めた。
「私たち、小学校ですら卒業してから四年余りしか経っていないじゃない。まだ再会していなくても不自然なことはないでしょ」
まぁ彼女の言うことは間違いじゃない。俺たちの年齢では同窓会を開くには若すぎるし、別れてからそれほど長く年月は過ぎていない。
けど、俺が言いたいのはそういうことではなくて……
「お前には分かるか? 俺の知らない間にグループチャットの存在が無くなったときの虚無感。個人でメール送ったとしても、読んですらもらえなかったあの喪失感」
いま考えてみれば、それぞれ別々の中学校に進学して各々その場で新しい出会いをしたはずだから、過去の友達なんて疎かになってしまうのは当然なんだ。
「…………」
彼女はどこか憐れむような、心苦しそうな目で俺を見ては逸らし……見ては逸らし……を続けていた。
「つまりだ、人間平気で嘘をつくんだから文章をそのまま読み取ったって真実かどうか分からないだろ」
そう結論を述べると、彼女は考えながらおもむろに口を開く。
「……でも、嘘か真かの検討よりも先に、現代文で問われるのは文章を正確に読み取る能力であって、そもそもまともに文すら読めないのであれば、佐波黒くんの言う嘘の判断を下すことができないわね」
「十人十色って言葉知らねえのかよ。人間、同じ経験してる奴なんていないからそれぞれ価値観が違う。だから同じ言葉でも解釈の仕方は人の数だけある。それを一つの正解に絞るとか、それはもう洗脳と変わらないだろ」
言い終え彼女を見てみると何か言いたげな目をしていたが反論が出てこないようだ。悔しそうに握りこぶしを両手に作っている。
「グループワークの際――」
話変えて逃げたな、コイツ。
「――あなたは誰とも話さないじゃない。あれはどういうつもり?」
「どういうつもりもなにも、俺は聞き手に回っているだけだ。何もおかしくはないだろ」
「でも自分の意見を発さないのは良くないわ」
なんで席離れているのにそこまで知ってんだよ。俺、監視されてんの? だとしたらコイツも話し合いに参加できてるのか気になるな。
「あぁ発さない。だって、どうせ俺の意見は棄却されるからな」
「自分の意見が通る通らないじゃなくて、円滑な意見交換ができるようにしなければならないの」
「――進行面に関して、俺たちの班はなんの問題もない。なぜなら俺がいなくても成り立っているからな」
俺が話し合いに参加しなくても、ちゃんと意見は出るしそれをまとめてくれる。俺は何もしなくてもいいのだ。
むしろ、何か手を出してしまえばそれまでうまくいっていたことが瓦解してしまう可能性がある。
俺はそのリスクを考慮した上であえて関わらないだけだ、決して怠けているわけではなく、あえて参加しないだけだ。
またもや言い返せないのか、汐見は歯ぎしりして俺のことを睨んでいた。そしてまた話を変えてくる。
「それに……毎日遅刻ギリギリで登校してきて……。良い生活習慣が身についていないんじゃない?」
「いや遅刻してないからいいだろ」
「チャイムと同時に教室へ入るほど遅刻寸前だったら、いつか本当に遅刻になってしまうわよ!」
「大丈夫だ、遅刻するぐらいだったらその日は学校を休む」
「もっとダメ!」
彼女は肩を大きく上下に動かしている。どうやらかなり疲弊しているらしい。
俺も疲れてきたしそろそろ帰るかと足を動かす直前、彼女はまだ続ける。
「あと……」
「まだあんのかよ……」
もういい加減帰らせてくれ。視線でそう訴えるものの未だ帰してくれなさそうだった。
頭をガシガシと掻いている間に彼女は息を整えていたため、次に聞こえた声は凛々しいものだった。
「あなたの……その目つき」
「は?」
「普段からそうやって、覇気の無いやる気の無い目付きをして……なによその腹立たしい目は」
ついに容姿にまでいちゃもんをつけられてしまった。この女、言いたい放題言いやがって……。
俺は怒りを深呼吸で収め冷静になった後、彼女がよく聞こえるようにゆっくりはっきりと言った。
「生まれつきだ」
彼女はもう呆れたという表情をしていた。
「……とにかく、私の言ったこと、今からでも態度を改めなさい。このままだと、社会に出たとき苦労するわよ」
「お前社会に出たことないだろ」
「ほんっとに……」
彼女は再び握りこぶしを作ったが今回はすぐに力を抜いていた。
「あの……もう帰っていいか?」
「いいわよ……私ももう疲れたから……」
ようやく帰宅の許可が下りた。鞄を背負い直しながら速攻教室を出て下駄箱へ一直線。
「――あっ! 佐波黒くん! さようなら!」
何か後ろから声がした気がするが、俺はお構いなしに帰路につく。
そして翌日、俺は八時に目が覚めたため体調不良で休んだ。
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