第4話

 汐見と別れた俺たちは手を繋いだまま家まで帰る。とんでもないことになってしまった。まさかこれから恋人の振りをしなきゃならないとは。

 家に帰ると、リビングに集合した俺たちは、親父が来てからのことについて相談する。


「ていうか、恋人のふりなんて本当にできるのか。俺たちまだ知り合って数日ぐらいの関係だぞ」

「あら。一緒の布団で寝た仲じゃない」

「ばっか、それはお前が勝手に潜り込んできたからだろうが」

「裸に近い姿も見られているわ」


 すまし顔でそう言う氷岬。もう少し恥じらいというものを持ったほうが可愛げがあるのにな。俺は茶を啜りながら、氷岬に告げる。


「まあ男に二言はねえ。ここまで来たら恋人の振りでもなんでもやってやるよ」

「そういう男らしいところ好きだわ」


 好きという言葉にドキリとしてしまう。褒められ慣れていないのが丸わかりじゃないか。


「な、馴れ初めとかはどうする?」

「そうね。私が高校で同じクラスになって、あなたの実直な性格に惹かれて告白したってことにしましょう」

「なんでそんなに具体的なんだよ」

「あら、設定を凝るのは重要よ。それとまだ付き合って一年未満ということにしておきましょう」

「そうだな。あまり付き合ってる期間が長いとそういう空気感が滲み出るかもだし、そっから距離感も図りづらい」

「そういうこと」


 それから氷岬との作戦会議は滞りなく進み、すっかり日は落ちた。それから幾分かして、親父が家に帰ってきた。


「ただいまー」

「お、おかえり親父。今日はちょっと話があって」


 早速話を持っていく。最後に親父と会ったのは二ヵ月前ぐらいか。どうせ今日は帰宅したがまたすぐに家を長期間開けるのだろう。だから結論は今日出してもらわなければならない。


「どうした、そんなに急いで」

「実は親父に紹介したい人がいてよ。それでちょっと話を聞いてほしいんだ」


 俺はそう言って氷岬の手を引いて親父に引き合わせる。


「どうも。氷岬雪姫です。初めまして、お父さん」

「おー、誰だこのべっぴんさんは。拓海の彼女か?」


 にやけ顔でそう言ってくる親父に向かって、俺は不本意ながら頷いた。


「え? マジで?」

「マジだよ」


 親父は目を点にして驚き、しばらくその場で固まった。そしてようやく動き出したかと思うと、目に涙を溜めて喜びをあらわにした。


「そうか、そうか。拓海にも彼女ができたか。今まで全く女の子の影がなかったから心配してたんだ。こいつは男が好きなんじゃねえかって」


 なんでだよ。それは別として心配をかけていたんだな。そういう意味じゃこういう嘘もちょっと心苦しい。


「それもこんなべっぴんさん、勝ち組だなお前」

「そうか?」

「なんだ照れてるのか」


 しまった。恋人ならそんなつれない反応はしないか。俺は頬を掻きながら今の言葉を訂正する。


「あー、氷岬は可愛いよ。クラスでも1番の美少女だと思う」

「ありがと。そうやって言葉で伝えてくれるところが好きよ」

「…………」


 反応に困るな。実際恋人の振りなんてしてみればよくわかるが、緊張で頭がどうにかなりそうだ。氷岬は全く自分のペースを乱していないところが流石といったところか。


「それで、話ってなんだ。こんな時間まで雪姫ちゃんがいることと関係があるのか」


 流石は親父。あっさりとこちらの事情を察してしまった。俺は親父に事の経緯を説明し、氷岬を家に置くことの許可を求めた。


「なるほどなー。ご両親が夜逃げをね。それは大変だったな」


 親父は大きな手のひらで氷岬の頭を撫でた。


「これからは何も心配しなくていいぞ、そういうことなら家で居候してくれればいいさ」


 あっさりと同居を認めてくれた。


「ありがとうございます。置いてもらう分、家事は私が頑張りますので」


 氷岬は頭を下げてお礼を述べた。


「あーいいよ、気にしなくて。どうせ俺はほとんど家に帰ってこないし、拓海との新婚生活みたいな感じで楽しんでくれたら」

「誰が新婚生活だ!」

「みたいなもんだろ。彼女と同居して毎日飯作ってもらうんだぜ。これを新婚生活と呼ばずして何と呼ぶ」


 確かに反論しづらいが。それでも氷岬がリアルな彼女じゃない以上、それを認めるわけにはいかない。それにそういった新婚プレイは汐見としたいのだ。エプロン姿の汐見を後ろから抱きしめちゃったりなんかして……くーっ、たまらん!

 俺が頭の中でそんな妄想を繰り広げている間に、氷岬は親父に相談を持ち掛けていた。


「お父さん、もう1つお話があるんですけどいいですか」

「おー、なんだ。この際だからなんでも相談していいぞ」

「ではお言葉に甘えて。実は私たち、将来結婚を考えていまして。もし私が拓海さんのお嫁さんになるとしたら認めてくださいますか」

「はああああああああああああああああああああああああっ⁉」


 いきなり何言ってんの。結婚⁉ 振りだよね。これってただの恋人の振りだよね。そこまでする⁉


「なんだ拓海大声上げて。彼女にこんなこと言ってもらえるなんてお前は幸せ者だな」


 下手に否定したりしたら恋人の振りだってバレちまうし、俺はただ呆然とこの状況を受け入れるしかない。


「ごほん、結婚の話だが。家は放任主義だ。お互いがいい相手だと思ったなら俺から言うことは何もない。ただ高校は出ておきなさい。だから子どもができるようなことはしちゃいけないよ」


 子どもができるようなこと。童貞の俺には刺激が強い話題だった。氷岬の乱れる様子を反射的に妄想してしまう。先日、裸に近い格好を見てしまったこともあり、その肢体がやけにリアルに脳内に再生された。

 頭を振り、卑猥な映像を振り払う。汐見じゃなくて氷岬で妄想してしまったのが、なんだか裏切ったような気持ちになった。


「そうですか、それは良かった。拓海さんとは仲良くやっていきますね」


 俺は見た。氷岬が不敵に笑うのを。

 俺は先日の氷岬の言葉を思い出す。


 ――いっそのこと結婚しちゃいましょうか、私たち。そしたらこうして同棲してるのもなんの問題もなくなるわ。

 ――本気で目指してみようかしら。藤本くんの奥さんっていう立場。


 あの言葉の数々が冗談に聞こえなくなってきた。氷岬は本気で俺と結婚するつもりなのか。だとしたらどうして。俺のことを好きだなんてこともないだろうに。


 話が終わり、親父が風呂に行っている間に、俺は氷岬に真意を問う。


「おい、どういうつもりだ。いきなりけ、け、結婚とか言い出すなんて」

「あら、そのままの意味よ。私はあなたのお嫁さんを目指すことにしたの」

「振りじゃなかったのかよ」

「振りよりも本当にしてしまったほうが確実でしょ」


 淡々と答える氷岬が何を考えているのかわからない。俺は思い切って聞いてみることにした。


「ていうか何、お前、俺のことす、好きなのか」


 好意の確認。もしも氷岬が俺に好意を抱いていると言うなら、それはありがたく受け取ったうえで丁重にお断りするつもりだ。別に告白を断ったからといって、この家での居候を認めないってわけじゃない。それとこれとは話が別だ。この家を追い出されたら氷岬はいよいよ行先がなくなってしまうわけだし、両親に裏切られて傷ついているであろう少女にそんな仕打ちはしない。

 だが、好意を持たれているというなら、俺には想い人がいるからその好意には答えてやれない。


「ど、どうなんだよ?」


 こんな無理矢理相手の好意を引きずり出すみたいなやり方が良くないのはわかっている。だが、どうしてもそこだけははっきりさせておきたい。これは俺のわがままだ。

 氷岬は口許に手を添えると、薄く微笑んで俺を見る。俺はこの時の氷岬の瞳を恐らく忘れることができないだろう。

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