第26話 風の噂

 俺のサークル歓迎会参加事件(?)の釈明は無事に終わり、その翌日。


 今日も今日とて三人仲良くキャンパスへ足を進める。あれだけ胸を躍らせていたキャンパスライフだが、二日目にして既に足取りが重い。結局、学校というものは億劫な存在なのかもしれない。


「一限でも、高校と比べれば遅い時間なんだけどな。どうしてこんなに面倒に思えるんだろうか」

「人間、その環境に順応する生き物だからね。私たちの基準は、次第に大学という環境に適合されていくのさ」

「この新鮮味も、いずれ当たり前になるんだろうね〜」

「そして気がついたら四年が過ぎてるんだろうな……」

「わぁ、怖いなあ。それなら、充実した日々を送りたいよね! 卒業するときに後悔しないように!」


 俺と二神は、奈遊のその言葉に頷いて肯定する。


 大学期間は人生の夏休みと言われていたり、最後のエンジョイ期間と言われていたりする。


 そう、このモラトリアム期間をどう過ごすかは俺たち次第なのである。


「充実した日々といえば、恋愛だよね! あぁ、キャッキャウフフ溢れる素敵なキャンパスライフを送りたい!」

「奈遊さんのその言い方だと少しアホっぽいけど、確かに恋愛は日々を充実させるファクターになり得るよね」

「ファクターって何?」

「要素って意味だよ。奈遊さん、京西大生ならこれくらい知ってて当然だと思うんだけど」

「あ、あはは。受験を終えたら、詰め込んだ知識が頭の中から落っこちちゃったみたい」


 奈遊が京西大学に合格できたのは、もう一人の奈遊が頑張ったからだからな。奈遊の頭脳に期待してはいけない。しかし、大学受験をある程度頑張って取り組んでいたのなら、それくらいは知っていて欲しかった。本当にアホの子かもしれない。


 しかし、充実した日々を送るか。俺の場合、そのためには、この体質の改善が全てを握っていると言っても過言ではないかもしれない。


 一人で出来ることも少なくないが、他者と関わることでその楽しさは何倍にも膨れ上がる。人間は社会的動物であるとはよく言ったもので、やはり他者との交流は重要なのだ。


 そして、この世のほとんどの人間が女性である。そうなると、やはりこの体質がネックなのだ。


 奈遊は恋愛が重要だと言ったが、奈遊のそれを叶えるためにも、奈遊の想いに応えるためにも、俺は頑張るしかなさそうだ。


 そんな会話をしている内に、俺たちはキャンパスに着いていた。上級生は一限からの授業は少ないようで、この時間に登校している学生の姿はまばらだった。


 だから、俺たちの姿を確認して、こちらに近づいてくる学生の姿はひどく目立った。俺たちに用があるんだなと瞬時に理解できたのだ。


 それは勘違いではなく、その学生——少女は俺たちの……いや、俺の前で立ち止まり、赤くなった顔で言い放った。


「神田さん! わたしとも付き合ってください!」

「へ?」

「え?」

「は?」


 彼女が言い放った言葉に、俺たちは面食らい、3人揃って間抜けな声が漏れた。


 彼女は今なんて言った? 付き合ってください? ……俺が男だとバレたのか!?


「き、君。突然何を言い出すんだい。神田くんは女の子で、君も女の子だよ? 告白の相手を間違えているんじゃないのかい?」


 俺が困惑している間に、二神が代わりに聞きたいことを聞いてくれた。


 すると目の前の少女は、かぶりを振って強く否定する。


「神田さんが女の子なのは分かっています。そして、神田さんが女の子を恋愛対象にしているのも知っています! なんなら彼女がいるのも知っています!」

「え?」

「は?」


 先ほどと同じ声を漏らす奈遊と二神。しかし、先ほどは違い、奈遊は悲しげな、二神は怒気を孕んだ声だった。


 彼女がいる……そういえば、この少女は先ほど「わたしと付き合って」って言ってたな。


 そして、俺にはその彼女の存在というものに心当たりがあった。だって、昨日の今日だから。——俺の彼女というのは天使だ。昨日の歓迎会で助けに来てくれた時に言った嘘が、どうやらこの人にも伝わっているらしい。


 しかし、噂って広まるのは一瞬なんだな。それも、大学みたいなオープンな場所で。話題が話題だからだろうか。


 そんな感心をしていると、両隣から圧を感じてきた。この嘘について、昨日話していなかったため、二人にも説明が必要だった。


 今から問い詰めらるんだろうなあと腹を括っていると、告白をしてくれた学生がおずおずと聞いてきた。


「あの、お二人も神田さんの彼女なんですか?」


 その問いを受け、二人はバッと彼女の方を振り向いて、勢いよく回答する。


「そうなの! 私もハルの彼女なんだ! でも、これ以上はハルも手一杯だからさ、代わりに私が断るね。ごめんね」

「ふふ、そうとも。私も神田くんのか、彼女だよ。そして奈遊さんの言う通り、彼女枠はすでに埋まっていてね。悪いけど、ここは退いてもらうと助かるよ」

「そ、そうなんですか!? 神田さん……」


 彼女は縋るような目で見つけてくるが、俺はこの状況についていけないながらも、二人が作った流れに乗ることにした。


「そ、そういうことなんだ。ごめんね。それに、初対面のあなたと急にお付き合いするっていうのも……」

「じ、じゃあ友達からお願いします! ……それに、彼女枠、いつまでも埋まっているとは決まっていないので」


 俺の失言により、彼女の目は息を吹き返してしまったようだ。隣から「ばかハル!」「余計なことを」とブーイングが飛んでくる。


 結局、彼女とは連絡先を交換し、この後に授業もあるため、この場は解散となった。嬉しそうに俺の連絡先が追加されたスマフォを抱きしめながら去っていく彼女の姿を見送りながら、この世界の女性は強かだなあと思いを馳せていると、両隣から強い口調で声をかけられる。


「それじゃあ、ハル」

「詳しい話を聞かせてもらおうじゃないか」

「ふ、二人とも。もう授業の開始時間が迫ってるよ。急いで講義室へ行かないと——」

「「今はそれどころじゃない!」」


 どうやら二人は授業をすっぽかしてでも、この件について俺を問い詰めたいみたいだ。俺が説明したところで、平穏に治めることができるだろうか……そう考えていると、一筋の救いの光が差し込んできた。


「やっほー、遥ー。なんかあたしたちの噂が結構広まってるみたい……あれ? もしかして、その件で、もう何かあった感じ?」


 天使羽衣だ。どうやら彼女も一限の講義に出席するために登校してきたところ、俺を見かけて話しかけてきたようだ。


 俺は羽衣の問いかけに、激しく首肯する。すると、彼女は頭を掻きながら「あちゃ〜」と声を漏らす。


「ねえ、ハル。誰このひと? なんでハルのこと遥って呼んでるの?」

「さっき、『あたしたちの噂』って言ってたけど、もしかして君が例の彼女かい?」


 二神の問いに、羽衣は一瞬悩んだ素振りを見せた後、ニヤッと笑って口を開いた。


「そうでーす! あたしが遥の彼女——ひいっ!?」


 二人を揶揄おうと思ったのか、羽衣は元気よく肯定しようとしたのだが、二人の威圧感によって途中で言葉が途切れてしまった。


「ご、ごめんって! 本当なんだけど、本当じゃないの! ちょっ、その威圧感止めてよ! 噂の件について、後で全て説明するから、一旦授業行こうよ! ね?」

「ギャルに授業行こうって促されるのなかなかレアな場面だな」

「遥は他人事すぎでしょ!」

「ねえ、どうしてハルのこと遥って呼んでるの?」

「うわ、この子のめっちゃ据わってるんだけど。それも含めて全部話すから、お昼にまた集まろーよ! 集合場所は後で遥にメッセ送るからさ」

「へえ、すでに神田くんと連絡先交換してるんだね」

「……あたし、墓穴掘った感じ? うげうげぇ」


 明るい髪色に反して、彼女の表情がどんどん暗くなっていくのを、俺は遠い目で眺めているのであった。

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