第19話 姿の違い

 昨日、入学式の会場で奈遊と二神に体を触られた際は僅かながら体が強張る程度だったのだが、今日、俺の腕と奈遊の腕が触れ合っただけで、俺の体は硬直してしまった。


「どうして……? 昨日は大丈夫だったよね?」

「わからない、けど……この感じ、治ってはなかったみたいだな」

「嘘でしょ……も、もしかして、昨日の今日で私、ハルに嫌われちゃった……?」

「そ、そんなはずないだろ! 奈遊のことを嫌うわけないじゃないか」


 奈遊が今にも泣きそうな表情をするので、すぐさま俺が奈遊のことを嫌っているなんてことを否定する。すると、奈遊の表情は一転として、両手を広げて近づいてくる。


「ハル!」

「待て待て! 今は触られたらダメなんだって!」

「あ、そうだった。ごめんね」


 奈遊は軽く謝り、てへっと舌を出す。もしかして、わざとやってるのではないだろうか。


「それにしても、どうしてダメになったんだろうな。昨日と何かが違うとか?」

「昨日と違うところ……あっ! 女装! 女装だよ! 今日のハルは男の格好のままだよ!」

「あれはあくまで俺が男だとバレないようにしているだけであって、関係ないんじゃ……」

「でも、一番の違いってそれじゃん? 早速着替えてきてよ! ね?」


 奈遊の少々強引な誘導に従い、俺は自室に戻って女装の準備をする。


 女装するのが面倒だから家の中でぐうたらしていたのに、結局女装する羽目になるとは。


 ウィッグを被り、適当に化粧をする。化粧も意外と慣れれば短時間で行えるようになってきた。それでも女装しない時より面倒だが。


 シルエットが隠すためにダボついた大きめのパーカー、下はスキニータイプのパンツ。男でも違和感ない服装だが、髪型や化粧によって印象は大きく変わってくる。


 こうして女装が完成した俺は、奈遊のいるリビングへ戻ってきた。俺の姿を見て、奈遊は「こっちもこっちでかっこいいなぁ」と感想を漏らす。俺の胸中は複雑だ。


「ハルのこと知らなかったら、本当に女の人にしか見えないね」

「自称女装専門から色々アドバイス貰ったからなぁ。自分に女装のセンスがあると言われて、喜んでいいのかわからん」

「まあまあ、おかげで平和な大学生活送れるかもなんだしさ! 昨日も全然バレてなかったみたいだし!」

「……複雑だなぁ」


 男だとバレてはいけないから、化粧までして完璧に女装をしている。しかし、自分のことを完全に女だと思われるのもなんだか癪だ。いっそのことバレて欲しい、けどバレたら面倒くさいという矛盾した感情を持ち合わせているのが、この僕っ子ハルちゃんなのだ。


 そんなことは置いといて、今こうして女装した本来の目的を達成しなくては。


「じゃあ、奈遊。触ってみてくれ」

「うん、わかった。——えいっ」


 可愛らしい掛け声と共に、奈遊は俺の手を握ってきた。瞬間、少し体が強張ったが、昨日の時のように体は自由に動く。


「……平気みたいだ」

「じゃあ、本当に女装が理由だったんだねぇ。なーんだ、私と二神さんだから大丈夫ってわけじゃないんだ」


 残念がっている奈遊は置いといて、俺はスマフォを取り出し、ある人に今起きていることについてのメッセージを送る。


「ハルー? 誰に連絡してるのー? もしかして、二神さん?」

「あー、二神にも報告しとくべきかな。今送ってるのは自称女装専門家、もとい知り合いの医者だよ」

「二神さんの義理のお兄さんだよね?」

「そうそう。素人の俺たちがああだこうだ考えるより、こういうのは専門家に聞いたほうが早いだろ」

「なるほど! 何かわかるといいね」


 正直、緒形さんが分からないのであれば一旦お手上げだ。どうかこの現象について知っておいて欲しいと願っていると、意外にも早く返事が届いた。あの人、もしかして暇なのか? と少し失礼なことを考えてしまう。


「もうお返事きたの? なんて言ってる?」

「えっと……こういった現象は、変装している人によく見られるらしい。変装することでその体を自分ではないと錯覚することで、マインドが変化する……とか。具体的なことはまだ解明していないみたいだけど」

「うーん、なるほど……ちょっとよく分からないね」

「俺はさ、この体はもう一人の俺のもので、あいつの心とリンクしているんだと思ってたんだ。俺は平気だと思っていても、体が震えることがあるからさ。でも、この緒形さんの言う通りだとしたら、俺の心とリンクしてるよな」


 俺の考えを口にすると、奈遊は「私はそうは思ってなかったなぁ」と意見をぶつけてきて、言葉を続ける。


「元の世界でもう一人のハルと接していて分かったけど、彼の体は彼自身のものだったよ。女子が近づくと極度に震えてたし。でも卒業式前くらいには改善されてたかな。それって、彼の心が段々強くなったからだと思うんだよね。つまり、彼の心とその体はリンクしていたってこと!」


 なるほど。これはもう一人の俺の経過をしっかり見ていないと分からないことだ。奈遊の貴重な意見を踏まえ、改めて考えてみると……


「つまり、俺は自覚はしていないが、心のどこかで女子に怯えてるってことか?」

「そう……なっちゃうね、残念だけど。あはは」


 奈遊は悲しい顔を浮かべ、乾いた笑いを漏らす。そんな顔はあまり見たくなかった。彼女をそんな表情にさせたのは自分だと思うと、自分が嫌いになってくる。


「自分を嫌いになったらダメだよ、ハル」


 俺の心を読んだのかと驚くぐらい、奈遊は俺に温かい言葉を送ってくる。その目は先ほどと違い、真っ直ぐで綺麗だ。


「私はハルのこと好き。大好きだよ。だから、私の好きな人のこと、好きな人自身も好きになって欲しいって思う。それに、私も自分の中に闇が存在するってもう一人の私の話を聞いて知ったけど、こうして今も前を向けている。自分のことを好きになるって、大事なことだよ。だから、ね?」

「……あぁ、そうだな。ありがとう、奈遊」


 お礼を言うと、奈遊は目を細めて笑みを返してくれた。


 向こうの世界に行った俺は強くなったらしい。今目の前にいる奈遊も強くなった気がする。昔から優しい子だったが、こんなに心を支えてくれる言葉をくれる子ではなかったと思う。


 俺も強くならないといけないな。いつか男の格好のままこの世界を闊歩できるように。皆に守ってもらってばっかじゃダメだ。


「ねえねえ、折角着替えたんだし、外に遊びに行こうよ!」

「……そうだな。その前に、履修登録の話をしないとだけど」

「うっ……まだ覚えてたんだね」

「授業始まる前に登録しないといけないんだから、早めにやるぞ」

「はーい。でも、その後に絶対に遊びに行くよ! 約束ね!」




 * * * * *




 俺と奈遊は同じ工学部の学科なのだが、まあ履修登録に自由はなかった。必修科目で時間割を埋めていくと、気づけば今学期の履修登録が完成していた。外国語科目や人文系科目などの選択科目を、いくつか二人で相談して決めたくらいだ。


 そのため、履修登録が案外早く終わった俺たちは、軽く化粧直しをして、約束通り早速外に出ることにした。この結果に奈遊はご機嫌だ。


「えへへ、約束が果たされるの早かったね!」

「もっと悩むかと思ったけどなあ。便覧を見た感じ、上級生にならないと自由はあんまりないみたいだ」

「必修科目って落としたら留年なのかな? ハル、お願いね?」

「何言ってるんだ。奈遊も頑張るんだよ」

「うぅ……ハルと同じ大学に通えるから入学に踏ん切れたけど、やっぱり私の頭じゃ不安だよぉ」


 到着したエレベータに乗り込みながら、奈遊は不安を吐露し続ける。俺もできる限りはサポートしようと思うが、結局試験は自分の実力だからなぁ。奈遊にも頑張ってもらうしかない。


「試験前は一緒に勉強しような」

「えっ、する! 絶対にする! えへへ、ハルと一緒に勉強とか初めてだなぁ」

「え……あ、そうか。あいつはもう一人の奈遊か」

「むっ……私に先を越されていたとは。妬むぞもう一人の私!」

「事情を知らない人が聞いたら痛い子だな」


 そんな会話をしていると、エレベーターがエントランスの階に到着した。エレベーターの扉が開かれると、目の前にエレベータ待ちの人が現れた。


「あれ?」

「ん?」

「え?」


 エレベータ待ちの人と目が合い、俺たちは驚愕の声と共に固まる。その人、いや彼女は二神だった。俺たちが一緒にエレベーターで降りてきたことに驚愕し、目を丸くしている。


「き、君たち、も、もしかして、同棲、してるのかい?」


 そう問うてくる二神の声は、いつもの凜としたものからかけ離れていて、今にも泣き崩れそうなくらい震えていた。

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