第12話 卒業式
京西大学を志望することになったことは、一応二神に報告しておいた。君には難しいんじゃないかって言われると思ったが、「お互いに頑張ろう」とだけ返ってきた。なので俺も「おう!」とだけ返した。
冬季講習が終わってからは二神とは通話していない。俺ばかり質問することになるので、流石にこの時期に彼女ばかりに負担を強いるような真似はできない。
ひとまずネットに公表されている京西大学の過去問を見て、うへぇとなりながらも範囲を把握する。そして、俺は勉強机にかじりついた。
そして一夜を過ごして、今日を迎えた。今日から完全に自由登校であるため、学校に行く必要はない。それに奈遊がいない今、俺は自宅に篭るしかなかった。
急ぐ必要ないため、ゆっくりと朝を過ごしていると、インターホンが鳴った。出勤前の母さんが「はいはーい」と応答する。
『あの、奈遊です』
一瞬、俺と母さんの動きが止まった。母さんはこちらを振り向き、眉尻を下げて「断ろうか?」と口の形で伝えてくる。
俺は一瞬迷ったが、一つ深呼吸をして「会ってくるよ」と答えた。
奈遊にエントランスで待ってもらうよう母さんに言ってもらい、俺はサンダルを履いて部屋を出た。
会って何を話そうか。もしかしたら、奈遊は既に反省して気持ちを入れ替えているかもしれない。そしたら俺はどうするのが正解なんだろうか。
そんなことを考えていると、既にエレベーターは到着していて、乗り込むと一気に一階まで降りて行った。男性がいる階から出たエレベーターは途中で止まらない仕様のため、意外と一階に着くまで早い。
エントランスに向かうと、制服姿の奈遊が立っていた。俺の顔を見るとパッと笑顔を咲かせたが、俺の格好を見て首を傾げた。
「あれ? ハル、制服じゃないじゃん。それじゃ学校に行けないよ?」
「今日から自由登校だから、俺は行かないよ」
「えー!? なんで? 一緒に行こうよー」
「一緒? 誰と?」
「もー、ハルのいじわる! 私とに決まってるじゃん!」
頬を膨らませて怒る奈遊。それを見て、俺の中で何かが折れた音がした。
彼女はいつも通りだった。昨日のことなんて何もなかったかのように振る舞っている。それは反省とは程遠い行為。結局、彼女は自分のしていたことを理解できていなかった。俺が言ったことを理解していなかった。俺は彼女のために何もできないのだと悟る。
「学校には行かないよ。いや、どこにも行かない。家で勉強するから。それじゃ」
「待って!」
「っ!」
帰ろうと背を向けた瞬間、奈遊に腕を掴まれてしまった。体が硬直してしまう。
「ねえ、お願い。一緒にいてよハル。私、何でもするからさ。お願い。私から離れるのだけはやめてよ。ずっと一緒にいるから。もうハルを傷付けるような奴から目を離さないから。だから、ね?」
媚びるような台詞を吐き続ける彼女は、自分が今していることがまさに俺を傷つけていることが分かっていないのだろうか。体は言うことを聞かず、返事をすることも腕を振り払って逃げ出すこともできない。
どうすれば、そう思ったその時、エントランスの扉が開いた。他の住居人が降りてきたのだ。突然、目の前でこんな修羅場を見せられてたまったもんじゃないなと相手に同情して振り向くと、そこに立っていたのは母さんだった。
「奈遊ちゃん。ハルちゃんを離して」
母さんは諭すように言っているが、どこか怒りを感じる。
「稀衣さん……」
「奈遊ちゃん。あなたは優しくて聡い子。そうでしょ?」
「…………」
数秒の沈黙の後に、奈遊はゆっくりと俺の腕から手を離した。だんだん体に自由が戻ってくるのを感じる。
「奈遊ちゃん……今は受験に集中しましょ。あなたたちはまだ若いんだから、それからでも遅くないわ」
「……はい。ご迷惑おかけしました。……ハルも、ごめんね」
「奈遊……」
落ち込んだ様子で帰っていく奈遊。その後ろ姿に声を掛けようとするが、何も言葉が出てこない。何を言うのが正解なのだろうか。許すことは言えないし、かと言って文句を言いたいわけでもない。……何をするべきか、何も見えてこない。
唇を噛み締めながら俯いていると、母さんが頭を撫でてきた。そして優しく微笑んで言う。
「今は二人とも時間が必要なんだよ。色々とね。だから、ハルちゃんも今日はもう帰ろ」
諭されるように言われた母さんの提案に、俺は頷くことしかできなかった。
* * * * *
時は流れ、暦は三月になった。
あれから奈遊とはラインを含めて会話をしていない。こちらから何か言うこともなければ、向こうからも来ないため、会話が発生していなかった。
二次試験はやり切ったとしか言い様がない。完全に落ちたとも思えないし、完答したわけでもないので、合格発表が出るまで胃を虐める日々を過ごしている。
滑り止めの私立は合格しているので、浪人の線は消えている点は一安心だ。これ以上母さんに負担をかけるのは、俺の心も保たない。
二神とは頻繁にではないが連絡を取り合っている。お互いに受験のことは触れず、たわいもない話をしていた。
母さんと一緒でないと外出もままならない俺にとって、これが唯一のストレス解消法と言っても過言ではなかった。その分、揶揄いがエスカレートしていたので、もしかしたら向こう側はストレスが溜まっていたかもしれない。いつかお礼を言わなければ。
本命の合格発表がまだだというのに、先に卒業式が執り行われた。俺は行くかどうか迷ったが、人生に一度のイベントなんだからと母さんに背中を押されて、結果的に出席した。
奈遊と会うのは少し気まずい。何を話せばいいだろうか。行く道中の車の中で何度もシミュレーションしたが、最適解は導き出せなかった。いや、候補となる解すら出てこなかった。
このまま俺たちの関係は自然消滅して、ただの他人になってしまうかもしれない。それだけは避けたいと願っているのだが、やっぱり言葉は見つからなくて。
結局、奈遊と話すことはできなかった。というより、会うことすらできなかった。奈遊は卒業式に来ていなかったのだ。
それに対して少しホッとする自分がいたことに驚いた。そんな自分に腹が立ったが、それが自分の本音なわけで。
おそらく、俺と奈遊はもう会うことはないのだろう。これは奈遊からの決別。そう捉えた俺は、ラインの奈遊のトークメッセージを開き、一文だけ送り、彼女のアカウントをブロックした。
ハルカ:卒業おめでとう
今までのお礼も言うべきだったかと思ったが、それだと文が長々となり、その間に踏ん切りがつかなくなりそうだったからやめた。
こうして、俺は幼馴染を失った。でも、彼女としては俺がこの世界に来た時点で失っていたのだろうか。俺は、本当の意味で彼女の幼馴染だったのだろうか。
ふと、本来こっちにいた俺は今どうなっているのだろうと気になった。死んでしまったのだろうか。それとも俺みたいに……
それは神のみぞ知ることだ。凡人の俺がいくら考えても仕方がない。
「ハルちゃん、ハルチャン! お母さんと一緒に写真撮ろ!」
今は母さんのほんわかした雰囲気が救いだ。『卒業式』と書かれた看板をバックに母さんと写真を撮っていると、クラスの女子たちがこちらにやって来た。
「か、神田くん。最後に私たちと写真を撮ってくれませんか!」
その中には例の暴行事件の女子たちもいた。こちらと目を合わせないように俯いているが、それでも一緒に写真を撮りたいのだろう。
「ハルちゃん、大丈夫?」
「うん。母さん、撮影してくれる?」
「任せて!」
俺は彼女らに近づきすぎないようにお願いし、端の方に並ぶ。気付けば隣に例の女子たちの一人が来ていたが、視線はずっと前を向いている。
「ごめんね。神田くん」
彼女はそれだけ言って、それ以降は喋らなかった。だから俺も「うん」とだけ返す。
「それじゃあ皆、撮るよー。ハイ、チーズ」
俺にとっては短い高校生活。それはこの世界の異常さを感じ取るには十分で、大切な人を失うにはあまりに短かい期間だった。
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