転移先である貞操逆転世界の自分は女性に対してトラウマ持ちでした

土車 甫

プロローグ

第1話 転移先はもう一人の自分

 今思い返しても、何気ない日常の中の一日だった。


 朝起きて学校に行き、退屈な授業をあくび混じりに受けて、休憩時間には男友達とたわいもない話をして、放課後は部活を引退しているため即帰宅。


 塾には通っていないが、大学受験を控えている高校三年生の冬。流石に危機感を覚えて、最近は家に帰ったらすぐに勉強に取り掛かっていた。


 しばらく参考書と睨めっこしていると、父さんが帰ってきて、それに合わせて出来上がった母さんのご飯を食べる。「受験間に合うのか」なんて父さんに聞かれて、答えを言い淀んだら「おいおい」と苦笑された。そんな会話をする俺たちを母さんは眺めながら、目を細める。


 寝る前に今日勉強した内容を復習し、早めにベッドに入る。睡眠こそ勉強に重要なのだと、最近身をもって知ったのだ。


 寝て起きたら、またいつもと変わらない、日常が待っている。何も疑わずに俺、高下たかしたはるかは目を瞑る。


 しかし、目が覚めると俺の体に異変が起きていた。


「っ……あっ……カハッ」


 首が焼けるように痛い。息がしづらい。声も出しにくい。


 不快感の原因箇所である首を触ると、太くて丈夫なローブがあった。ローブは輪っかが作られており、俺の首に通されている。


 朦朧とした意識が戻ってきて、自分の状況を確認する。ベッドで寝ていたはずが、俺は部屋の扉の前で蹲っていた。ローブの逆側の先端は、ドアの上部分から部屋の外へ繋がっているみたいだ。


 鮮明になってきた視界から入ってくる情報を整理して、俺は自分が置かれている状況を推測した。


 もしかして俺、自殺をはかろうとしたのか……?


 しかし、俺にはそんなことをする動機なんてない。そもそも、した覚えがない。どうして今、自分がこんな状況にあるのか理解できなかった。


 よく見ると、一見似ているようで、ここは俺の部屋じゃなかった。置かれている物はほとんど一緒だが、配置等が違う。窓の位置もおかしい。


「ただいまー。ハルちゃーん、遅くなってごめんねー」


 母さんの声が聞こえた。俺は返事をしようとしたが、声が掠れて声が出ない。


「あれー? 返事がないぞ。もしかして、もう寝てるのかなー?」


 母さんののんびりとした口調は、今の俺の状況にミスマッチだった。だけど、その声を聞いていると胸の辺りがじんわりと温かくなり、目頭も熱くなってきた。


「ふふふ、ハルちゃんの寝顔見ちゃうぞー……ん? 何この紐? あれ? ドアも途中までしか開かな——」


 俺の体が邪魔して途中まで開かれていないドアの隙間から、ロープを首にかけた俺の目と母さんの目がバッチリと合った。


「ハルちゃん! 開けて! お願い!」


 必死の形相でお願いしてくる母さんはスーツ姿だった。あれ? 母さんは専業主婦のはずじゃ……


 そんな疑問が生じたが、早くドアを開けないと母さんの心が今以上に乱れそうだったので、俺はゆっくりとドアの前から体を動かす。


 ドアが完全に開かれた瞬間、母さんに勢いよく抱きつかれた。母さんにハグされたのはいつぶりだろうか。


「ハルちゃん! どうして、どうしてこんなことをしたの!?」


 泣き顔の母さんから聞かれたそんな問いに俺は答えられない。だって、俺も知らないのだから。


 何も答えない俺を見て、憔悴しているのかと思ったのか、もう一度ぎゅっと力を込めて抱きしめられた後、離れた母さんは辺りを見渡した。


「あっ」


 何かに気づき、母さんは部屋の奥へと歩みを進める。勉強机の前で止まり、机の上に置かれていた何かを拾い上げた。


 拾い上げたものはノートみたいで、ペラペラと捲って中身を確認していく。次第に、母さんの表情は険しいものとなり、怒りが伝わってくる。


 バッとこちらに振り向いた母さんは、ノートを持ったまま俺のそばへ戻ってきて、再び抱きしめてきた。


「ごめんね、ごめんね、ハルちゃん。お母さん、気づいてあげられなくて、守ってあげられなくて、ごめんね」


 泣きながら謝ってくる母さんに、俺は返す言葉が思いつかず、代わりに抱きしめ返す。すると、抱きしめてくる力が更に強くなったのを感じた。




 * * * * *




 しばらく抱きしめ合った後、互いに落ち着いてきたあたりで、俺たちは部屋を出た。部屋を出てまず驚いたのが、ここは完全に俺が住んでいた家ではなかった。一軒家に住んでいたはずが、どうもマンションの一室みたいだ。


 改めて母さんの姿を見る。綺麗な黒髪ストレートを肩辺りまで伸ばし、紫色の瞳、平均より少し小さい身長、そして父さんがよく自慢していた胸。どれも俺が知っている母さんの特徴と一致する。


 部屋を出て、対面型キッチンの前にあるテーブル席に座ったのだが、椅子が二つしかない。あれ? うちは父さんを含めて三人家族のはずなのに。


 バッと壁にかけられているコルクボードに貼られている写真を見ると、俺と母さんのツーショットのものがほとんどで、父さんの姿がどこにも見当たらない。


 テーブルの上に置いたノートの前で俯いたまま動かない母さんと二人きり、少し空気が重たい。気まずさから、俺はテーブル上にあるテレビのリモコンを取る。


「ごめん、母さん。テレビつけていい?」

「うん、いいよ。ハルちゃんの好きなようにしていいんだよ」


 幸い、首の傷は大したものではなく、今ではいつも通りの声が出せるようになっていた。


 かなり気遣われているのを感じながら、俺はリモコンを操作してテレビの電源をつける。丁度ニュースをやっていたみたいで、女子アナが今日のニュース一覧を簡単に紹介している。


『本日のニュースハイライトです』

『利用者の声を聞き、鉄道会社は男性専用車両を導入することを決定したことを発表しました』

『渋谷で、一夫多妻制は反対であるというデモが行われました』

『皆良製薬株式会社の新社長に男性の方が就任されました』


 違和感のあるニュースばかりがずっと流れ続けた。まるで、世の中の男性は非常に少ないかのような前提で話されている。


 ここは俺の知っている世界ではないのかもしれない。そう思えてきた俺は、今自分が置かれている状況を把握するためにも、目の前にあるノートを読むべきだと考えた。


「母さん、そのノート読んでいいかな?」

「ハルちゃん? 大丈夫、なの?」

「うん。俺は大丈夫だよ」


 母さんの顔を鬼のような形相にさせたノート、これには一体何が書かれているのだろうか。ページを捲って途中から中身を見ると、その内容に俺の目は見開かれた。


『x月10日

 今日も登校中に痴漢された。奈遊なゆにこっそり助けを求めたが、結局降車するまで気づいてくれなかった。次からはもっと大きくアピールしよう』


『x月11日

 学校のトイレから出ようとしたら、見知らぬ女子生徒に入口を塞がれて迫られた。なんとか隙を突いて脱出することができたが、今度からはトイレはなるべく行かないようにするか、教員用を借りることにする』


『x月12日

 今日も体操服が無くなっていた。体育の授業の後、必ずといって無くなっている。放課後か翌日には戻っているので、困ってはいないが、やっぱり怖い』


『x月13日

 放課後、普段は使われていないが数学の授業が行われる空き教室に教科書を忘れていたのを思い出し、取りに行った。無事見つけることができて安堵していると、教室のドアの鍵が閉められた音がした。中にクラスメイトの女子が三人入ってきていて、ニヤニヤした顔で近づいてくる。二人に体を押さえつけられて、残りの一人に服を脱がされた。鼻息を荒くする三人が怖くなり、目を閉じて全てを諦めたその時、奈遊が助けに来てくれた。やっぱり奈遊は俺のヒーローだ』


『x月14日

 もう何も信じられない。この世の中が怖い。母さん、大好きだよ。ごめんね』


 ノートには日記のようなものが綴られていて、最後の日付は今日だった。そして内容的に、女子からの暴行に耐えられなくなって自殺を図ったことがわかる。


 結局、ドアの上部に挟んでおいたロープが、俺の体に耐えきれなくなってズレ落ち他ことで失敗に終わったみたいだ。


 それにしても、この日記からも分かる通り、やはりこの世界は俺が知っている世界ではなさそうだ。そういえば、学校の友人から聞いたことがある。貞操逆転世界と呼ばれるジャンルがあると。もしかして、ここがそうなのか?


「ハルちゃん。ハルちゃんを襲ったその子たちを処分したいから、名前教えてもらってもいい?」


 普段と違う、どこか恐怖を覚える口調で話す母さんに少しビックリした。


 ただ、俺はその女子生徒を知らない。それに、ここに書かれていることが事実なのかどうかも分からない。


「ごめん、分からない」

「……そっか。でも、奈遊ちゃんが知ってるみたいだから、お母さん、奈遊ちゃんに電話してみるね?」


 そう言って、母さんはスマフォを操作して電話をかけ始めた。


 奈遊……高瀬たかせ奈遊は俺の幼馴染の女の子だ。ここが別の世界だとして、元いた世界でも存在していた。俺はこっちにも奈遊がいることに安堵する。


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