日本昔話「よろづせなのノ卵」

ゴオルド

栄養をありがとう

「あのぉ、目地田めじたさん……ちょっといいですか……?」

 その陰鬱な声を聞いただけで目地田はうんざりした。振り返ると思ったとおり、ブサイクな同僚の女が立っていた。

 かぎ鼻で目は細く、口はいやに大きい。ただでさえ土台が悪いのに、その上に建てられた上物はもっと造りが悪い。その表情は陰気で卑屈っぽくて、愛想なんてまるでない。いまだって人を恨むような目でこっちを見ている。両手は腿のあたりでぶらぶらし、猫背で、両膝を軽く曲げた姿勢でつったっているのだが、その弛緩した立ち方にだらしなさを感じ、目地田は嫌悪感で身震いした。

「あー、スミマセン、ちょっと急いでるんで」

 女は不満そうに何か言いかけたが、聞く気はないので足早に立ち去った。あんな女、気味が悪い。あまりに醜いから殺してやりたいとさえ思うこともある。実のところ女は目地田にうり二つで、それが余計に憎悪を煽った。もしも自分が女だったらあんなにも醜いのだぞと見せつけられているようで。



「お、目地田めじたじゃん」

 休憩室を出て、自分のデスクへと向かっていたとき、一番会いたくない男と出会ってしまった。

 目地田が奥歯をかみしめて表情が顔に出ないようこらえているのもお構いなしに、上司である水元は一方的に話しかけてきた。

「どこにもいねえなあと思って探してたんだよ。もしかして休憩室に行ってたのか?」

「……はあ」

「おまえが休憩とか何の冗談だよ、休憩できるほど仕事してないだろ?」

「……」

 目地田はこの水元という男とは相性が悪いと感じていた。もっとはっきり言うとパワハラを受けていた。

「おまえみたいに何の成果も出さないで休憩だけはしっかりとるヤツ、何て言うか知ってる? 給料泥棒っていうんだけど」

 黙っていると、肩を小突かれた。

「なんか返事しろよ」

 何を言えと言うのだ。何を言っても気に入らないくせに。目地田は唇をかんで俯いた。


「水元、どうかしたか」

 たまたま通りがかったこの男は、この海洋商事の社長だ。50代過ぎの恰幅の良い男性で、みずから興した事業を切り盛りする責任とプライドを自分の精神の一部とし、嫌味なほど自信を漲らせた顔をしていた。

 慌ててかしこまって会釈した目地田とは対照的に、水元は親しげな笑みを浮かべた。

「俺ら、ちょっと雑談してただけっす」

「そうか……」

 社長はちらりと目地田を見たが、すぐに視線を逸らし、

「水元が仕事熱心なのはわかっているけど、あまりやり過ぎるなよ」と水元にだけ話しかけた。

「すんません、自分ってつい熱くなっちゃうんで」

「まあ、次期社長は熱すぎるぐらい熱いほうがいいけどな」

「ですよね!」

 二人は笑いながら、どこかへ行ってしまった。

「俺、お嬢さんを必ず幸せにするんで」

 そんな声が通路の向こうから響いてきた。社長は水元の肩をしっかりと掴んで、深く頷いたのが、遠目にもはっきり見えた。



 その日、水元は社長と食事にいくとかで、水元の仕事は全て目地田に回ってきた。

 誰もいないオフィスで一人、夜遅くまで残業しながら、目地田は心のうちで不満の炎をくすぶらせる。

 まったくもって理不尽だ。なぜ自分ばかり損な役回りなのか。

 その上、水元は近々社長のお嬢さんと結婚するという。自分みたいに真面目にこつこつ仕事を頑張っている人間は出世もせず、嫁も彼女も手に入らないで苦しんでいるというのに、他人に仕事を押しつけて、上役にだけいい顔をする人間が結婚できて、次期社長になるのだという。

 世の中でこんなに間違っていることがほかにあるだろうか。

 噂によると、娘はなかなかの美人であるらしい。財産を持っているのは言うまでもない。


 目地田は子供のころに聞いた昔話をふと思い出した。それは、ヘビが蛙をいじめていたら、「いじめをやめるなら娘を嫁にやるぞ」と農家の人間に言われて、ヘビはまんまと嫁を手に入れたというものだ。

 子供心になんて理不尽な話だろうと思った。不良が更生したら御褒美をもらえるのに、まじめに生きているカエルは何も得られないのだから。

――嫁をもらえるのはヘビではなくカエルであるべきではないか。


 むしゃくしゃしてコピー機を蹴っ飛ばした。

 鈍い音がして、液晶の表示がちらついた。



 その後、社内で一つの噂が流れた。水元が風俗通いをしているというのだ。噂を流したのは目地田である。だが、本人は何も悪びれない。なぜかというと、夜の繁華街を一人で歩く水元を見かけたのは事実だし、そんなところに一人でいるということは、性風俗に行ったのに間違いないからだ、自分のように。

 目地田は社長宛てに手紙を書いた。水元という男と結婚したらお嬢さんは不幸になる。不誠実な男だからDVもするに違いない。あんな男と結婚したらいつか娘さんは殺されてしまう。だから1日も早く別れさせないといけない。もし妊娠しているようなら中絶させなさいと長々と書き付けた。

 せっかく教えてやったのに、どういうわけか結婚の話は白紙にならなかった。

 目地田は地団駄を踏んで悔しがり、こうなったら令嬢に直談判してやろうと思った。



 ある平日の夕方、目地田は会社を抜け出して社長宅を訪問した。門扉を乗り越えると、庭に回り込み、リビングの窓から室内に侵入した。

 部屋でピアノを弾いていた令嬢は、目地田を見ると真っ青になって逃げ出そうとしたので、目地田はかっとなって娘を羽交い締めにした。

「や、やめて……助けて……」

「お嬢さん、あんた騙されてるんだよ、水元はろくな男じゃない。結婚はやめなさい」

「う……苦し……い、離し……て」

「もっと誠実な男を選びなさい。あなたの父親は人を見る目がないんだ」

「やめ……も……う……」

 気づけば令嬢はぐったりとしていた。彼女を床に横たえて、口元に手をやってみた。息をしていなかった。目地田はいつの間にか令嬢の首を絞めていたようだ。一瞬青ざめた目地田であったが、すぐに思い直した。

 この女は俺を見て逃げようとしたんだ。それで俺がどれだけ傷つくかなんてお構いなしに! 間違いなく心の汚い女だったわけだから、死んだって自業自得だろう。自分みたいな善良で誠実な男を選ばず、水元みたいな顔だけのクズを選ぶような愚かな女が死んだところで何の問題がある。

 そんなふうに考えると、少しだけ気持ちが落ち着いた。だが手の震えはおさまらなかった。

「あのぉ、目地田めじたさん……ちょっといいですか……?」

 このときほどギョッとしたことはなかった。殺人現場にほかの人間がいたとは!

 血走った目で声のしたほうを見ると、あの同僚、陰気でブサイクでどうしようもない女がなぜがピアノの影に隠れるようにして立っていた。

「おまえはたしか、鷲野っていったか、なんでこんなところに」

「……これって殺人ですよねぇ……」

 鷲野は陰気な目つきでギョロリと目地田を睨んだ。

「お嬢様にいったい何の恨みがあって……」

 恨みなんてなかった。たまたま衝動的に首を絞めてしまっただけなのだ。俺は悪くない、そう思ったとき、ああ、そうだ、と何かが降りてきたように急に意識が変わった。こいつは目撃者なのだから殺してしまわないといけないな。このままにしておいて通報されてはかなわない。手の震えがぴたりととまった。

 目地田は鷲野の首を絞め、殺害した。

 その後、屋敷内に夜まで潜み、帰宅した社長を同じように殺した。訪ねてきた水元も殺してやった。ぜんぶ殺してやったのだ。これですっきりした。一仕事やりおえた達成感でビールでも飲みたい気分だ。



 屋敷を出て、居酒屋によってひとり祝杯をあげると、目地田は酔い覚ましに散歩に出かけた。月明かりの下、あてもなく彷徨いていたら、海岸に出てしまった。せっかくなので砂浜におりて散策していたら、一人の女が波打ち際でぼんやりと海を眺めているのを見つけた。

 恐ろしいほど美しい女だった。まるでこの世の者とは思えないほどだ。

 その女の横顔を見ているだけで、じっとりと背中に汗をかき、呼吸が乱れるのを目地田は感じた。その白い顔にむしゃぶりつきたい。こういう女を褒美にもらえたら、どんなに幸せだろうか。

「お嬢さん」

 と目地田は声を掛けた。殺人をやり遂げたことによる興奮と、そこに酔いも手伝って、いつもより大胆になっていた。夜中に女がひとりで波打際に立っているのを奇妙に思うこともなかった。

「一緒に飲みにいきませんか」

「……はい」

 と、陰気な声で応えて、こちらを振り返った女の顔は、ひどく醜くかった。自分とうり二つ。

「お、おまえは鷲野!」

 二歩後ずさったところで、鷲野の髪がロープのように伸びたかと思うと、目地田の四肢に絡みついた。

「なんだこれは!? 離せ!」

 髪の毛を引きはがそうとしても、しっかりと肉に食い込んでしまって取れなかった。それどころか、どんどん肉に食い込んでいく。

 髪の毛はかすかに脈打っていた。びくん、びくんと脈打つたびに、細田の手足が細くなっていった。髪が血と肉を吸い上げているのだ。

「や、やめろ、なんだこれは、おい!」

「あのぉ、目地田めじたさん……ちょっといいですか……?」

「な、なんだ!?」

「あのぉ、目地田めじたさん……ちょっといいですか……?」

「だから何だよ、いや、それより離せ、足が、俺の腕が!」

「あのぉ、目地田めじたさん……ちょっといいですか……?」

 髪のロープがさらに伸びて、目地田の顔や胴体にも絡みつき始めた。

「あのぉ、目地田めじたさん……」


「全部いいですか……?」


 悲鳴は聞こえなかった。ただ岸壁に叩きつける波の音だけが静かに月の下で響いていた。

 栄養をたっぷりと蓄えた鷲野は、艶を増した長い髪にさらに力をこめ、干からびた男だったものをぎゅ、ぎゅと握り丸い玉にしてしまうと、海に向かって投げた。

 卵はゆっくりと海底に沈み、魚や小エビたちのご馳走となった。

 鷲野は美しい顔に何の表情も浮かべることなく、ふたたび海を眺めた。潮風が長い黒髪をさらさらと揺らしていた。


――


 九州のある地域には、の伝説がある。

 昔、禁漁日に漁をした男がいた。大漁に浮かれて戻ったら、大変美しい女を浜辺で見かけたの思わず声をかけると、男はとって喰われてしまった。その美女は髪を使って血肉をすするというヘビの化け物の一種、よろづせなのだったのだ。今回この目地田という男を喰らったのもよろづせなのであろう。ただ目地田は漁師ではなかった。それに妖怪が会社勤めをしていたというのもおかしな話だ。


 ここから先は筆者の推論になるが、よろづせなのは時代とともに変化しているのではないか。漁師は昔はどうだかしらないが、今は禁漁期間を守るものが大多数だ。そもそも漁師の数自体が減ってきている。そのため禁を犯して妖怪に喰われる漁師もそうそういないだろう。それでは妖怪としてもつまらない。そこで禁漁日を守らなかった人間を喰うことにこだわるのをやめて、別のルールを破った者を喰うことにしたのだろう。たとえば、人を殺してはならないという世の中のルールを破った者や、を。


 もしあなたが誰かの死を願っていて、みずから手を下そうと思っているのなら、用心したほうがいい。よろづせなのは獲物を探すために、人間社会に溶け込んでいる。

 禁を破るようなことは慎むべし。

 妖怪には人の理屈など通用しないのだから。



<おわり>


関連作品

『ワシの卵』 三部作の一作目

https://kakuyomu.jp/works/16817139556982122869


『ファラオの茹で卵』 三部作の二作目

https://kakuyomu.jp/works/16817139554642035006

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