第5話

 なのだが――。


 試着室のよく磨かれた全身鏡に映る私は冴えなかった。


 ブラウスに合う、フェミニンな印象の花柄スカートも合わせて着てみたのだが。

 なんだか少しーーいや、はっきり言って全く似合っていないのである。


 もちろん、服同士の系統は統一されていて、問題ない。

 だけど問題は、“私に”似合っていないということなのだ。

 サイズが微妙に合っていないとか?


 何度となく全身鏡を見ても、その印象は変わらなかった。


 首をかしげて、鏡に背を向け、試着室を出ようとしたときだった。


『もともと似合っていないんだよねー。こういう女性らしい服!』


 誰かの声がして、カーテンを開ける手を止めた。

 荒っぽい言い回し。

 どう考えたって、店員さんの声ではない。


 おそるおそる、背にした全身鏡を振り向くと――。


 鏡の中の私が、くるくると自分の姿を「こちら」に向けて――そう、まるで鏡に自分を映し出すかのように――ブラウスとスカートを丹念に観察しているではないか!


――勝手に、動いた!? しゃべった!?


……と、驚いたのも束の間、次の瞬間には私は鏡の中の【私】の言い分に首肯していた。


――言っている通りだ。


 ぶっちゃけ、骨格ストレートで肌の色がブルベ夏の私にフェミニン服が似合うわけがないじゃないか。

 自分の本来の体と服がちぐはぐすぎる。

 こんなの、服に申し訳ないし、見る人が見れば「無理してるな」って評価するに違いない。


 なのに彼氏は「これが似合うよね」と繰り返すばかり。


『私に自分の理想の彼女になってほしいだけ。理想像を押しつけられて、もううんざりなのに』


 そう、そうなんだ。

【私】のため息に、思いっきり首を縦に振る。


 ふわふわ可愛い女性らしい服が似合う、素直な彼女。

 自分のそばにいて自慢できる飾りのような彼女。

――それが彼の望みなのかもしれない。いや、そうに決まっている!


――お前は常に可愛くしてろよ。

――俺の許可なく遊びに行くなって。


 付き合ううちにいつしか彼はそんな風に私に指示を出すようになった。

 最初はそれが彼なりの不器用な”愛情表現”だと信じてやまなかった。


 でもいつ頃だろう、歯車が狂いだしたのは。


――俺のメッセージには5分以内に返事をしろと言っただろ!

――他の男の連絡先は全部消せ。


 指示が命令に変わり始め、


――お前になんて何の価値もないんだ。

――そんなお前を俺が守ってやってるのがわからないのか?


 大学を卒業する頃、ただのモラハラに変わった。


 そして昨日。

 ほんの些細なことで口論になり、私から別れを切り出したところ、手元にあったマグカップを彼は投げつけた。

 よけきれずに私の脛に直撃し、今も赤黒い痣ができている。


 さっき道端で白猫のイトがさりげなく頬ずりした箇所。

 それは、私と彼の間にできた距離。

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