第6話
『あれって、やっぱりエリオット・ビルだろ?』
『あの英雄の?』
『まさか。だってエリオットは死んだんだろ』
『遺体は回収されなかったって』
『エリオットが死んだところは誰も見てないって話だぜ』
あの日から、ピリンキピウムではひそひそと噂話が囁かれていた。
「わたしは見ました。兄が死ぬところを」
「確かかね」
「死んで、いたと思います」
「思いますではなく、呼吸が止まり、脈がふれていない事を確認したのかね」
精一杯、声を荒げないよう努力をしていた指揮官は、それでも声が震えるのを抑えられなかった。必死に落ち着こうとしているのが、執務机の上で握り締められた拳に表れている。
「……確認は、していません」
「わかった。今後のことは追って指示する。ルナ・ビル。貴様は寮で待機するように」
敬礼をして部屋を出るルナに、指揮官は抑えた声で言った。
「指示が出るまで、寮から出るな」
指揮官の部屋から出てきたルナを、好奇心と猜疑心が混ざった視線が襲う。ヒソヒソと交わされる口さない言葉たちが、地下都市中を埋め尽くしているようだ。
『エリオットはピリンキピウムを裏切ったって話だよ』
『ほら、あれが妹のルナ・ビルだ』
『あの妹も、そのうち裏切るかもしれない』
『いや、既に……』
寮の扉をくぐると、談話室にはロットワイラーのメンバーだけでなく、レイの姿もあった。
「おかえりなさ~い。どうでした~?」
明るく振る舞うカロスの問いに、ルナは力なく首を振った。
「本当に、エリオットなのか?」
冷静に努めようとしているのか、レイはゆっくりとした口調で問う。
「兄さん、だと思う……けど」
「英雄はピリンキピウムを裏切ったってことですか~!?」
「カロス!」
フェンが声を張って注意する。怒鳴られたのはカロスなのに、ルナが傷ついたような顔をしていた。カロスはというと、反省するどころか笑顔だ。
「まぁまぁ、落ち着いてくださいよ~。みんな噂してますよ~。この際、ちゃんと考えましょ~よ」
いつも通りののんびりした話し方だが、声が低くなっている。
「僕は、エリオット・ビルが死んだ後に軍に入ったので、英雄とは面識がありません。学校の授業で写真や映像は見たことありますけど~」
言葉を区切って、カロスはコホンとわざとらしく咳払いをした。
「そこで、妹のルナさん、元チームメイトのレイさん、一緒に戦場に出たことがあるフェンさんに聞きます。エリオット・ビルはこの国を裏切ると思いますか~?」
皆、黙り込んでカロスに釘付けになっている。長い沈黙の後に答えたのはレイだった。
「あり得ない。この国には妹のルナがいるんだ。あのエリオットがルナの敵になるなんて、絶対にない!」
「なぜ、そう言い切れるんです~?」
「エリオットは異様なまでにルナを愛していた。兄妹愛には違いなかったが……」
レイはそこで言葉を止めた。ルナを気にしているようで、ちらと視線を送った。
「なんですか~? はっきり言ってください」
口を尖らせたカロスに促され、レイはため息まじりに答える。
「エリオットは純粋に、妹としてルナを愛していたが、偏執的だった。そのエリオットが妹を殺しかねない敵国に、手を貸すなんて考えられない」
「そうなんですか? ルナさん」
「……偏執的、かは、わからないけど……」
ルナはレイを睨むように見てから答えた。
「確かに、兄さんは私を守ってくれていた。誰よりも大切に。愛してくれていた……」
最後の方は囁き声になっていた。兄に想いを馳せているのか、過去の光景がフラッシュバックしているのか、ルナの青い瞳は遠くを見つめ、焦点が合っていなかった。
「それに……あの日、確か、兄さんは右腕を吹き飛ばされていた……けど、あの男。Nには、ちゃんと腕があったわ」
「それじゃあ、アレは、エリオット・ビルじゃないってことですかね~?」
「義手ってことも考えられるんじゃねぇか?」
沈黙していたフェンが声を上げた。メガネを掛け直し、慎重に、一言一言を丁寧に紡いで話す。
「ボディースーツで覆われて、やつの腕は確認できてねぇからな」
「義手であんな動きできます~?」
「それが、パラミシアの新しい技術なのかも知れねぇな。エリオットはあの日、死んだと思われ、戦場に残された。そして、パラミシアに捕虜として保護され、治療を受け、一命を取り留めた……」
「アレがエリオットだとして、なぜピリンキピウムと戦う? フェンもエリオットのルナに対する偏愛は知っているだろう」
レイに言われて、フェンは困ったように笑う。
「知っちゃいるが……そうだな、記憶でもなくしてんじゃねぇか?」
冗談で言ったつもりだろうが、言った本人も、ルナもレイもカロスも、『あ!』という顔をした。
レイが独り言のように早口で呟く。
「確かに、マレ石は普通に存在していても人体に多大な悪影響を与える……その爆発に巻き込まれて普通に回復するとは思えない」
「パラミシアによる記憶操作も考えられますよ~! それが新しい技術なのかも~!」
「でも、そんな都合のいい話が……」
ルナはブレーキをかけるように呟く。人の生死に希望を抱かないようにするのが、戦場に生きる者の性なのかも知れない。
「都合がいい話かも知れない。だけど可能性は0じゃない。遺伝子操作で強化されたSが5人も殺されたんだ。こんなことは今までになかった!」
最悪の状況だが、レイは自分に言い聞かせるように、そして、ルナを励ますように言った。
「記憶は無くしたけど、強さは変わらないって、最悪じゃ無いですか~」
「そこはほれ、研究所にSの最高傑作と言わしめたエリオットだ。戦い方は遺伝子に刻み込まれてんだろ」
戦闘に特化した人間を遺伝子操作で作り出す。そうした神の領域を犯して生まれたのがルナたちSだ。
「記憶をなくしてんなら、こっちに連れ戻さねぇと! パラミシアにいい様に利用させてたまるか」
メガネのツルをつまみ、ニヤリと口の端を釣り上げてフェンが笑った。これぞインテリヤクザという笑い方だ。
「具体的に、どうするんです~?」
「わたしに会えば、思い出すかもしれない」
希望の火を灯して、ルナの瞳が輝いた。口調もしっかりとしてきている。それをレイとフェンが同時に止める。
「ダメだ、確証がねぇ」
「君を危険に晒すわけにはいかない」
揃いも揃って過保護な2人を憮然とした表情でカロスが見る。
「じゃあ、どうするんです~?」
「エリオットに戦場で会えば、必ず殺される。この間見た通り、奴は室内での小規模戦では無敵だ。味方に死者は出さねぇが、敵は全滅させる」
フェンは唸るように言った。レイが話しを継いだ。
「英雄と言われる所以だな。エリオットが戦場に出る様になって、ピリンキピウムの死者数はぐんと下がった。室内戦では、仲間の死者数0を何年も更新し続けていた。味方だと心強いが、敵だと最悪だな」
「あいつの場合、味方だとしても油断できねぇけどな」
ククッとフェンが笑えない冗談を言った。
それを聞いていたカロスは、ふむと顎に手を当てて考える仕草をした。
「それじゃ~……戦場で、会わなければいいってことですか~?」
「それでどうやって捕獲すんだよ。カマラードよろしく、パラミシア兵御一行様もピリンキピウムにご招待ってか?」
「パラミシアで、会えばいい」
天啓のようにルナの声が談話室に響いた。大きな声ではないのに、鮮明に耳に入ってきた。
「バカな……」
レイは唖然として言った。フェンは眉間に皺を寄せて、信じられないといった様子でルナを見つめている。ただ1人、カロスが「それだ!」と言って、パチンと指を鳴らした。ルナを指さしてカロスは、ウインクを投げ、ルナはそれを余念なく避ける仕草をした。
「作戦はこうよ。わたしが捕虜として、パラミシアに潜入する。そして、兄さんを連れ戻す」
「待て待て! 1人でなんて行かせねぇぞ!」
フェンが立ち上がり、ルナの両肩を掴んで落ち着かせるように視線の高さを合わせて向き合った。
「俺も行く」
レイは目にかかる金色の前髪を振って、決意のみなぎる緑の瞳を見せた。
「いや、レイまで何言ってんだ! まだパラミシアに潜入すると決まったわけじゃ」
「え? この状況で、それ言っちゃいます~? ノリ悪いなぁ~」
フェン1人が、パラミシア潜入に納得していない様相だ。
「いやいや、国元を攻撃すんのはルール違反だろ」
「攻撃じゃない、仲間の救出よ」
「言い方を変えたって、敵に見つかれば戦うことになる。パラミシアのどこにエリオットがいるか、わかんねぇんだ。戦闘は回避できねぇぞ」
都市を攻撃すれば、非戦闘民も戦いに巻き込まれることになる。それを危惧して、マトカは争いを続ける2国に戦場の提供をしている。その為、戦争が始まって以来、ピリンキピウムでもパラミシアでも、1度も市民の住む都市で戦闘が起こったという記録はない。
「ルール違反って言っても、誰もしてこなかったってだけじゃないですか~。お互い、いつ国に攻め入られるか、ヒヤヒヤしてるのが実情でしょ~? だから、お互いに首都とは別に地下都市を作って、モグラみたいに隠れ暮らしてるんじゃないですか」
「それに、ルール違反と言うのなら、パラミシアが先よ! 捕虜を自国の兵士に仕立て上げるなんて」
ルナは唇を噛んで悔しそうに言った。制限時間を過ぎて、戦場に残された兵士は相手国の捕虜になるのが決まりだ。捕虜の扱いは、身代金と引き換えにされるか、労働力として確保されるかなどだが、敵国に寝返って戦力になるなど、前例の無いことだった。戦場に残された遺体は回収され、各国に返還されるのが決まりである。
「どちらにせよ、エリオットをどうにかしないと、ピリンキピウムは敗戦が続くだろう。仲間も殺され続ける」
レイのその言葉には、フェンも頷くしかなかった。
* * * *
ロットワイラーのイラストが描かれた扉の前で、ルナとレイが向き合っていた。
「本当にやるのか?」
「やる。わたし1人でも」
「1人では行かせない。行くのなら俺も一緒だ」
そう言って、レイは拳を突き出した。躊躇いながら、ルナも拳を握り、2人はそれを軽くぶつけた。フッとレイが笑って、ルナもぎこちなく笑った。扉を避けて、ルナは壁を背にして、廊下に座り込む。
人気は無かった。レイはその向かいの壁にもたれかかり、楽な姿勢を取って立った。
「……髪」
ルナがポツリと呟く。
「伸ばしたんだね」
言われて、レイは無造作に結んだ後ろ髪を摘んで笑った。
「似合わないか?」
「見慣れないだけ」
「……なんて言うか、願掛けみたいなもんだ」
頭に『?』が浮かんだような顔で、ルナはレイを見上げた。再会して初めて、なんの翳りもなく、純粋な瞳を見せた。そうしていると小さな女の子のようだった。
「お前が、幸せになれたらいいなって……女々しいよな」
「そうだね」
はっきりと言われ、レイは不機嫌な顔でルナを見下ろした。
「幸せにはなれないよ……だって、わたしたち、戦争をしてるんだから」
レイは涙を堪える様に天井を仰いだ。ルナは囁く。
「髪は切って」
天井を仰いだまま、レイは下を見ることができなかった。
足音が遠ざかっていくのが聞こえて、ルナは廊下の先に目を凝らした。何も見えなかった。レイはまだ天井を見ている。不意に扉が開き、横を向いた犬の絵が姿を消した。フェンだった。
「やるならフィールド戦だ。室内戦だと捕虜になる前に殺されちまう」
無愛想にそれだけ言うと、すぐに室内に戻っていった。犬の絵が戻ってくる。レイはやっと天井を見るのをやめて、ルナを見下ろした。ルナもレイの緑の瞳を見上げる。2人は力強く頷き合った。
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