第38話
なんとかすり寄ろとしてくる卿にため息をつく。顔を上げたネリネは苛立つ気持ちをすべて笑顔に変えることにした。これまでの仕打ちを思い出しながらにっこり笑って言い放つ。
「なるほど、つまりわたしはその『守るべき家族』の中には含まれていなかったと。そういうわけですね?」
「あ、いや、そういう意味では、だな。……おいっ、話を合わせろ、育ててやった恩を忘れたかっ」
後半を小声で怒鳴りつけてきた事により完全にキレた。何が育ててやっただ、愛想が悪いと散々叩いて食事抜きにした癖に。息を吸い込んで最高の笑顔を浮かべる。その場に居る全員に聞こえるよう、復讐を大声でぶちまけてやった。
「今までお世話になりましたエーベルヴァインさん! あなたがわたしを母から人さらい! 同然に! 買った事とか! 絶対誰にも言いませんから!!」
「あわっ、うわぁぁ!?」
残っていた記者たちが目を光らせてこちらに突進してくる。もう彼らに用はない。青ざめる卿の脇をすり抜けて駆け出したネリネは奥の扉に逃げ込んだ。大騒ぎになる外の様子を伺って、どうやらこちらまでは追って来ないと胸をなでおろす。
彼らがここまで追ってこないのは当然とも言えた。なぜならここは教会本部の中でも一番の聖域。これより先に踏み入るのを許されているのはごく一部の者しかいない。例えばそう、聖女候補であったり。
一時期はよく通った道だった。落ち着いてから振り返ると、外の喧噪が嘘のように静まり返っている。薄暗い回廊の正面に大きな天窓があり、宙にキラキラとホコリが舞っている。
そして、こちらに背を向けゆっくりと歩いていく影があった。ネリネは駆け出しながら声をかける。
「教皇様」
天窓の光が射す手前で足を止めた彼は振り返る。ようやく追いついたところで軽く頭を下げた。
「改めてお久しぶりでございます。わたしの証言を信じて下さってありがとうございます」
「事前に受け取った手紙の通りでしたね」
裁判の時とは違う、少しだけ暖かみのある声で返される。
そう、ネリネはこの裁判が始まる前、二人の人物に向けて手紙を書いていた。一通目はもちろんジルに。そしてもう一通は――全ての真実を記して教皇に出したのだった。
「その……正直生きた心地がしませんでした。お返事が無かったので、てっきりこのまま握りつぶされてしまうのかと……」
「こちらとしても、ヒナコには手を焼き始めていましたのでね」
ふぅっと重たい溜息をついた教皇は、辺りに誰も居ないことを確認した後に口を開く。
「彼女は少し調子に乗り始めていましたからね、ジークをそそのかし、聖女の権力を広げようと密かに裏で画策していたようです」
ここで口の端を少し吊り上げた教皇は、まるで説法をしている時のように穏やかに言い放った。
「まったく愚かな娘です、下手に野心を出さずにこちらの指示に従っていればこんな結末にはならなかったでしょうに」
その言葉にひそむ冷酷さに、ネリネは背筋が冷たくなった。自然と体が強ばる。
「……教皇様、一つだけ聞かせて下さい。ソフィアリリーの件は……教会側が王子たちに指示した物だったんですか?」
どうしても聞かずには居られなかった。この問いかけも『愚か』なのだろうか? だが、教皇は心外だとでも言わんばかりの表情で鼻を鳴らした。
「おもしろくない冗談ですね。あのバカ王子が単独でやったことです。どこからソフィアの日記を引っ張り出してきたのやら……」
その口ぶりから王子が大体何をやっているかは理解していたのだろう。そして、あえて見過ごしていたと。
こちらの不信感が伝わったのか、教皇は薄く微笑んで平然と返してきた。
「ソフィアやジークのやり方について、私は肯定も否定もしませんよ。人の欲望が引き起こした災厄も、それを治す救世主が現れるのも、全ては神のご意思。少し俗物的な言い方をすれば『運命』というやつです」
「……」
「さて、これから王家はどうしましょうか、ジークくらいのバカ王子が傀儡としてはちょうどよかったのですが」
この人は……影の支配者だ。今回、ネリネの味方をしてくれたというわけではなく、たまたま利害が一致しただけ。裁判の攻勢によってはコルネリアに罪を着せ、ヒナコをそのまましばらくは『使い続ける』つもりだったのだろう。
ぞっとしながらも心を落ち着かせる。少なくとも今回は切り抜けた、利用されたくなければ賢く立ち回ればいい。
「あの、クラウス神父のことですが」
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