第34話

「……は」


 笑顔のまま凍り付いたヒナコは固い動きで振り返る。その視線を無視してネリネは資料のページをめくるよう促した。


「十三ページをご覧下さい。ここからはソフィアリリーの件とは別になりますが、ヒナコさんの正体について非常に重要な話になります。首都ミュゼルから馬車で半日ほど北西に走らせたところに一つの村があります。名をカミル村。ヒナコさんご存知ですよね?」

「……知らない」


 しらを切るヒナコに構わず彼女の過去を暴いていく。恐らくは隠したいであろう過去を。


「クラウス神父が直接行って証言を得て来ました。聖女に擁立されるより以前、ヒナコさんとおぼしき女性がこの村の宿屋で働いていたそうです。その女性はある日突然ふらりと現れ、何でもするので働かせて欲しいと言った」

「……」


 二週間というわずかな時間でクラウスが調べてきてくれた情報だ。ホーセン村のうわさ好きのおかみたちから得た情報らしいのだが、追って行けば真実にたどり着く事もある。彼女たちと友好関係を築いていた悪魔に感謝しつつ続ける。


「その宿の酒場では、女性がお酒を呑んで接待することもあったそうで、ヒナコさんによく似たその人は見目の良さからとても人気があったそうです。そして視察で訪れたジーク王子ととても親密な関係になっていたとか……。時期はジルが亡くなってから数週間後、王子の公務履歴とも合致します」

「知らない、知らないですそんな村……」

「そこでは『ハヤサカ』と名乗っていたそうですね。表立っては公表されていない貴女のファミリーネームでしょうか? 教皇様」


 そこまでつらつらと読み上げていたネリネは教皇を見上げて意見を求める。落ち着き払った彼はヒナコに問いかけた。


「確かに。そなたのフルネームはヒナコ・ハヤサカであったな。どういうことだ? 異世界からやってきて落とされたのは別の街だったと聞いているが」


 沈黙が降りる。しばらく目を見開いて立ち尽くしていたヒナコだったが、息を呑んだ彼女は急に泣き崩れた。口を押えて涙を流しながら釈明する。


「っ、ごめんなさい。ヒナ、嘘ついてました。この世界に飛ばされてすぐの頃、確かに私はカミル村の近くに落ちました。まだその時は記憶もぼんやりしていて、ゆく当ても頼れる人もいなくて死にそうだったんです。そんな時、宿の親切なご夫婦に拾って頂きました。その恩返しの意味も込めて働かせてもらっていたのですが……」


 ここで顔を上げたヒナコは両手を胸の前で握りしめた。


「でも、でもっ、信じて下さい! みなさんが思っているような仕事はしていません! お酒を飲んでお客さんと少しおしゃべりをしただけですっ。その後、王子と出会って前世のジルの記憶を思い出して……。でも聖女としての地位についた時、そんな水商売やっていただなんて知られたらジーク王子の名にキズが付くんじゃないかって怖かったんです! 世間の目が怖くて……ずっと言い出せなかったっ! 生きていく為には仕方なかったんです!」


 顔を覆ってわっと泣き出したヒナコに同情の目が集まる。だが、ネリネはまたしてもその流れを断ち切った。


「ところでその宿屋ですが、ヒナコさんが礼も言わずに忽然と姿を消した後、火の手が上がり全焼したそうです」


 聖堂中が――そして当の本人であるヒナコでさえもギョッとしたように固まる。淡々と報告するネリネはさらに追い打ちをかけた。


「宿で働いていた従業員は一人残らず焼死。……ですが、村人の証言では焼け跡から出てきた遺体に不自然な点があったそうです。まるで鋭利な刃物か何かで背中から切られたような痕があったとか」

「……」


 冷え冷えとした空気が流れ、人々の視線がヒナコに集まる。シンとした静寂の中、スッと目を細めたネリネはとどめを刺した。


「口封じ、したんじゃないですか?」

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