第26話
二人は顔を見合わせ下降を始める。騎士たちが転がる地に足を着けると、その途端、ヒナコはネリネの足元にすり寄ってきた。
「コルネリアちゃん、コルネリアちゃん、そんなひどいことしないよね? ねっねっ? 助けてくれてありがとうっ、本当はこんな男ずっと嫌だったの!」
そう言って、足元に転がって気を失っているジークの背中に蹴りを入れる。ゴロンと転がった王子は不明瞭なうめき声を一つ上げた。
「信じてくれるよね? さっきまでのあたしの態度、もちろん演技だってわかるよね? 隙を見て出し抜いてやろうって思ってたのよ」
見え透いた嘘と必死さに少し嫌悪を感じる。一歩退いても追いすがろうとしてきたので、クラウスが間に割って入ってくれた。さすがに止まったヒナコだったが、今度はこぼれそうな瞳めいっぱいに涙を浮かべた。
「う、うぇぇぇん、ひどい、悪魔様ぁ、こんなに謝ってるのにコルネリアちゃんが赦してくれないんですぅ……ひどいと思いませんか? ひ、ヒナが死ねばいいって、思ってるんだわっ。ひぐっ」
民衆や男たちには効果的だった泣き落としも、その本性を知っているネリネにとってはただ見苦しいだけだった。
もちろん死ねばいいとは――思ってないこともほんの少しだけ無い事も無いが――思っていない。とはいえ、このままタダで逃がすわけにもいかない。どうしたものかと思案していると、隣でフムと考え込んでいたクラウスが耳を疑うような発言をした。
「許さない……と、言いたいところですが、女性は手にかけない主義なんです。反省しているようですし、今回は特別に見逃してあげましょう」
「!?」
バッとそちらを振り向くが、口を挟む前にパァァッと顔を明るくしたヒナコが両手を握りしめ叫んだ。
「は、はわわわわ!! 悪魔様、ありがとうございます。ヒナ感激ですぅ!!」
「もう二度とこんなことをしてはいけませんよ?」
悪魔はニッコリと微笑みかける。ヒナコは途端に媚びを売るように上目遣いになり、やたらとパチパチ瞬きを始めた。長いまつげについた涙がキラキラと飛び散る。
「はうぅ、悪魔様ってカッコいい上にすっごくお優しいんですね、どうしよう、なんだかドキドキしちゃう……ヒナもしかしたら」
ここでハッとしたヒナコは、慌てて両手を振りながら下がり始めた。
「あっあっ、あたし今何か言いました? えへっ。えっとぉ、ヒナは一度ミュゼルに戻って今までの王子の悪行ぜーんぶ教会にバラしたいと思います! それじゃこれでっ、あ! コルネリアちゃん、今度首都に戻ってきたらお茶しようね、愛してる、大好きだよーっ!」
とてもスカートとは思えないスピードでヒナコは村の中心へ逃げていく。それを見送ったクラウスは呆れたように腕を組んだ。
「何が『愛してる』だ。いったい今まで何人にあの薄っぺらい愛を振りまいてきたんだろうな」
そこで横からのジトついた視線に気づいたのだろう。フッと笑い楽しそうに腰を屈めて覗き込んできた。
「不服そうだね」
「……当たり前です、こんな簡単に逃がしてしまっていいんですか?」
「誰も見てないこんなところではなくて、決着は然るべき場所で付けようじゃないか。君もやられっぱなしでは腹の虫が収まらないだろう?」
「……」
違う。と即答できなくなっている自分に驚く。
我慢しなくてもいい、気持ちを呑み込まなくてもいいのだと気づかせてくれた人はカラっと笑ってこう続ける。
「まぁ見ていなさい、断罪は派手にやった方が楽しいから」
それに、と続けたクラウスは、こちらの腰あたりを指さしてこんな事を言った。
「君には私以外にも心強い味方がいるみたいじゃないか」
ぴくっと反応したネリネは、しばらくしてポケットから黄色い封筒を取り出した。悪魔に視線を送ると疑わしそうに言う。
「どうして知っているんですか」
「私は悪魔だからね」
「やっぱり信用できないかも……」
「ひどいなぁ、盗み見なんかしてないよ。日頃の挙動から推理しただけさ」
さて、と。話題を切り替えたクラウスはスッと手を差し伸べた。
「聖女様が助けを引き連れて戻って来る前に、さっさとこんなところからは逃げてしまおう」
辺りを見回したネリネは改めて青ざめた。死屍累々と転がっている王子とその側近たち。そしてその前に立っている角と翼を生やした悪魔。とどめにそれを従えているようにしか見えないであろう自分。この場にいる限り何を言われるか分かったものではない。
「なぁに、しらばっくれればなんてことはない。今夜、神父は慣れない酒で酔い潰れ、シスターは一晩中教会の後片付けをしていた。とても人間業には見えない事件の犯人が誰かなんてわからないさ」
ふっと笑みを浮かべたネリネは素直にその手を取る。軽くめまいがした次の瞬間、二人はもう教会の前に立っていた。
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