死にたくない私は悪役から逃げることにした

四宮あか

毒殺される運命の私は逃げだしたい

プロローグ

 バレリア大公家の庭は広い。

 庭はその家の富の象徴とはよく言ったもので、大公家ともなると屋敷から30分走っても家の周りをぐるりと取り囲む壁にたどり着かないのだからどれくらい広いかお解りいただけるだろう。

 そんな大きな庭園を人の目を避け私は進む。


 大丈夫、何度も何度も練習したのだから大丈夫よ、リリー。

 そう自分に言い聞かせて私はもう引き返せない覚悟を決めていた。


「リリー様~。リリー様~。邸宅の敷地とはいえ夜は危険でございます。お戻りくださいませ」

 新月の夜は暗い。

 屋敷から飛び出した私を探すためにメイドたちが総動員されて、先ほどから私の名前を呼びながらあちこちで、私たちはここで探していますよと言わんばかりにランプの灯りがゆらゆらと揺れる。




 計算通りだわ。

 よもやバレリア大公家にわずか14歳で嫁いだ私、リリー・バレリアが腰元まである貴族の象徴である手入れのされた淡いピンクの髪を肩までざっくりと切ってしまっているとは思わないだろうし。

 念には念をいれて、髪の色もこの日の為に調達した染料で茶色に染めたとも思うまい。


 菫色の瞳の色を変えるすべはなかったけれど。

 さすがに髪を短く切り、髪の色を染め。

 服装もちょろまかしたメイドの物を着ている私を広大な庭園でランプの心もとない灯りで見つけるのは無理な話だ。



 メイド服の裾をもって、私は何度もこっそりシュミレーションした通り、頼りない月明りの中小走りで屋敷をぐるりと囲む壁に飛び移れそうな木のもとへと向かっていた。


 大丈夫、大丈夫よリリー。

 何度もシュミレーションしたじゃない。

 私なら木を登って、高い屋敷の壁を超えることができる。できるできるできる。

 というか、できなかったら私は――――死ぬ!!!

 心臓の鼓動がうるさいくらいに聞こえるのに、命がかかった私は自分でも驚くほど予定通り計画をするために最善の動きをとっていた。



 走るたびに、今後の資金としてちょろまかした宝石の入った袋がじゃらじゃらと揺れる。

 ここから逃げだしたらどこか遠くに行く。

 幸い教養はつけさせてもらえたし、なんとか食っていくことはできるはず。

 それにどんなにつらい生活でも、毒殺される未来なんかよりもよっぽどマシ!



 なぜ毒殺される未来を知っているか? というと、ここは私が読んでいた小説の中の世界だからだ。



 私が転生したリリー・シュタイン侯爵令嬢は小説の悪役バレリア大公家の令息アインと政略結婚をするが。

 のちのちに政略的に邪魔になるからと、物語が始まる前に毒殺されあっさりぽっくり逝く人物なのである。



 シュタイン侯爵家は中立の家柄で、バレリア大公家にとってリリーとアインの 結婚は自分たちは政治的に脅威はないと思わせるのに実にちょうどよい人物だった。

 私の実家シュタイン家が収める領地で大飢饉が起こり、それを収めるための資金や物資が何としても必要で、娘を差し出すことでしか救えないという本来であれば突っぱねられるはずの婚姻は通ってしまったのだ。




 そんなこんなで半ば無理やり婚約したものの……シュタイン家はあくまで中立。

 リリーと結婚することで周りに害はないことを示すのにはうってつけだけれど、勢力を拡大する駒としては全く使えない。

 

 今後のことを考えるともっといいところのお嬢さんなり、利用価値があるお嬢さんを本当の嫁として迎え入れたいってわけ。

 だから私が14歳になるや否や飢饉から救うための資金、物資の援助を約束し息子と結婚させ、他者に殺されたりしないようにこの優雅な要塞の中に連れてきて守り。

 表向きは、結婚したのだから息子は政治的な野心はないように見せかける。




 でも子供を作ることが許される16才になり、跡継ぎなんか作られたら本当は困るから私は処分される……

 そして処分後は政治的に利用価値のあるこの小説のヒロインである公爵令嬢と息子を結婚させようとするってわけ。

 悪役は物語として多く語られないところでもちゃんと悪役として動いている。



 16才になる前に私はここから逃げ出さなければいけない。

 食べ物を気を付けたところで、毒殺は防げても、なら別の手段で殺せばいいだけだもの。

 苦しいのは嫌、怖いのもまっぴらごめん。



 メイド服の裾をたくし上げ、身体をはしたなくダイナミックにつかい私はえっちらおっちら木を登りだす。

 3mを超える木に登るのは落ちたことを考えると怖いけれど、3mの高さからなら頭からでも落ちない限りは死なない。

 足からちゃんと落ちれば痛いだろうけれど、動けるはず。

 死ぬよりずっとましを心の中で唱えて、恐怖をやわらげて身体を何とか動かそうとする。



 私が確実に逃げ出すチャンスは大公閣下が、自分たちは政治的な脅威ではないと王都で示すために留守にした今夜しかないのだ。

 14歳で嫁いでから、この日の為に準備をしてきた。

 のちのソードマスターという不安要素である私の夫アインにも、このばかげた大脱走を成功させるために、恋に恋するうざいメンヘラ女を装ってきた。



 夫婦のことを理解するには、かくれんぼが一番!

 相手を探して見つけるまでは間違いなく相手のことを考えるでしょう?

 相手ならどう動くかを考えるのはきっと夫婦の為になるわとかなんとかほざいた。


 そうして私はかくれんぼと称して、突発的にいなくなっては

この屋敷からどうやったら逃げ出せるかの下準備を1年以上もかけてやってきたのだ。

 ちょいちょい抜け出すのも、アインとの愛を政略結婚だからこそ不安で試したいといいいわけをした……

 さぞめんどい女だったことだろうが、それも今日でおしまい。

 



 私だって、イケメンがものすごーーーーーーーーく面倒だけど建前上それほど時間をあけずに、メイドをはじめとして、自身付きの従者や騎士も陰でガッツリと使い探しにきてくれるのホントいたたまれなかった。

 アインと一緒に私を探す羽目になった従者や騎士、メイドとか多分皆私のこと嫌いだと思う。

 というか、こんなメンヘラ女私だってまっぴらごめんだ。



 物語の悪役であり、ヒロインをヒーローと取り合う三角関係をするだけあって、私の夫はアインは顔がいい。

 それなりに整った顔だと思った私よりも顔面レベルが格段に高い。

 雪のように白い肌、血のように赤 い唇、 黒檀のような黒い髪……お前はどこの白雪姫だよ! って初めて会ったときからずっと思っていた。

 小さいのに高くて鼻筋しっかりの鼻、薔薇のような頬。

 めんどそうにしかめることが多かったけれど、ぱっちり二重の瞳……




 こんな容姿が整った人に、心底めんどくさい、うざいと思われる嫌われる行動を重ねるのってメンタルにグッとくる。

 今となると、あの無駄に整いすぎた白雪姫のような見事な容姿をお持ちの夫とお別れは少し寂しいけれど。

 元気でね。

 私のことを探しに来てウフフみたいなことを連発する私みたいなうざい女にかなり耐性がついたとおもうし。

 嫁が計画に邪魔だから殺そうみたいな考えの人にはならないでね。

 どこのお嬢さんをもらっても、きっと私よりも絶対マシだから。



 1年弱しかいなかったけれど、いざ離れるとなるとちょっと寂しくなってしまうから不思議だ。

 でも私は自分の命が一番大事!


 木からえいっと何とか屋敷を囲む高い壁に飛び移ると、大丈夫大丈夫、痛いのは一瞬と暗示をかけて壁の外に飛び降りた。



 ドスっと鈍い音がして。

 壁を無事乗り越えたことがわかった。

 足はじんじんと痛むけれど、私の人生はこれからだ。

 こんなところで死んでたまるか!



 そう思い立ち上がったその時だった。

 ぽんっと優しく肩を叩かれたのだ。



 ごくりと思わず生唾を飲み込んだ。

 少し落ち着いていた心臓が痛いほど脈を打つ。



「……つかまえた」

 もう何度も聞いた言葉に身体が震えあがる。

 ありえない、ウソよ。

 ここは屋敷の外なのよ?



 認めたくない。

 振り返るのが怖い。


 

 屋敷から城壁があるところまでは、10分以上走ってもかかる。

 トイレに行くかのように、寝室を抜け出してからまだ15分も立っていないと思う。


 ピンポイントでここに私が逃げるとわかってない限り、こんな先回りなどありえない。



「リリーの言うことがいつもよくわからなかった。でも今日は少しだけ君が言いたいことが解った気がする。服をかえ、髪まで切り色まで染めるとは思わなかった。まじめに日々取り組んでなければ、バレリア家は花嫁に逃げられる不名誉を背負ったと思う……」

 いつもよりも声のトーンが違うから、ワンチャンワンチャン違う人じゃないかなと願いを込めて振り返ると。



 私も心臓が飛び出るほど驚いたけれど。

 大きな瞳をもっと大きく見開き私よりももっと驚いただろう夫アインがそこには立っていた。

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