最終下校時刻10分前

成瀬 灯

あまのじゃくの夜明けに

 どうして11月を選んだのかと聞かれたら、11月はママの誕生月だったからだ。大切な日になるはずの今日を、少しでもママの傍にいられる日にしたかった。


 結婚式場の控え室で、ステンドグラスから差し込んだ太陽の光が、ウエディングドレスを身にまとった私を照らす。まるで物語の主人公だ。高級そうな大理石の机の上には、錆びたお菓子の缶を置いた。


「それなんですか?」


 お祝いの挨拶に来てくれた後輩の夏目なつめさんがきょとんとした顔でお菓子の缶に視線を落とした。こんなボロボロのお菓子の缶は、たしかに結婚式には似合わない。


 だけど、どうしても持ってきたかった。


「宝物なの」

 私はそっと、缶の蓋に触れた。

「へぇ。なんかいいですね、そういうの」

「うん」



 お菓子の缶の中身は、十数枚にも及ぶ手紙だった。


 ママから私への――母から娘への、馬鹿みたいに真面目な手紙。



 夏目さんが去った後で、私は手紙を一枚一枚読んでいた。初めて読むわけじゃない。今までも何度も読んだ。覚えてしまうくらい、何度も。

 私は小学6年生を最後に、ママに会っていない。

 私を置いて出ていった。理由は、分からない。なにか決定的なものがあったのかもしれないし、沢山の小さなガラスがママを刺し続けていたのかもしれない。


 だから、というわけじゃないと思うけど、ママはその年から私に手紙を書き始めた。娘を置いていった罪悪感からか、単純に私を想ってくれてのことなのか、私に返事を書くことは許されなかったから本当のことは聞けていないけど。


 いやそれも違う。パパはきっと私がママに返事を書きたいといえば許してくれたかもしれない。でも、それはパパへの裏切りな気がして、私はなにも言い出せなかったんだ。


 今、思い返してみれば、当時の私には手紙の内容はさっぱりだった。ママの言いたいことが全然分からなくて、想ったり、願ったり――そんな目に見えないものはいらないから、もっと分かりやすいものが欲しかった。


 でも結婚を目の前に、この先の人生を共に過ごそうと想える相手を見つけて分かった。分かりにくいからこれは「愛」だったのだと。分かりやすい「愛」なんて、もしかしたら、世界のどこを探してもないかもしれない。


 手紙を読み進めるうちに、私はついに最後の一通を手にしていた。どんなものにも平等に終わりはやってくる。こんなに沢山あるママからの手紙も、やっぱり有限だ。


 だから大切にしたくなるんだろうか。

 だからこんなに切なくなるんだろうか。


 最後の一通は、私にとっても特別な一通だった。

 ママからの「さよなら」が記載された一通だ。



┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈


……手紙の書き出しが一番難しいね。

言葉はたくさん浮かぶのに、どれも最初に書くには違う気がして、結局こんな書き出し。

元気にしてる?

辛い思いはしてない?

愛果まなかが無理をせず愛果でいてくれますように。

ママはそれだけをずっと、何度も祈ってるよ。

泣きたい時に泣いて、笑いたい時に笑う。

愛果がそうしてるのを想像するだけで、泣けるくらい嬉しいからさ。

なんて、ただのママのわがままかな。


さよなら、愛果。

知らないどこかで構わない。

ただこの世界にあなたがいてくれる、それだけでいい。

さよなら、愛果。

愛果が助けを求めたら、いつでも助けにいくから。


┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈



 お菓子の缶に手紙を戻す。


「そろそろお時間です」


 部屋の扉がノックされて、式場スタッフが私に声を掛ける。私は手紙を目に焼き付けて「分かりました」と控え室を出た。教会に向かう。



 ねえ、ママ。

 いつか、返事を書いてもいいかな。

 本当は。

 本当はね、結婚式にだって呼びたかったんだよ。


 だけどそういうわけにもいかないじゃない?

 パパだっているわけだしね。

 だから私はママに会わない。


 その代わりにね、ママと同じように願うことにした。


 ママも、自分に嘘をつかずに、無理せず、ママのままでいてくれますように。そう私は、これから先もずっと願ってるよ。


 隣にはいなくても。

 声も顔も、見られないけど。

 幸せなら私も心の底から良かったって思えるの。

 この世界のどこかで生きて、笑ってくれているだけでいい。もう二度と会うことはないとしても、それだけでいい。


 二人で夜明けを迎えよう?




 目頭が熱を帯びていく。


「ママが手紙を送り続けてくれたおかげで私、自分らしく生きてこれた。私にとって、ぜんぶが魔法の言葉だった」


 視界が涙で霞む。

 まるで背中を押すみたいに、後ろから強い風が吹きつけた。彼が私に気がついて向こうで手を振っている。


「もう、大丈夫だよ」


 私は彼に向かって、歩み始めた。

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