結び結ばれ、赤い糸①
条件重視で選んだ会社に就職して早一年。
俺は社会人生活二年目を迎えていた。
高田馬場から山手線の満員電車に揺られ新宿で乗り換える。乗り降りの大波にのまれながら、誰もが生き急いでいるような表情をしながらせかせかと足を動かしていた。
憂鬱なことなんてないはずなのに、ガラスに映る自分の顔は曇っていてさらに気分が下がる。
会社に着くと一つ先輩の田中さんが「山田ァ」と隣の席からつまらなそうな顔を覗かせてきた。
「なんすか」
「今夜どうよ合コン」
「いや遠慮しときます」
「はぁ!? なんで? 彼女いないんだろ〜?」
「そういう気分じゃないんすよ。まだ良いかなっていう」
「……なんつーもったいないことを」
田中さんはパソコンを開きながらため息をついた。
ホワイト企業と謳われているだけあって仕事内容はそこまで過酷じゃないし、仕事の後に合コンが開催出来るくらいにも残業はない。ただ俺の会社の場合、めんどくさい上司が沢山いるのが問題だった。あ、田中さんは違いますよ、と言い訳がましく一瞥する。嫌味ったらしい上司とか、ギャグセンスのない係長とか、ありきたりだけど人間関係の悩みは耐えない。
「田中さんはもう二度と会えない女ってどう思います?」
「なにいきなり」
昼休憩にする話題じゃなかったけど、ふいに気になって俺は質問を続けた。
「自分騙して他の人と付き合いますか?」
「はあ、そうねえ。俺は気持ちが落ち着くまでは付き合わないよ。器用なやつなら付き合ったって良いと思うけど」
「そうすか」
「ていうかなに? 二度と会えないって重い話?」
コンビニのパンにかじりつきながら田中さんが視線だけを俺に向ける。
「まあ。吹っ切れたと思ってたんすけど、いざ田中さんに合コンの話とかされても乗り気になれないのって、まだ引きずってんのかなって」
「山田ってそういう系だったのな。察したわ色々」
そう言って田中さんは俺の肩をポンと叩く。気をつかってくれたらしい。こういうところはやっぱり先輩だ。
――とちょっと見直したのに、田中さんが俺に気をつかっていたのは昼休憩の時間だけで就業後は意気揚々と合コン会場の居酒屋へと向かって行った。後片付けを俺に押し付けて。全くやってくれる。
俺には5年前、彼女がいた。過去形なのはその彼女、菜乃花がもうこの世にいないからだ。
おしとやかで優しくて、とにかく性格が良かった。菜乃花のことを思い出しながらネオンが照らす夜道を歩いていく。時間の流れが目まぐるしくて、5年なんて正直あっという間だった。
駅から徒歩十分弱のマンション。やや古いが駅近のワンルーム、ここが俺の家だった。エレベーターで5階まで上がり、502号室の前に立つ。すると、隣の503号室の扉がちょうど開いた。
そういえばこの前、誰かが引っ越してきたんだっけ。ぼんやりとそんなことを考えていると、
「ああ!」
「……え?」
顔を見ていきなり叫ばれたもんだから、思わず辺りを見回してしまう。お、俺か?
503号室の彼女はやっぱり見覚えのない顔だった。肩で切りそろえられた細い髪が揺れる。ハッキリとした目鼻立ちだが、目つきはちょっときつめだ。
「お隣の山田さんですか?」
彼女がずかずかと俺に歩み寄る。
「そう、ですけど……」
他人に話しかけられることに慣れていないせいで、及び腰になってしまう。
「やった、やっと会えた! 2週間ほど前に引っ越してきました佐藤です。お隣、宜しくお願いします」
「はあ、よろしくお願いします……」
「山田さん、ちょっと待っててください!」
佐藤さんは早口にそう言うとまた家の中に戻ってしまった。人懐っこいというか、初対面であの勢いだ。若さなのか……? 一人頭を捻っていると、佐藤さんは紙袋を持ってすぐに出てきた。
「これどうぞ! お近づきの印に。長崎の銘菓です」
「長崎?」
「はい、長崎から上京してきたので」
なるほど、それでようやく合点がいった。ご近所の挨拶なんて俺は生まれてこの方やったこともやられたこともなかった。長崎ではきっとこれが普通なのだろう。
「山田さん、平日はお仕事ですか?」
「まぁ」
「やっぱり、インターホン押しても毎回不発で」
明るい調子で言う彼女に俺は顔を顰めた。一応、釘を刺しておいた方が良いだろうか。
俺は良いとして、この人は人を信じすぎる気がする。長崎では大丈夫だったかもしれないが、ここじゃ人を信じすぎることは仇になりかねない。
「……佐藤さん、あまり他人に対して気さくにならない方が良いですよ。割りと物騒なので」
「物騒?」
「騙されたりとか、宗教勧誘とか、ストーカーとか、気をつけてくださいね」
「わぁ、なるほど。そうですね、ありがとうございます! 山田さんって良い人ですね」
俺は曖昧なお礼を言って、佐藤さんと別れた。
疲れていた。さっさと先に風呂を済ませ、部屋着に着替える。
――良い人、ね。佐藤さんの言葉が頭にこびり付いていた。
ベッドに倒れ込んで真っ白じゃない天井を見上げた。いつから良い人になったんだろうか。別に菜乃花が生きていたころは良い人じゃなかった気がする。高校、大学、社会人って歳を重ねるうちに、ぐちゃぐちゃな色彩がのった東京パレッドに浮かないように上手くやる術だけ自然に身に付いていってる。
さっきの彼女、佐藤さんはまだ何色にも染まっていない気がして本当は少し眩しかった。長崎銘菓だと言っていた「長崎物語」を一つ口に運ぶ。
「……うまいな」
思っていた以上に甘いその菓子に疲れが癒されていくような気がした。
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