家族愛センター【1】


 離れて暮らす父が脳梗塞で倒れてから、仕事に集中しづらくなった。


 病院とのやりとり。

 区役所とのやりとり。

 お金の管理など。

 やらなければならないことがたくさんある。


 そんななかで、父に借金があることを知った。

 借金は六十万。銀行経由の金融会社から借りたお金だ。

 さらに、リボ払いで買い物をしていたことも出てきた。

 兄や従兄弟たちから話は聞いたが、金遣いは荒いという事実に大きなショックを受けた。

 父は私に借金をしていることを隠し、一緒に出かけてたりしたのだ。

 その神経が、私には理解できなかった。


 脳梗塞の影響で父は認知症になった。

 体に麻痺は残らず、自分の足で歩けるようになったが、此処からが最悪な日々の始まりだった。

 認知症になったことで、銀行などのパスワードを思いだせなくなってしまった。

 自分の言葉をうまく伝えられないかつ相手の言葉を理解できず、自分のことばかり主張するようになった。

 あと、お金の執着が激しい。

 娘である私を見て「金を寄越せ」と言う。

 私は「渡せない」と言った。このお金は大事な生活費と病院費なのだ。渡すわけにはいかない。

 思い通りにならないと知ると、父は私をののしった。

 落ち着かせようと体をつかむと、暴力を振るってきた。痛くはないが、心は完全に父を拒絶するようになった。

 母と叔母に助けを求めたことで落ち着いたが、私の心は限界だった。



 こんな金の亡者、父ではない。

 さっさといなくなってしまえ、と――。



「それで、私が管理する施設へやってきたのですねぇ〜」


 私の目の前で、気怠けだるそうに書類を見つめる、ヨレヨレのスーツを身に着けた糸目の男――刑部おさかべ夜鷹よたか

 どんな悩みも解決してくれる、世間で名が知れた男だ。


「夜鷹さんに頼めばどうにかなる、と聞きましたので……」

「はい。百パーセント解決できます」


 夜鷹さんはにっこりほほ笑む。

 人当たりの良い笑顔だが、私には不気味に感じた。

 視線を合わさぬよう顔を俯かせる私を気にせず、彼はペラペラと話し始める。


「人間ってめんどくさい生き物ですよねぇ〜。“家族を大切に”っていう教えに縛られているせいで、生きにくい生活を強いられるんですよ。家族、兄弟助け合いとか言いますが、実際はどうです? 面倒事の押し付け合いですよ。だぁれも助けてくれないんですよ。あっ、唯一の救いはしっかり話を聞いてくれる職員さんの存在ですね」


 まったくそのとおりだ。

 私は声に出さず、心のなかで肯定する。

 家族、兄弟は、あーだこーだ言うだけで行動をしない。

 どうしたらいいのかわからない、の一点張り。

 わからなかったら職員に聞けよ。

 私に聞いたって解決するわけねぇだろ、ボケが。


 はあーとため息をつく私を見て、夜鷹さんは笑みを深める。


「医療の進歩は大変素晴らしいことですが、結局長生きしたところでつらいだけですよね。脳梗塞から生還しても、麻痺が残ったり、痴呆症になったりしますし……」

「ぽっくりいけたら、ぽっくりいきたいですよ」

「ですよねぇ〜。ぽっくりいけたら、ぽっくりいきたいですよねぇ〜。そうすれば、こんな面倒な目に合わなくて済むんですから」


 私のぼやきを夜鷹さんは賛同してくれた。

 さて……と、夜鷹さんはうってかわって真剣な態度になる。


「私の管理する施設“家族愛センター”ですが……。まあ、“老人ホーム”です。ちょっと特殊な施設ですけどね」


 夜鷹さんは契約書を取りだし、私の目の前に掲げる。


「これにサインをすれば、あなたは二度と父親には会えません。それでもよろしいですか?」


 夜鷹さんに問われ、私は目を瞑って、父との思い出を振り返る。

 私の前では、良き父をやっていた父。

 だが、実際の父はお金の管理が出来ず、周りから借金をしていたクズ野郎。

 痴呆症になった父。「金を寄越せ」という父。

 誰も助けてくれない現状。


『会わないといつか後悔するよ』


 ふと、父親を先立たれた友人の言葉が脳裏に浮かぶ。


 だが、いまの私の心には響かない。


(――ごめん)


 私は契約書を手に取り、サインをした。



 私は、私の判断で、父に一生会わないと決めた。

 後悔はない。

 もし後悔するならば、それは数年後先になるだろう。

 とにかく、いまは楽になりたかった。

 ただ、それだけだ。

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