第2話 ミルク

 ソファーにはダニがいっぱいいそうで、本当に汚かった。俺の自宅も汚いけど、それの上を行くほどだった。ソファーのファブリックはシミだらけで不衛生な感じがした。小屋は手作りかと思うほど、下手な造りで、雨風を最低限しのげるくらいの代物だった。


 床は軋んでいるし、そのうち踏み抜いてしまいそうだ。


「どうぞ・・・」

 女はマグカップを持ってきた。お盆なんかはなくて、直に手に持っていた。中身は透明な白く濁った液体だった。ココナッツ・ミルクみたいな見た目だが、腹を壊しそうだった。

「ヤギのミルクです」

 女は言った。ヤギを飼ってるんだ。全然姿が見えなかったけど・・・。

 俺は一口飲んでみて、それがヤギの乳ではないことを感じた。

 生ぬるい。どちらかというと、人間の母乳みたいだった。

 多分、目の前の女が絞った乳だ。

 マグカップに直接入れたんだろうか・・・その様子が目に浮かんだ。

 とても飲む気がしなかった。


「どうですか?」女が笑顔で尋ねた。

「初めて飲みました。ヤギの乳なんて・・・。どうしてこんな不便なところに住んでるんですか?」

「私・・・実は誘拐されて連れて来られたんです」

「え?」

「1年ちょっと前に、知り合いの男に車で連れて来られて・・・」

「その人はどこにいるんですか?」今から戻ってくかもしれないじゃないか。俺は慌てた。

「もう、亡くなりました」

「どうして?」

「いきなり胸が苦しいと言い出して・・・」

「ああ、心臓発作ですか」

「はい」

「遺体は?」

「庭に埋めました」

「どうして逃げないんですか?」

「はい。どうやったら帰れるかわからなくて」

「赤ちゃんは?」

「男との間の子どもです」

「ずいぶん、大変な思いをなされたんですね」

「帰りたいんです。帰り道を知りませんか?」

「私も迷ってしまって・・・」

「携帯はお持ちじゃないですか?」

「あいにく・・・」

「そうですか・・・これからどうしましょう・・・」

 女はせっかくの希望を打ち砕かれたようで、はっきりとわかるほどに落ち込んでしまった。


「私をここに置いてもらえませんか?」

 俺は提案した。

「ええ・・・いいですよ」

 女は快く言った。この人と夫婦になって、ひっそりと暮らす。

 そういう人生もありのような気がしてきた。

 よく見るとかわいい・・・でも、歯は黄色くてガタガタだった。

「男ですから力仕事もしますよ。薪を割ったり、狩りにも行きますよ。ウサギとかいるんじゃないですか?」

「ええ・・・前は主人がよく取りに行ってくれました」


 奥では赤ちゃんが激しく泣いていた。

「赤ちゃんですか・・・いくつですか?」

「まだ1歳にならなくて・・・」

「大変な時期ですね。どっちですか?男?女?」

「女の子です」


 俺はときめいた。誘拐された女が生んだ女の子。世間には存在も知られていない子だ。そうだ、俺のものにしてやろう。


 次の瞬間、俺はリュックから包丁を取り出して、女の首に突き立てていた。

 俺は女の子のために生きることを決めた。揺らぎのない確固たる意思だった。

 目的は・・・口にするのが憚られるようなことだ。

 女はびっくりしていた。そして、口からも血を流した。


「ぐ・・・ぐ・・・ぐっ」

 そのまま女は包丁を抜こうとして、首を抑えていたが、ソファーに横たわり、数分で絶命した。


 俺は嬉々として、隣の部屋に駆け込んだ。

 持っているスマホの電源を入れて、帰り道を調べるんだ。

 女の子を抱いて帰る。

 すぐに、町でミルクやオムツを買おう。


 目の前にはベビーベッドに横たわる赤ちゃんが・・・・


 しかし、そこにあったのは別の物だった。


 ダブルベッド。


 その傍らには、テーブルがありノートパソコンが置かれている。

 画面を覗くと、YouTubeの赤ちゃんの泣き声動画が流れていた。


 ずっとオギャー、オギャーと泣いている。


 何であんな嘘を?俺は愕然とした。


 あの女・・・ネットで調べられるんじゃないか・・・外に連絡取れるんだから、助けを求めればいいのに・・・。ネットの代金は毎月どうやって払ってるんだ?

 

 その時、外から戸の開く音がした。そして、床をギシギシ言わせながら、誰かが歩いてくる。


「おい!どうしたんだ!」


 男の悲鳴が聞こえた。

 年齢は40くらいだろうか。

 

 その時、俺は悟った。

 あの女は誘拐されたんじゃない。

 頭がおかしいだけだったんだ。


 俺は窓から外に逃げようと向きを変えたが、後ろから怒鳴り声がした。


「この野郎!!!お前が殺したのか?」


 俺はその男に捕まってしまった。  

 やばい・・・会社に行けなくなってしまった。 

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ミルク 連喜 @toushikibu

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