慣れる理由も、そんな必要もなかったのに
雪川美冬
第1話
この世には価値ある人間とそうでない人間がいる。私こと、
私は捨て子で、物心ついたばかりの時には山奥の児童養護施設に居た。だけど、幾つの頃からかは忘れたけど、唯一血の繋がった8歳も上の兄に振り回されるようにして無断で施設を出て行った。兄と二人で色々なところを転々と回った。色々なことをした。貧しかったけど、とても楽しかったのを覚えてる。
それでも兄は、こんな生活に満足しなかった。貧しかったことを嫌った兄はギャンブルや闇金などと危ないことに手を出し始めたらしい。
気づいた時、私は一人ぼっちになっていた。
兄の最後の言葉は「ごめんな」と泣きながら呟かれたもので、どういう訳か記憶は朧げだった。次に覚えているのは、兄の姿は見当たらず、人相の悪い男女の人達に囲まれているところだった。服の隙間から刺青やら、大きな傷跡やらが見え、より一層、恐怖の感情が強くなった。
その人たちが言うに、どうやら私は借金返済が困難になったが故に人的担保として売り渡されたようだ。便宜上、私は心優しい人の支援の元養女として迎えられたことになっているらしい。だが実際はここいらの素行不良な人達をまとめているリーダー、
遠くの方には煙草の吸い殻がそこらかしこに酒瓶や空き缶が転がっていた。廃業した工場だからか誰も来ず、それをいい事に好き勝手に使っているようだった。(所有者様の実家が廃工場を買い取れるくらいには金持ちだとは、後で知った)
それから私は人ではなく道具に、サンドバッグに成り下がった。来る日も来る日も殴られ蹴られ、だんだん痛みには鈍感になっていった。
慣れって、怖い
ご飯は野良犬みたく外で拾ってきたり、床に放り投げ出されたお粥もどきを手で掬って食べた。最初は嫌で嫌でたまらなくて、ご飯を食べない日が多かったけど、用意されたものを口にしなければ無理矢理泥水と共に口に流された。だから、自分から進んで食べるようにした。そうすれば、もっともっと酷い目には合わないから。それに、日を増すごとに抵抗はなくなった。お腹の痛みさえ、空腹や満腹といった感覚さえもがわからなくなっていった。
慣れって、怖い
髪は定期的にハサミで切られるから、不揃いなショートヘア。昔の綺麗な長髪は面影すら無くなった。お風呂はボロ雑巾のような布を使って川で済ませた。寒いなんて思う暇さえなかった。風邪をひいたこともあったけど、それでも関係なしに私はサンドバッグとして殴られて、蹴られた。まだ11歳になったばかりだったからか、性的なことをされたことはただの一度たりともない。それが唯一の救いなのかもしれない。
慣れって、怖い
そして今日もまた、全身に傷がつけられる。右腕が数週間前から感覚がなくなってきているような、痛いような、そんな気がする。もしかしたら骨がやられてるのかもしれない。でもどうせ、病院に連れて行ってもらえないことなんて分かりきっているから痛みがよくわからない状態が一番楽。
慣れって、怖い
午前十時過ぎ、みんなが寝静まったり出かけたりしているうちに私は外の空気を吸いに廃工場を出た。外に出ると、鉛色の空からポタポタと幾億もの水滴が地面に向かってまばらに落ちて来る。どうやら今日は雨らしい。そういえばもう6月になる頃合い。梅雨入りが始まったと誰かが話していたことを思い出した。
「しばらくは川まで行かなくてもよさそう」
私は雨に打たれながら、廃工場周辺を歩き回った。特に理由もなければ目的も無い。ボロボロの布切れのような服から、泥水のようなものが滴り落ちて、実質泥布を着てるのかぁ。と思いながら彷徨った。最初は嫌だったはずなのに、ほとんど嫌悪感なんかが無いことに驚いた。
慣れって、怖い
「前原はさ、ここは敢えて
「さぁな。俺だって早くケリをつけたいけど、植え付けられた恐怖心には抗えないんだよ」
私は何と無しに声の聞こえる方へと赴く。廃工場が連なる施設を囲む鉄柵の向こう側で、その人たちは話していた。学校の制服らしいブレザーをきっちりと着こなし柵にもたれかかる黒髪の男の人とブレザーの代わりに橙のパーカーを着ている髪を染めた男の人二人組。
顔は見えなかったけど、背丈から考えるに私よりもずっと年上の人たちだろう。中学3年から高校生くらいだと思う。
「そういうもんか?」
「そーゆうもんだよ。ほずみんだってわざわざ俺に付き合ってこんなとこの様子見なんてしに来なくてもいいのに」
「あ、そう。じゃあ先帰ってる」
黒い髪の人はそそくさとその場を離れようとして、
「待て待て待て待てっ!そんなあっさり引くか?ふつう」
橙パーカーの人に引き留められていました。
何がしたいんだろう?あの橙の人
「いやだって僕邪魔みたいだから」
「邪魔じゃない邪魔じゃない。一人じゃこんなとこ怖くてもう二度と来れないだろうから、結構感謝してんだぜ?」
「でも、わざわざ来なくていいって」
「そりゃあ、ちょっとは悪いと思ってるから言っただけで……少しは粘ってくれるかと思ったし……」
めんどくさい性格。
「面倒臭いことするな」
「うっさいなー!」
なんだかんだ言いながらも中の良さそうな二人を見て、胸の奥底からモヤっとムカっとした。正直に言って、妬ましく感じた。
こんなとこにわざわざ来てまで、見せつけないでよ。私もあんな風に、普通に、過ごしたかった。
手を伸ばせば届きそうな距離。だけど、私には一生届きそうになかった。
もう、今日は戻ろう
私は鉄柵によりかかる二人の男の人をギロリと睨めつけるようにしてその場を後にした。居心地が悪かったからなのか、後ろめたさがあったからなのか、私は自分でも気が付かないうちに駆け足になって廃工場に戻った。
こちらに視線が向けられていることにも気づかずに。
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