リーフ・ムーン

立花零

1.召還

 葉月恭介はづききょうすけはスマートフォンを耳に当て、上司からの着信に応じる。また面倒ごとか、と落胆しつつ、机上の冷めたコーヒーを飲み干した。

〈葉月か〉

「はい、潤間うるま局長」

〈今は休暇中だったな。局の連中、お前がいなくて泣き出しそうだぞ〉

「何言ってるんですか。俺だってもう現役じゃないんです。必要とされる期間は終わりましたよ。それに、まだ三日でしょう」

〈おいおい、‘‘伝説の機密情報保守局員’’だろう?その身滅びようが、お前の名は必要とされ続ける〉

「...嬉しいのか面倒なのか、よく分かりませんね。それで、今日はどうしました」

 潤間の声色が変わる。深呼吸の気配がし、重要な事案が自分へ回ってきたのだと直感した。

〈召還依頼が出た。今すぐ局本部に出頭してほしい〉

 頭が真っ白になる。養成局の教官となった自分を、なぜ今更呼び戻すのか。

〈どうやら密守ミッシュ(機密情報保守局)が、相当ヘビーな事案にぶち当たったらしくてな。伝説の工作員を必要としている。迎えの車は到着している。地下駐車場だ。行ってやってくれ〉

「...分かりました」

 通話終了ボタンを押し、鏡を覗いてネクタイを直す。かつての職場で、いったい何が起こった?疑念を振り払い、荷物を押し込んだスーツケースを手にホテルの部屋を出る。

 地下駐車場へ通じる扉を開くと、スーツ姿の男女が立っていた。男が言う。

「葉月恭介様ですね。我々は‘‘本部付き’’です。お迎えに上がりました」

 本部付き。公安の非公開組織に所属する刑事が、仲間同士であることを確かめるために使う隠語だ。

「ああ、頼むよ」

 スーツケースを預け、二人に従って黒いハリアーに乗る。助手席に乗った女性局員が振り向き、タブレット端末を差し出してきた。見慣れた用語やデータが並ぶ中、局内部では語り草となった男の顔があった。出雲福男、外務副大臣補佐だ。

「今回の召還理由です。出雲福男いずもふくお...これより対象Iインディアと呼称します。彼には現在、機密情報を漏洩しようとした疑いがもたれています。内容は、頓挫した外務省特化部隊の設立構想です。そして漏洩先は...」

「ロシアか。面倒なことになっちまったなぁ」

「局員総出で対象Iを監視しています。現在は自宅にいますが、なにせ住宅街では下手な動きができないもので。機動戦術部隊の狙撃手スナイパーを設置しようとしても、うまく射線を確保できないんです」

「外出も許しているのか」

「はい。悟られないように局員を設置していますが、隙をついて資料が渡される可能性もあります」

「監視はいつから」

「三日前です。特化部隊の資料にコピーされた形跡が見つかり、機器のキャッシュを調べたところ対象Iが。また、数週間前から不審な動きを見せていたことも確認されています」

「さっさと撃っちまえばいいだろ。外出しているなら、偽の犯人を用意してAWMで頭をトバして状況終了だ。機動戦術部隊だって、予算が減ったとはいえ狙撃スキルを失くしたわけじゃあるまい」

「そうはいきません。道端で突然暗殺しても、コピーされた資料の所在を確保しなければ」

「そこで俺の出番か...」

「狙撃といったハード・オプション的な支援はできないため、葉月さんはバディと行動していただきます。対象Iを拘束し、資料を確実に回収してください」

 そこで会話が止まる。

「バディ...?」

「俺のことです」

 ハンドルを握る男性局員が、不愛想に言う。女性局員が言葉を繋いだ。

「局内では‘‘ランサー’’と呼ばれています。あなたの再来だ、とも」

「よろしくお願いします」

「ランサー...?名前を教えてくれ」

「その必要はないと考えます。俺はその名前で十分です」

「お前はよくても、俺と作戦が困るんだ。名前で呼び合う程度でないと...」

「もうすぐ局本部です。準備を」

 ランサーに会話を切られる。女性局員にタブレット端末を返却し、中央合同庁舎第二号館の駐車場に目を向けた。いつかのアニメ映画ではヘリに攻撃されていた庁舎。休暇を取って三日目、これほど早く戻ってくるとは思わなかった。

「局本部への出頭要請らしいが、俺から話すことはないぞ」

「ブリーフィングを行います。機密情報保守局長と養成局長がお待ちです」

五野いつのさんと潤間さんか。あの二人、反りが合わないよなぁ。喧嘩されても困るよなぁ。行かなきゃダメかなぁ...」

「行きますよ」

 ランサーにせっつかれ、渋々後部座席から腰を上げる。吹き抜けた風には夏の香りが残っており、十月の訪れをより実感させた。

 北玄関より庁舎内に入り、半年の間に新設されたゲートに専用カードをスキャンさせて認証を受ける。二人と共にエレベーターで十八階へ。

「二人はどこに」

「局本部です...時間が押してますね」

「マジかよ。怒られるかなぁ」

 先行する女性局員が扉を開き、国家公安委員会内部でも隠匿されている空間に入る。何もない真っ白な空間...というのは間違いであり、ここを抜けた先に、公安の五つの秘匿機関の統べる‘‘局本部’’がある。そのため、この空間自体が巨大な複合セキュリティ・システムであり、入ったものの服装・顔・持ち物をスキャンするのだ。

「全員の所属・氏名の認証に成功しました。カードを読み込ませて先へ進んでください」

 無機質なアナウンスが流れ、ランサーが壁の機械にカードを入れる。その横にある扉が開いた。

「行きましょう。二分間の遅刻です」

 扉の奥へ足を踏み入れる。会議室には、見知った顔が二つ並んでいた。機密情報保守局長・五野淳いつのじゅんと、養成局長・潤間健介うるまけんすけだ。

「遅いぞ」

「申し訳ありません」

 五野の小言が漏れ、ランサーがそれに応じた。

「久しいな、葉月。養成局へ行くと言い出した時には、俺も心底驚いたものだが...」

「お久しぶりです、五野局長。相変わらずお元気そうで」

「フン、いざとなったら部下に殺しを命じる身だ。健康を害するわけにはいかない。これがブリーフィング資料だ」

 女性局員を経由し、纏められた三枚のコピー用紙が手元に収まる。中身は車内で見たものとほぼ同じで、使用が許可された装備品が書き込まれている。

「ところで葉月、外務省特化部隊については知っているか」

 潤間からの質問が飛ぶ。

「頓挫した対外防諜作戦部隊、としか」

「その通りだ。あとは人員の養成だけ、というところまでは行ったが、肝心の予算を打ち切られた。公安と情報本部市ヶ谷だけで手一杯、という理由だったが、実際はアメリカに予算を没収されたに等しい」

「没収...ですか」

「在日CIA経由で真意を聞くには、これ以上日本に諜報機関を作らせるわけにはいかないらしい。飼い犬に手を噛まれるのを恐れているのさ。全く、‘‘かの国アメリカ’’らしいよ。世界の警察を自負しておきながら、その手綱を握るのは恐怖だけだ」

「しかし、解せませんね。出雲...対象Iが、その情報を売ろうとする理由が。彼は外務副大臣補佐でしょう」

「奴らは...上に居座る役人は魔物だ。頓挫した秘匿機関の構想を平然と売って、私腹を肥やそうとする。我々のような機関のメンバーからは考えられんことだがな」

「...」

「だから葉月、そしてランサー。売国行為が己に何をもたらすか、奴に教えてやれ。殺せとは言わない。確実にコピー資料を確保するんだ、いいな」

「了解。状況を開始します」

 ランサーは低く言葉を返し、局本部を後にする。葉月は軽く会釈し、「了解」とだけ言って彼を追う。

「どこに行くんだ」

「対象Iの自宅です」

「乗り込む気か」

「まさか。監視担当と落ち合うんですよ」

「装備は」

「現地で引き継ぎます」

「引き継ぎだぁ?」

 素っ頓狂な声が出てしまう。

「何言ってんだ。担当局員も待機局員も、全員が装備を固めるのは常識だろうが」

「無茶言わないでください。こっちも役所なんですよ」

「役所なのは百も承知だ。だがチャカまで使いまわすってのはどういうこったよ。局内で保有数を減らしたわけでも...」

「もう、あなたがいた頃の局じゃないんですよ」

 ランサーが足を止め、ぴしゃりと言い放つ。

「七年も前の話でしょう、組織だって変わります。局本部の人員入れ替え以来、装備品の持ち出し可能数が決まったんですよ」

「...」

「一つの事案につき、持ち出し可能な装備は一種類当たり五つまで。そうなると、担当局員の数だって限られてきます。機動戦術部隊を配置できないのだって、それが根底にあるんですよ」

「ほかの局もか?」

「もちろんです。局本部が決めたことですから」

「...イカれてやがる」

「同意します」

 彼は再び背中を向け、歩き出す。

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