リーフ・ムーン
立花零
1.召還
〈葉月か〉
「はい、
〈今は休暇中だったな。局の連中、お前がいなくて泣き出しそうだぞ〉
「何言ってるんですか。俺だってもう現役じゃないんです。必要とされる期間は終わりましたよ。それに、まだ三日でしょう」
〈おいおい、‘‘伝説の機密情報保守局員’’だろう?その身滅びようが、お前の名は必要とされ続ける〉
「...嬉しいのか面倒なのか、よく分かりませんね。それで、今日はどうしました」
潤間の声色が変わる。深呼吸の気配がし、重要な事案が自分へ回ってきたのだと直感した。
〈召還依頼が出た。今すぐ局本部に出頭してほしい〉
頭が真っ白になる。養成局の教官となった自分を、なぜ今更呼び戻すのか。
〈どうやら
「...分かりました」
通話終了ボタンを押し、鏡を覗いてネクタイを直す。かつての職場で、いったい何が起こった?疑念を振り払い、荷物を押し込んだスーツケースを手にホテルの部屋を出る。
地下駐車場へ通じる扉を開くと、スーツ姿の男女が立っていた。男が言う。
「葉月恭介様ですね。我々は‘‘本部付き’’です。お迎えに上がりました」
本部付き。公安の非公開組織に所属する刑事が、仲間同士であることを確かめるために使う隠語だ。
「ああ、頼むよ」
スーツケースを預け、二人に従って黒いハリアーに乗る。助手席に乗った女性局員が振り向き、タブレット端末を差し出してきた。見慣れた用語やデータが並ぶ中、局内部では語り草となった男の顔があった。出雲福男、外務副大臣補佐だ。
「今回の召還理由です。
「ロシアか。面倒なことになっちまったなぁ」
「局員総出で対象Iを監視しています。現在は自宅にいますが、なにせ住宅街では下手な動きができないもので。機動戦術部隊の
「外出も許しているのか」
「はい。悟られないように局員を設置していますが、隙をついて資料が渡される可能性もあります」
「監視はいつから」
「三日前です。特化部隊の資料にコピーされた形跡が見つかり、機器のキャッシュを調べたところ対象Iが。また、数週間前から不審な動きを見せていたことも確認されています」
「さっさと撃っちまえばいいだろ。外出しているなら、偽の犯人を用意してAWMで頭をトバして状況終了だ。機動戦術部隊だって、予算が減ったとはいえ狙撃スキルを失くしたわけじゃあるまい」
「そうはいきません。道端で突然暗殺しても、コピーされた資料の所在を確保しなければ」
「そこで俺の出番か...」
「狙撃といったハード・オプション的な支援はできないため、葉月さんはバディと行動していただきます。対象Iを拘束し、資料を確実に回収してください」
そこで会話が止まる。
「バディ...?」
「俺のことです」
ハンドルを握る男性局員が、不愛想に言う。女性局員が言葉を繋いだ。
「局内では‘‘ランサー’’と呼ばれています。あなたの再来だ、とも」
「よろしくお願いします」
「ランサー...?名前を教えてくれ」
「その必要はないと考えます。俺はその名前で十分です」
「お前はよくても、俺と作戦が困るんだ。名前で呼び合う程度でないと...」
「もうすぐ局本部です。準備を」
ランサーに会話を切られる。女性局員にタブレット端末を返却し、中央合同庁舎第二号館の駐車場に目を向けた。いつかのアニメ映画ではヘリに攻撃されていた庁舎。休暇を取って三日目、これほど早く戻ってくるとは思わなかった。
「局本部への出頭要請らしいが、俺から話すことはないぞ」
「ブリーフィングを行います。機密情報保守局長と養成局長がお待ちです」
「
「行きますよ」
ランサーにせっつかれ、渋々後部座席から腰を上げる。吹き抜けた風には夏の香りが残っており、十月の訪れをより実感させた。
北玄関より庁舎内に入り、半年の間に新設されたゲートに専用カードをスキャンさせて認証を受ける。二人と共にエレベーターで十八階へ。
「二人はどこに」
「局本部です...時間が押してますね」
「マジかよ。怒られるかなぁ」
先行する女性局員が扉を開き、国家公安委員会内部でも隠匿されている空間に入る。何もない真っ白な空間...というのは間違いであり、ここを抜けた先に、公安の五つの秘匿機関の統べる‘‘局本部’’がある。そのため、この空間自体が巨大な複合セキュリティ・システムであり、入ったものの服装・顔・持ち物をスキャンするのだ。
「全員の所属・氏名の認証に成功しました。カードを読み込ませて先へ進んでください」
無機質なアナウンスが流れ、ランサーが壁の機械にカードを入れる。その横にある扉が開いた。
「行きましょう。二分間の遅刻です」
扉の奥へ足を踏み入れる。会議室には、見知った顔が二つ並んでいた。機密情報保守局長・
「遅いぞ」
「申し訳ありません」
五野の小言が漏れ、ランサーがそれに応じた。
「久しいな、葉月。養成局へ行くと言い出した時には、俺も心底驚いたものだが...」
「お久しぶりです、五野局長。相変わらずお元気そうで」
「フン、いざとなったら部下に殺しを命じる身だ。健康を害するわけにはいかない。これがブリーフィング資料だ」
女性局員を経由し、纏められた三枚のコピー用紙が手元に収まる。中身は車内で見たものとほぼ同じで、使用が許可された装備品が書き込まれている。
「ところで葉月、外務省特化部隊については知っているか」
潤間からの質問が飛ぶ。
「頓挫した対外防諜作戦部隊、としか」
「その通りだ。あとは人員の養成だけ、というところまでは行ったが、肝心の予算を打ち切られた。公安と
「没収...ですか」
「在日CIA経由で真意を聞くには、これ以上日本に諜報機関を作らせるわけにはいかないらしい。飼い犬に手を噛まれるのを恐れているのさ。全く、‘‘
「しかし、解せませんね。出雲...対象Iが、その情報を売ろうとする理由が。彼は外務副大臣補佐でしょう」
「奴らは...上に居座る役人は魔物だ。頓挫した秘匿機関の構想を平然と売って、私腹を肥やそうとする。我々のような機関のメンバーからは考えられんことだがな」
「...」
「だから葉月、そしてランサー。売国行為が己に何をもたらすか、奴に教えてやれ。殺せとは言わない。確実にコピー資料を確保するんだ、いいな」
「了解。状況を開始します」
ランサーは低く言葉を返し、局本部を後にする。葉月は軽く会釈し、「了解」とだけ言って彼を追う。
「どこに行くんだ」
「対象Iの自宅です」
「乗り込む気か」
「まさか。監視担当と落ち合うんですよ」
「装備は」
「現地で引き継ぎます」
「引き継ぎだぁ?」
素っ頓狂な声が出てしまう。
「何言ってんだ。担当局員も待機局員も、全員が装備を固めるのは常識だろうが」
「無茶言わないでください。こっちも役所なんですよ」
「役所なのは百も承知だ。だがチャカまで使いまわすってのはどういうこったよ。局内で保有数を減らしたわけでも...」
「もう、あなたがいた頃の局じゃないんですよ」
ランサーが足を止め、ぴしゃりと言い放つ。
「七年も前の話でしょう、組織だって変わります。局本部の人員入れ替え以来、装備品の持ち出し可能数が決まったんですよ」
「...」
「一つの事案につき、持ち出し可能な装備は一種類当たり五つまで。そうなると、担当局員の数だって限られてきます。機動戦術部隊を配置できないのだって、それが根底にあるんですよ」
「ほかの局もか?」
「もちろんです。局本部が決めたことですから」
「...イカれてやがる」
「同意します」
彼は再び背中を向け、歩き出す。
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