第92話 聖騎士クロード②

 気がつくと、そこは見慣れぬ世界だった。

 奈落の谷へと落ちてしまった自分は、もしかしたら死後の世界へ来てしまったのかも知れない。

 どこともわからない森の中、クロードは着るものもなく辺りをさまよう。

 やがて小川が見えてきて、せめて喉を潤そうとそこを覗き込んだとき、


「――――な……なんだこの子供は……?」


 水面に映るどこか見覚えのある少年。

 それが幼くなった自分の姿だということに気づくまで、そしてその奇妙な現実を受け入れるまで、かなりの時間を使わなければいけなかった。


「私は……いったい、どうなってしまったんだ……?」





 ――――…………それから15年。


 この日本という世界にもすっかり慣れた。

 孤児院を出てトラックドライバーとして働き、いまや立派な社会人だ。

 今年で25歳になった。

 もちろん戸籍上の話だが。


 クロードの中ではもう40歳のつもりであった。


 この世界に落ちてくる前の、聖騎士であった頃の自分がまるで夢のようだった。

 しかしあの世界で過ごした時間は決して夢でも幻でもなく、現実だと言うことはただ一人、自分だけが使える聖魔法が証明してくれている。


 15年前、あの谷に落ちて自分は死んだのだろう。

 そしてこの死後の世界で再び子供として生を授かり、人生をやり直した。

 この世界の人間たちもみな、同じ境遇の者たちなのだろうと最初は思っていたが、前世の記憶を持っているのはどうやら自分だけらしく、これはどういうことなのか、しばし運命を考える時期はあったが、しだいに考えるのを止め勉学と労働に没頭した。

 そして今日この日、クロードは自分の運命を再び考えさせられることになる。

 たまたま運んだ荷物の中に、見覚えのある箱を見つけたからだ。


『ビタットスメクタ・アルファB錠』


 誰かが乱暴に扱ったのだろう、少し破れてしまっているダンボールの隙間からその市販薬のパッケージが見えていた。


 この名前……どこかで見た覚えが……。


 クロードは積み下ろし途中の荷台の中で考え込んでしまう。

 中継所のアルバイトに急かされて思考を止めてしまうが、どうにもその名前が頭の端に引っかかって離れない。

 そして翌日。

 帰りの荷物を詰め込み、東京まで戻るべく近くの村を通りかかったその時、


 ――――バリッ!!

「――っ!?」


 と、突然、魔法の気配を感じた。

 実に15年ぶりに感じた背筋を刺すような冷たい感覚。

 同時に、引っかかっていた記憶が戻る。


『ビタットスメクタ・アルファB錠』


 ああ、あれはあのとき、生前の世界で見た――――秘薬の切れ端。

 鮮明に思い出した。

 そして窓の外に光る緑色の怪しげな光。


「あれは……魔族が使う暗黒魔法!?」


 トラックを急停車させ、地に降り立つ。

 後続車からのクラクションが鳴り響くが、構っていられない。

 電柱から電柱へ、流れるプラズマのように移り輝くその光は、かつて戦場で嫌になるほど見せられた。

 さらに感じる強大な魔力。


 ――――帝国暗黒神官長ジル・ザウザー。


 帝国屈指の魔法の使い手。あの裏切り者の気配がビンビンに伝わってきた。

 そしてその弟子、宿敵アルテマの気配までも。


「は……はははははは……ははは」


 クロードはすぐに消えてしまった光の跡を見つめ、呆けたように笑った。


「おい、兄ちゃん!! こんなところに馬鹿でかいトラックなんて停めてんじゃねぇよ、後ろが通れねぇだろうがよ!!」


 気の短そうな中年が後続の車から降りてきて、クロードの肩をつかむ。

 クロードは振り返ると、


「ああ、すまない。だが俺は……失ったと思っていた自らの使命を……たったいま見つけだした」


 そう言って会社のロゴが入った帽子を脱ぎ捨てる。


「な!? お、おめぇ……その耳……」


 中年は帽子の下から出てきた、人ならざる長い耳を見つめると、言葉を失う。


「ああ、気にするな。……これは我が祖国、聖王国民エルフ族が持つ由緒正しき長耳だ。俺の名はクロード・リ・ハンネマン。聖王国ファスナに使える栄えある聖騎士よ」

「聖騎士……て、おめぇ頭でもいかれてんのか!?? お、おいどこ行くんだ!! トラックをどかせって言ってんだよおい!!」

「そんなもの、欲しけりゃくれてやる。好きに使え」

「好きに……っておい、アホ言ってんじゃねぇ鍋かヤカンじゃねぇんだ、やると言われてもおい!! 聞いてんのか馬鹿野郎!!」


 そんな中年の怒鳴り声を無視して、クロードは光の終着点へと歩いていった。





「ぶほっ!! えほえほっ!! ごほんっ!!」

「だ、大丈夫アルテマちゃん!?」


 お昼のカレーをぶちまけて。むせ込みもがくアルテマ。

 正面には、飛び散ったご飯粒を顔中に張りつかせ仏頂面のモジョ、無表情のヨウツベ。えびす顔のアニオタが教室机を挟んで座っていた。


「い……いや、なにか……ものすごい悪寒というか……思い出したくない気配を感じてな」


 ゾゾゾと背筋を震わせ、青ざめた顔で両腕をさする。

 そんなアルテマの脳裏には一人の耳の長い若造の顔が一瞬だけ浮かぶ。


「思い出したくない気配……?」


 なんじゃらほいと首をかしげるぬか娘。


「いや、きっと気のせいだ……私も疲れているんだ、そんなこと、ありはしないはずだからな、ははは……」


  せっかくのカレーが台無しだと誤魔化し笑って頭を振り、嫌な予感を振り払うアルテマ。

 そんな予感がまさか的中しようとは……この時点ではまだ思ってもいなかった。

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