アカナメ次郎の怪キ録 ー 足洗い邸の三本足 ー

一矢射的

前編



 時刻は深夜、ちょうど日が変わろうと言う頃合であった。

 自動ドアが音もなく開き、営業が終わったばかりの複合サウナ施設に青年がひとり足を踏み入れた。彼は店内を見渡すと、ゴクリとツバを飲み込んだ。一部の明りだけを残して消灯済みのホールは、大の男をもひるませるどこか異様な雰囲気を漂わせていた。耳を澄ましても聞こえるのは自動販売機の蛍光灯が明滅する音ばかりだった。


 昭和の昔には番台と呼ばれたであろう、ニス塗りの木製フロントデスクが青年の行く手に立ち塞がった。歩み寄れば、そこでは背の高い男が顔に雑誌を被せながら居眠りの最中であった。椅子の背もたれによりかかって、よくぞこんな場所で眠れるものだ。青年は不自然な体勢で眠る係員に感心すらした。


 だが、この青年もわけがあってココを訪れたのだ。

 受付が寝ているぐらいで、怖気づいて帰るわけにはいかなかった。


「あの、ちょっといいかな?」


 青年が居眠りの受付に声をかけると、男のイビキと蠕動ぜんどう運動が止まった。

 顔に本を載せたまま、ぐうたらな受付が口を開いた。


「営業なら、もう終わったよ」

「判っているよ。そうじゃなくて、別の用事があるんだ。聞いているぞ、受付でコレを見せれば良いんだろう?」


 青年が見せたのは、一枚のカードだった。

 そこには「シーツの幽霊が舌を出すマーク」が描かれていた。


 それを見た途端に受付の態度がガラリと変わった。

 雑誌を振り払い、起き上がって青年の顔をマジマジと見つめた。

 そして一言。


「聞いているのはそれだけ? 合言葉があるだろう?」

「超常現象について相談があるんだ」

「ほう。悪くないね、話を聞こうじゃないか」


 身を乗り出し、両肘をカウンターについた男は随分と謎めいた風体ふうていをしていた。サウナ施設のユニフォームなのだろうか、紺色の作務衣の上下を身につけ、スポーツ刈りの頭にはねじり鉢巻きを締めていた。


 両肩には純白のヒモでたすきがけをほどこし、さっきまで惰眠だみんむさぼっていたとは思えぬほどにあか抜けていきな服装だった。


 それでいて瓢箪ひょうたんみたいなのっぺりした顔には『不思議の国のアリス』に登場するチェシャ猫を連想させる笑みを湛えていた。切れ長の目は猫のように細く、こちらも猫っぽかった。

 粋にこだわるイケメンの優男。それが青年の感じた第一印象であった。


 江戸っ子気質の優男は、どこかおどけた口調で言った。


「誤解しないで欲しいのは、ウチの場合いわゆる『妖怪退治屋』じゃないってことだね。モメ事の相談は受け付けているけど、必ずしも妖怪を退治して終わりにしない。むしろ、真逆の結末を迎えることも多々あるんだけど。その点を了承してもらえるかい? 依頼人の兄ちゃん?」

「構わないよ、俺はアンタに紹介して欲しい相手がいるだけだから」

「ほほう。その心は?」

「この街のどこかに『どんな人間でも裏稼業から足を洗える』古屋敷があると聞いた。そこへの行き方を教えてもらいたい」

「成程ねぇ。その若さで足を洗いたいとは。アンタ、おヤクザさん?」

「チッ、半グレのメンバーだよ。お互い様だろ、すねきず持ちなのは」

「ごもっとも、申し遅れたね。こちとら、こういう者なんだ」


 優男が作務衣の懐から指で挟んで取り出したのはド派手な名刺だった。

 地の色が赤で、そこに金縁きんぶちの文字が浮き上がって見えた。

 まったく悪趣味としか言いようがなかった。


『サウナ極楽堂 サービス課 裏主任 アカナメ次郎』


 青年はそれを読んでまゆをしかめると、吐き捨てるように名乗った。


「俺は、山崎純平。関東夜叉連合のメンバーで脱法ハーブの密売をやっていた」

「へぇ、ご立派」

「からかうな。いつ警察にパクられてもおかしくない。半端な覚悟で務まる仕事ではないんだ。それに脱法といっても日本で認可されていないだけで、外国では一般に流通している安全な品だから。用法を守れば命の危険はない」

「ほう、そうかい。仕事に嫌気が差していないのなら、足を洗う必要もないだろう? 仲間に報復される危険を冒してまでするなって話」

「それが、そうはいかない事情があって。どうしてもカタギに戻らねばならない」

「へぇ、どんな?」


 赤面した山崎青年がたどたどしく理由を語って聞かせると、アカナメは若干瞳をうるませて、グスンと鼻を鳴らした。

 ただし、その様子は少々大袈裟で演技くさかった。


「てやんでい。この野郎、えらく泣かせるじゃねーか」

「嘘偽りは、ご法度はっどだと聞いている。今の話が真実である事を心より誓おう」

「人に非ざる者たちは嘘つきが大嫌いでね。まっ、良いでしょう。差し迫った事情があるのなら教えてやるよ。ただし、どんな危険に遭おうと自己責任だからな」

「妖怪変化と取引しようというんだ。リスクは覚悟しているよ、アカナメさん」

「肝の太い野郎だ、ますます気に入ったぜ。ただし『足洗い邸』に行きたければ住所だけ知っていようが無駄な事だぜ。きちんと『訪問の作法』って奴を心得てないといけねぇのさ」

「作法?」

「普通じゃねーのよ、アソコは。その太い肝によく銘じておくこった」



 ――



 『足洗い邸』とは本来、東京の墨田区に伝わる「本所七不思議」の一つだった。

 『置いてけ堀』の仲間と聞けば、おおかた察しがつく怪異であった。(あいにくと有名なのは、この二つだけだが)


 そう、かつてはその近辺に怪異の出る武家屋敷が実在したのだ。

 けれど、時代が進むうちに古い建物は取り壊されてしまい、現在の墨田区はコンクリートのビルとモダンな邸宅が並ぶ近代都市へと変わり果ててしまった。

 そもそも、令和の東京にそんな化け物屋敷が残存するならSNSで話題にならないわけがなかった。


 しかしながら、だからといってあらゆる妖怪変化がこの東京から消え失せたのかと言えば、そういうわけでもなかった。


 彼らは、決して人目に触れぬ隠れ里マヨヒガとも言うべき独自の縄張りを堅持し、人間とは異なる別次元にて息をひそめているのだった。

 例えば、ビルの地下一階と最上階が同じ住所の土地に収まっているように……妖怪の隠れ家と住宅街は矛盾することもなく同じ場所で共存していた。


 その霊的に異なる階層へと人間が入り込むのであれば、必然的に求められるのがアカナメの語った『作法』であった。

 情報を聞き出した山崎は三日後に教わった手順を実行へ移した。


 やってきたのは北斎通りのK沢四丁目交差点。

 やたら霧の立ち込める不気味な晩だった。道路沿いにあるのは中学校の校舎と商店の看板くらいで、古めかしい建物はどこにも見当たらなかった。


 騙されたのではないのかといぶかしみながらも、山崎は交差点を横切った。


『しかるべき日、しかるべき時、異界の入り口である交差点を四度訪れ、四縦五横に手印を切りながら九字を唱えるべし』


 四度訪れるとは、交差点に入っても立ち止まらず「一度は通り過ぎてまた別の道より四つつじを訪れること」を指していた。それぞれの道から四回。四度目にようやく足を止め、陰陽道に伝わる退魔の儀式を行えば道が開けるという話だった。


 人差し指と中指を立て、縦に四回、横に五回、手刀を切った。

 そして、邪気を退ける呪文を山崎は口にした。


臨兵闘者皆陣列在前りんびょうとうしゃかいじんれつざいぜん急急如律立きゅうきゅうにょりつりょう


 すると、不意に立ちくらみがして霧が引いていった。

 山崎が頭を振って立ち上がると、はたして屋敷はそこにあった。


 半ば崩れかけ、屋根瓦にコケが生えた武家屋敷。向かいには中学の校舎があるというのに、住宅街の一角だけが江戸時代に逆戻りしていた。

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