エルフの国の耳かき棒


最近、温かくなってきましたね。中村宗次郎です。

朝のロック鳥の鳴き声が少し大きくなっています。お隣のベナリさんが言うには卵を産む時期が近付いているそうです。ロック鳥は100年に1回しか卵を産まないので、この時期だけなのですが、朝がうるさいのは少し辛いですね。とはいえ、ロック鳥も子孫を残さないといけないのですから文句を言っても始まりません。

少し眠い日が続いているのですが、今日もお仕事が始まります。




「ああ、ロック鳥か。ナカムラは初めてだったか?」


そのことを教えてくれたのはドワーフのボノボムさんです。

ドワーフは小柄でずんぐりむっくりな体型をした種族です。手先が器用で鍛冶が得意なのは日本でのファンタジー小説のイメージ通りですね。エルフの国の隣がドワーフの国ということもあり、比較的よく見かける種族でもあります。

今日はボノボムさんにはお願していた耳かき棒を持ってきてもらったのです。


「これからもっとうるさくなるぞ。つがいの雄がやってくるからな」


その台詞にげんなりします。ジャンボジェット並の大きさの鳥が二羽。種族繁栄は大事ですが、もう少し近所迷惑にも気を使ってくれないでしょうか?

皆思っているのだそうですが、この国の守護神なのでどうにもならないそうです。


「まぁ、おめでたいもんだと思って我慢しろい」


オレの気も知らずガハハと笑います。ちなみに雛が孵れば祝賀の儀が行われるらしいです……現時点では五月蠅いだけの鳥ですが。

産んでかえるまでは数年がかかるそうですが、番でいる時期は卵を産むまでなので、半年ほどの我慢です。

半年……お姫様の出産時期と重なります。

あれ? 何だか悲しい気持ちになってきました。


「おい、どうしたナカムラ?……目から汗? 何を言っているんだ??」


いけません。

動揺してしまったようです。

ボノボムさんに心配をかけてしまいました。


「まぁ、いい。それよりも約束のものだ」


そういってボノボムさんは革製のケースから3本の棒を取り出しました。

1本目は真っすぐな棒の先端が浅いスプーン状になったもの。

2本目は深いスプーン状になったもの。

3本目は軸が他のものより太く、スプーンの部分も厚く、深くなっています。

3本とも形が微妙に違うのですが、共通しているのはキラキラと赤みがかった銀色に輝き、持ち手の部分に植物の蔓を模した細工が施されているところです。


「どうだい?」


とてもいいです。

何より綺麗です。


「細工の部分は俺の趣味だ」


とてもいいです。

美しいです。


「そいつは良かった。しかし、分からねえな。耳の穴かっぽじられるってのは、そんなに良いもんなのかい? うちの家内はエラく気に入ってるようだが」


ボノボムさんは不思議そうな顔をします。

もともと厳(いか)めしい顔にさらに皺が寄っています。

この品物も奥さんに頼まれたから受けたけど、正直よく分からない注文が来たと思って作ったのでしょう。


「まぁ、そうだな。貸してもらった木製の耳かき…だったか? それをそのまま見て作ったんだが、正直用途が分からんからなぁ、形だけはそのまま造れたんだが」


どうやらボノボムさんはこの耳かきの出来に満足いっていないようです。

形は作ったが『魂は入っていない』と言う所でしょうか?


「ほう…魂か、上手い言い回しだな。そんな感じだ」


妙に満足した顔でボノボムさんが首肯します。どうやらこの世界では一般的な言い回しではなかったようです。

ちなみにこの世界は日本語ではなく異世界語がちゃんと喋られています。オレは何故か自動翻訳されて聞こえるのですが、喋っている言葉と相手が聞いている言葉がたまに違うのではないかと思うときがあります。

魂という概念がこの世界でもあるのか理解しきっていないのですが、とりあえず気に入ってもらえたようでほっとします。もっとも耳かきという概念さえなかったのですから、意思疎通が難しいのも仕方がありません。


「何だ? その耳かきってのを知らないのは、ナカムラからするとそんなに不幸なことなのか?」


あ、まずいです。

そういうつもりで言ったわけじゃないんですが、曲解されてしまったようです。


「そうかい、じゃあ、このオレにも、その耳かきってのを体験させてもらおうか。そんなに好いものなら、今回の代金はただでいいぜ」


何やら妙なことになってしまいました。こういうときルナラナがいれば間に入ってくれるのですが、ルナラナは今、銀行に行ってくれているので店にはいません。

仕方ありません。

ここは耳かき屋として、満足して帰ってもらうしかないでしょう。ボノボムさんに横になってもらい、オレは耳かきを構えます。もちろん今、持ってきてもらったばかりの新しい耳かきです。

今日に限って言えば、これを使って満足してもらわなければ意味がありません。ボノボムさんは形だけだと言っていましたが、新品の耳かきは金属なのに温かみがあり、手にしっかりと馴染みます。

これはミスリルと呼ばれる金属で造られている耳かきです。ゲームでお馴染みのミスリルです。この金属は合金にすると性質が大きく変わるという特徴があります。

オレが頼んだのは熱伝導がよく、柔らかい感触の金属という注文です。この合金の配合はドワーフの秘伝なので、何の合金か教えてもらえませんでしたが出来上がったものの感触は非常に良いものです。

これならボノボムさんも満足してくれるはずです。

今回はシンプルに耳かきの良さだけを知ってもらいたいので、小細工はなしでいきなり耳かきを耳に入れていきます。


オレは仰向けになっているボノボムさんの耳に狙いを定めました。

ドワーフの耳は日本人の耳とよく似ています。耳の先が少し尖った感じがしますが、エルフのように長くはありません。だからこそ、耳かきの好さも分かってくれるはずです。

耳かきをしたことがないというだけあって、ボノボムさんの耳にはかなりの量の垢が溜まっています。

まずは耳の入口から掃除していきましょう。ゆっくりと耳孔に耳かき棒を滑り込ませ、耳毛の先についた埃や垢を落としていきます。


「うおっ! なんだこりゃ!」


耳毛の先を触られるというのはもちろん初めての経験なのでしょう。屈強なドワーフのボノボムさんが驚きの声をあげます。でもあまり動くと危険です。


「ああ、悪いな。いや…別に痛かったわけじゃないんだ。続けてくれ」


その顔はすでに興味津々です。すぐにでも再開して欲しいのでしょう。

次は最初から我慢するつもりなのか、すでに歯を食いしばっています。

ですがあまり緊張しながら受けるのもよくありません。まずはこの緊張をとってあげるようにしましょう。


作戦を変更して、次は耳介の部分を掃除していきます。持ってきてくれた一番太いタイプの耳かきをそっと耳介の溝に沿わせると少しずつ動かしていきます。

あまり強くすると逆効果なので、掻きだすというより揉むイメージで動かします。この動きのときは分厚めの匙のほうがやりやすいのです。

ゆっくり押すように耳をマッサージしてあげると、先ほどまで食いしばっていたボノボムさんの口元が少しずつ緩んでいきます。上の歯と下の歯が離れ、頬や首に入っていた力が抜けるのを確認すると、オレは再び細い耳かきに持ち替えます。


再び入口の方から耳にたかった垢を落としていきます。乾燥タイプの垢なので耳かき棒を入れるたびにボロボロ落ちていきます。もしこれが粘質タイプの垢なら耳かきよりも綿棒の方が有効なので、これはボノボムさんにとって幸運なことでした。せっかく自分で作った耳かき棒なのですから、その使い心地を味わって欲しいのです。


耳の中でクルリと耳かき棒を回すと、ボノボムさんの口から「おぉ」や「うぉ」という声が漏れてきます。驚いてはいますが痛そうではありません。やはり夫婦というべきか奥さんと反応が似ています。


さぁ、これで入り口部分はOKです。奥の方にとりかかりましょう。

奥は一番匙の薄い耳かき棒を使います。ボノボムさんの耳の奥には長年かかって溜まっていた耳垢が地層のように重なっていますので、その堆積した垢の層を一枚一枚剥がすようにして匙の先で削っていきます。

少しずつ、少しずつ、きっとボノボムさんの耳の中ではカリカリと音が鳴り響いていることでしょう。


「うお! 凄い音だな」


ほら、やっぱりです。


「いや、痛くないんだ。しかし、コイツは……いいものだな。家内の気持ちが分かってきたぜ」


ボノボムさんは声をあげて唸ります。最初はガチガチに固まっていたボノボムさんですが、最後にはすっかりリラックスした気持ちで耳かきを受けてくれました。

自ずと口も軽くなり、家庭のこと、仕事のこと、オレのまだ知らないエルフの国のいいところを教えてくれます。

ちなみにロック鳥が守護神になったのは1000年前からで、今のロック鳥は3代目だそうです。デカいとは思っていましたが、長生きな鳥なのですね。


「そうだな。この一帯が長いこと戦争がないのはあの神鳥のおかげだ。だから、多少うるさくとも皆ありがたく我慢するんだよ」


そう言われると、仕方がないのかもしれません。4代目は必要なのですから、発情期で多少やかましかろうと我慢です。


「そうだな、ナカムラ。ロック鳥がうらやましいなら、何だったらいい女を紹介してやろうか?」


ボノボムさんは妙齢のゴブリンの令嬢がいるからどうだ? と勧めてきます。

気立ての良いお嬢さんだそうです。

ゴブリンというのは小柄で緑色の肌が特徴の種族です。働き者で有名で「丁稚でっちと嫁はゴブリンに習え」なんてことわざがあるくらいです。非常にありがたい申し出なのですが、今は仕事が第一です。

そう、仕事が第一なのです。

お姫様のことなんて断じて関係ありません。


「そうか……何か切実なものを感じるが、お前がそこまで言うのなら無理には勧めないが」


オレのやんわりとしたお断りの声に、ボノボムさんも分かってくれたようです。そういって約束通り耳かきを注文した代金はいらないといい立ち去ろうとします。


「何だ? 代金はいらんと言ったはずだが?」


そんなこと言われても、このミスリル製の耳かき一式が施術代1回分のはずがありません。いくらなんでももらい過ぎです。先日、オークのテリトラさんから関税の関係でミスリルの価格が上がり出しているというのも聞いています。


「ああ、これはたぶついた在庫の分だからそこまで気にせんでもいいんだが……まぁ、そうだな。じゃあ、代金はもらってやるからその耳かき棒をもう一日貸せ」


そう言うと、ボノボムさんは一度納品した耳かき棒を持って帰ります。




後日、ボノボムさんがもう一度、耳かき棒を納品にやってきました。すると何ということでしょう、先日見たときでも綺麗だったミスリルの耳かき棒がさらに美しい輝きを放っています。

ボノボムさんは「魂を入れてやったぜ」とひと言告げると去っていきました。

なるほどこれが職人の力なのでしょう。

新しい耳かき棒を前に、オレと、ルナラナは感嘆のため息を吐くのでした。


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